梶芽衣子の若い頃は?本名は?女囚さそり?歌手で恨み節も!

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1965年、スカウトされて日活に入社されると、主にヤクザもののアクション映画に出演された、梶芽衣子(かじ めいこ)さん。しばらくは脇役での出演が続くのですが、1970年「女番長(スケバン) 野良猫ロック」で主演に抜擢され、一躍脚光を浴びると、1972年には、「女囚701号・さそり」でも、裏切った恋人への復讐に燃える女囚役がはまり役となり、たちまちブレイクされます。




年齢は?身長は?本名は?


梶さんは、1947年3月24日生まれ、
東京都千代田区のご出身、

身長163センチ、

血液型はAB型、

本名(旧芸名)は、
太田 雅子(おおた まさこ)、

学歴は、
八雲学園高校卒業、

趣味は、
読書、映画鑑賞、旅行、スポーツ観戦、

だそうです。


若い頃は?デビューは?


梶さんは、高校在学中より、元NHKアナウンサー、
高橋圭三さんのプロダクションに所属されており、

1965年に、クイズ番組「おのろけ夫婦合戦」で、
高橋さんのアシスタントをしているところを日活にスカウトされると、
高校卒業と同時に、日活に入社。

同年には、本名の「太田 雅子」として、
「悲しき別れの歌」で映画デビューされると、
続く、映画「さすらいは俺の運命」にも出演。

そして、「青春前期 青い果実」「あいつとの冒険」で、
当時、子役からアイドル俳優となっていた太田博之さんと、
ダブル主演を務められるなど、好調なスタートを切られます。


梶さんと太田博之さん。


大物女優にブチ切れ


ただ、その頃の梶さんにとって、
映画界は分からないことばかりで、

何もかもうまくできず、毎日のように罵声を浴びせられたり、
大根役者と揶揄されて、大根を持たされたりと、
様々ないじめを受け、悔しい思いをされていたそうで、

(当時の映画界は今に比べるととても厳しく、
 名前を呼んでもらえるようになるまで2年もかかったそうです)

そんなある日、アフレコ作業をすることになるのですが、
梶さんは、そんな作業があることさえ知らず、

全然うまくできないことで、恥ずかしいやら、
スタッフに申し訳ないやらで、
死にそうな気持ちで何度もやり直していると、

それを見たある大物女優に、

ふふんっ

と、せせら笑われたそうで、
これには、梶さんもブチ切れ。

笑わないでください。
あなたたちは初めからこれができたんですか!

と、啖呵(たんか)を切ったそうで、

梶さんは、当時を振り返り、

もう癪(しゃく)に障っちゃって。
キレちゃった(笑)。

(昔から気が強い方でなく)むしろ人と話すのも苦手で、
学校でも隅のほうでひっそりしているタイプでした。

芸能界に入って初めて、私ってこんなに強かったんだって気づいて。
自分で自分にびっくりですよ。

父に言われた「最初の仕事は貫け」って言葉は大きかったですね。
言われたときは、どういうことか、いまいちピンとこなかったけど、
「負けて勝つ」ってことなのかもな、って。

社会人一年生で、何も分からず何もできない自分が、
なけなしのプライドを誇示してもズタボロになっていくだけで、
今はプライドを捨てて頑張るしかない、って開き直るようにした。
そのことに気づけたのはよかったなあと思います。

と、明かされています。

(もちろん、その後、梶さんは、
 アフレコを一生懸命練習し上達したそうです。)

「野良猫ロックシリーズ」で脚光を浴びる


そして、その後、梶さんに、
ある主役のオファーが舞い込んでくるのですが、

どうしてもやりたくないオファーで断られると、
それ以降、干されてしまい、死体役などの端役に降格。

梶さんは、女優に向いていないのでは・・・
と、悩み始めるのですが、

1969年、日活オールスター映画、
「日本残侠伝」に出演することになり、

マキノ雅弘監督に、芸名を「梶芽衣子」と改名されると、
再び、女優でやっていこうと気持ちを新たにされたそうで、

それが功を奏したのか、1970年には、
映画「怪談昇り竜」の女ヤクザ役で、再び主演に抜擢され、


「怪談昇り竜」より。梶さんとホキ徳田さん。

続く、映画「女番長(スケバン) 野良猫ロック」でも、
不良少女たちを率いるリーダー役で主演に抜擢されると、
映画もヒットを記録。


「女番長野良猫ロック」より。梶さんと和田アキ子さん。

その後、この映画は、

「野良猫ロック ワイルド・ジャンボ」(1970年8月)
「野良猫ロック セックス・ハンター」(1970年9月)
「野良猫ロック マシンアニマル」(1970年11月)
「野良猫ロック 暴走集団’71」(1971年1月)


「野良猫ロック ワイルド・ジャンボ」より。(左から)梶さん、
夏夕介さん、地井武男さん、范文雀さん、藤竜也さん、前野霜一郎さん。


と、シリーズ化され、
梶さんも一躍人気を博したのでした。

また、梶さんは、そのほかにも、

「反逆のメロディー」(1970年7月)
「新宿アウトロー・ぶっ飛ばせ」(1970年10月)


「新宿アウトロー・ぶっ飛ばせ」より。梶さんと原田芳雄さん。

などのヤクザ映画にも次々と出演され、
渡哲也さん、原田芳雄さんら演じる無類の男たちと、
互角に渡り合う女性アウトロー役を演じ、
強烈な存在感を示されたのでした。


「女囚さそりシリーズ」でブレイク!シングル「怨み節」もヒット!


その後、日活が、ロマンポルノ路線に変更したことから、
梶さんは、1971年に日活を退社してフリーになり、

翌年の1972年、藤純子(現・富司純子)さんが引退したことで、
藤さんの代わりとなる女優を探していた東映に誘われて東映に入社されると、

「銀蝶渡り鳥」
「銀蝶流れ者・牝猫博奕」



「銀蝶渡り鳥」より。梶さんと梅宮辰夫さん。

に出演され、

同年、映画「女囚701号・さそり」で、
恋人に裏切られた挙げ句、冤罪によって収監された、
女囚701号こと、松島ナミ役に抜擢されると、

スタイリッシュな演出と、梶さんの極端に少ないセリフ、
冷たい目の表情での演技が見事にハマり、映画は大ヒットを記録。


「女囚701号・さそり」より。梶さんと渡辺やよいさん。

さらには、1972年12月にシングルとしてリリースした、
同映画の主題歌「怨み節」が37万枚を売り上げる、
大ヒットとなったのでした。


「怨み節」

(一言もしゃべらない、と提案したのは梶さんだそうで、監督はしばらく、
 悩まれたそうですが、結局、梶さんの提案を受け入れると、見事にヒット。
 ただ、さすがに、一言もしゃべらないという訳にはいかなったそうです)

そして、この映画は、

「女囚さそり 第41雑居房」(1972年12月)
「女囚さそり けもの部屋」(1973年7月)
「女囚さそり 701号怨み節」(1973年12月)


「女囚さそり 第41雑居房」より。

と、シリーズ化される人気作となるのですが・・・

そんな人気絶頂の1973年、
梶さんは東映を退社してしまいます。

「梶芽衣子の現在は?旦那は?タランティーノと?出演ドラマ映画は?」に続く



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