池波志乃の年齢は?若い頃は?旦那は中尾彬!子供は?父は?病気だった?

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19歳の時、NHK連続テレビ小説「鳩子の海」でテレビドラマデビューされると、以降、数多くのテレビドラマや映画に出演された、池波志乃(いけなみ しの)さん。しかし、1990年代半ば頃から、体調不良で芸能活動を事実上停止されると、それから約10年後、ある重大な病が発覚します。


年齢は?出身は?本名は?父親は?

池波さんは、1955年3月12日生まれ、
東京都荒川区西日暮里のご出身、

血液型はA型、

本名は、中尾 志津子(なかお しずこ)、
(旧姓:美濃部(みのべ))

趣味は、料理、お酒、

ちなみに、
お父さんは10代目金原亭馬生さん、
お祖父さんは5代目古今亭志ん生さん、
叔父さんは3代目古今亭志ん朝さん、

という落語家一家です。

4歳の頃の池波さん(左)と10代目金原亭馬生さん(右から2人目)、
3代目古今亭志ん朝さん(右端)。

NHK連続テレビ小説「鳩子の海」でデビュー

池波さんは、小学生の頃は、
将来、家庭科の先生になりたかったそうですが、

中学生になると、日舞、三味線、長唄など、
芸ごとに興味を持つようになり、
芸の道を極めたいと女優を志すようになったそうで、

15歳の時には高校を中退し、
「俳優小劇場」の養成所に入所。

その後、数年で退団されると、
18歳の時、「新国劇」に入団されます。

(同時期に「俳優小劇場」の養成所に所属していた、大竹まことさんや
 風間杜夫さんが、1971年に養成所を辞める時には、池波さんも、
 一緒に辞めようとしたそうですが、「お前は残れ」と説得され、
 池波さんは養成所に残っそうです。)

そして、「新国劇」では、先輩女優の付き人をしながら、
演技を勉強しつつも、わざと目立つように着物を着て、
こまめに動き回るなど、アピールされていたそうで、

それが功を奏したのか、オーディションの声がかかり、
1974年、19歳の時に、NHK連続テレビ小説「鳩子の海」で、
テレビドラマデビューを果たされると、

「鳩子の海」より。斎藤こず恵さんと夏八木勲さん。

以降、数多くの作品に出演され、
その高い演技力で名バイプレーヤーとして、
引っ張りだことなられています。

出演ドラマ映画

それではここで、
池波さんのその後の出演作品をご紹介しましょう。

テレビドラマでは、

1975年 水曜劇場「寺内貫太郎一家2」
1976年 花王 愛の劇場「浮雲」
1977年「花のながれ」
1978年「西遊記」第8話
1979年「誰かが見ている」

「寺内貫太郎一家2」より。
(左から)樹木希林さん、加藤治子さん、池波さん。

1980年「噂の刑事トミーとマツ」第43話
1981年「ひまわりの歌」
1982年「松本清張の『書道教授』」
1983年「おりんさん」
1984年「特捜最前線」第356話
1986年 火曜サスペンス劇場「博多長崎殺人行」

「松本清張の『書道教授』」より。池波さんと井上昭文さん。

1987年「松本清張の地方紙を買う女」
1988年「下町の空は茜色」
1989年 心霊ドラマスペシャル「魔性の女」
1990年「テニス少女夢伝説!愛と響子」
1991年「鬼平犯科帳 第2シリーズ」第7話
1992年「家政婦は見た!10」
1995年「夫婦善哉」

「鬼平犯科帳」第2シリーズより。
(左から)三浦浩一さん、池波さん、中村吉右衛門さん。

映画では、

1974年「沖田総司」
1975年「昭和枯れすすき」
1977年「ワニと鸚鵡とおっとせい」
1979年「白く濡れた夏」
1981年「ええじゃないか」

「白く濡れた夏」

1982年「ウィークエンド・シャッフル」
1983年「丑三つの村」
1984年「湾岸道路」
1985年「きみが輝くとき」
1986年「離婚しない女」

「ウィークエンド・シャッフル」より。(左から)池波さん、
秋川リサさん、渡辺えり子さん、泉谷しげるさん。

「丑三つの村」より。池波さんと古尾谷雅人さん。

1987年「おれは男だ!」
1988年「恋子の毎日」
1989年「はぐれ刑事純情派」
1991年「ペンタの空」
1992年「一杯のかけそば」

ほか、テレビドラマでは、土曜ワイド劇場など、
主に2時間ドラマやサスペンスものに数多く出演されています。

旦那は中尾彬!子供は?

そんな池波さんの、
気になるプライベートですが、

池波さんは、デビューから3年後の1978年3月、
俳優の中尾彬さんと結婚されています。

35歳の中尾彬さんと22歳の池波さん♪

お二人は、1977年、
映画「伝七捕物帳」での共演で知り合われると、

中尾さんがロケの待ち時間に、当時、入手困難だった銘酒、
「越乃寒梅」を飲んだことがあると周囲に自慢していたため、

お酒好きだった池波さんは、

「私はいつでも越乃寒梅が飲めるお店知ってるわよ」

と言って、台本の裏にそのお酒が飲める店の地図を書き、
さらに自宅の電話番号も添えて渡したそうで、

こうして、そのお店で初デートをした二人は、
お酒好きということもあって、すぐに意気投合。

2軒目は、池波さんが、友人の芸者がいるお座敷に、
中尾さんを連れて行かれるのですが、

実は、当時、中尾さんはプレイボーイで有名だったため、
池波さんは、男を見る目のある、その友人の芸者に、
中尾さんの品定めを頼まれていたそうで、

その結果、「絶対やめなさい」と言う芸者が、
一人もいなかったことから、晴れて交際がスタート。

そして、次(2回目)のデートでは、
早くも中尾さんが池波さんにプロポーズされ、

なんと、出会ってわずか3ヶ月の、
スピード婚となったのでした。

ちなみに、池波さんは、
結婚後も女優業と主婦業を両立させ、

池波さんの手作り料理をお酒のおつまみに、
二人で2時間くらい語り合いながら、
夕食の時間を過ごすなど、夫婦仲はとても良好のようで、

現在も、おしどり夫婦として、
バラエティ番組で仲睦まじい姿を見せられています。
(お子さんはいらっしゃいません)

病気だった

ところで池波さんを、「病気」で、
多くの方が検索されているようです。

実は、池波さんは、1990年半ば頃から、
事実上芸能活動を休止されているのですが、

この頃、池波さんは、役作りで体重を落とすも、
ダイエットのしすぎで体脂肪が減って貧血で体調を崩すなど、
健康面で不安を抱えるようになったことから、

次第に演劇への熱も覚めていき、
演劇活動から離れるようになっていくのですが、
体調はさらに悪化していきます。

というのも、虫歯を治療しているにもかかわらず、
数ヶ月おきに歯の激痛に悩まされるようになり、

レントゲンを撮っても異常が見つからず、
医者からは更年期障害と診断され、一人で痛がっていると、
抗うつ剤を処方されるだけで、本当の原因が分からず、
痛み止めの薬で耐えるしかない状況が続いたのでした。

フィッシャー症候群~慢性硬化性下顎骨骨髄炎

さらに、2006年には、
沖縄滞在中に突然動けなくなり、救急車で運ばれると、
難病の「フィッシャー症候群」との診断結果。

再び歩けるようになるまで、1ヶ月もかかったのでした。

しかも、翌年の2007年には、夫の中尾さんが大阪で倒れられ、
生存率20%との宣告を受けたことから、

池波さんは病気を押して、大阪に泊まり込み、
一人で中尾さんの看病を続けられたのですが、

もともと痛かった歯と下あごの痛みがひどくなり、
2008年には、まるで釘を打たれるような気絶しそうなほどの、
激痛に襲われ、唇もしびれるようになったそうで、
何人もの歯医者に診てもらうも原因は不明。

最後に、大学病院に駆け込まれたところ、
ようやく、虫歯菌があごの骨に侵入し化膿していたことが判明し、
「慢性硬化性下顎骨骨髄炎」と診断されたのでした。

ただ、手術をすれば、
顔がゆがみ、変形する可能性もあることを、
医師から告げられたそうで、

それでも、手術を決断した池波さんは、
あごの骨を切り取り、肩甲骨の一部をあごに移植するという
11時間に及ぶ手術を受けられ、ようやく、
歯とあごの痛みから解放されたのでした。

(ちなみに、肩甲骨を切ったため、左手が動かなくなり、
 1ヶ月もの間、リハビリに励まれたそうです)

さて、いかがでしたでしょうか?

2019年のNHK大河ドラマ、
「いだてん~東京オリムピック噺~」では、

実の祖母である美濃部りん役で、
20年近く休業していた女優業に復帰される池波さん。

大病を乗り越え、ますます深みが増したと思われる、
池波さんの演技は楽しみですが、

これからもお体には十分に気をつけて、
末永く素晴らしい演技を見せ続けてほしいものですね。

応援しています!!

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