郷ひろみの若い頃は?ジャニーズ?本名は?身長は?事務所は?ヒット曲は?

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15歳の時にジャニーズ事務所に入所し、「男の子女の子」でアイドル歌手デビューされると、たちまち人気を博し、その後も、数々のヒットを飛ばしてトップアイドルとなられた、郷ひろみ(ごう ひろみ)さん。しかし、18歳の時には、本格的なアーティストとして活動するため、ジャニーズ事務所を退所。「バーニングプロダクション」に移籍されています。


年齢は?出身は?身長は?本名は?

郷さんは、1955年10月18日生まれ、
福岡県糟屋郡須恵町のご出身、

身長178センチ、

血液型はA型、

本名は、
原武 裕美(はらたけ ひろみ)、

学歴は、
日本大学櫻丘高等学校
⇒堀越高等学校芸能コース卒業
(日本大学法学部に合格されるも受講されず)

事務所は、
バーニングプロダクション、

趣味は、
「鍛えること」だそうです♪

デビュー当時は「ジャニーズ事務所」

郷さんは、子どもの頃、
よく外国人と間違われる美少年で

1971年、15歳の時、近所のおばさんが勝手に、
映画「潮騒」の出演者募集に書類を応募したことから、
オーディションを受けるのですが、残念ながら結果は不合格。

ただ、郷さんが帰ろうとすると、審査員だった、
ジャニーズ事務所の社長、ジャニー喜多川さんが近づいてきて、

ちょっと話させてもらっていいですか?
2週間後に遊びに来て

と、声をかけてきたそうで、

郷さんは言われるままに、
2週間後、合宿所に遊びに行くと、

ジャニーさんにそのままNHKに連れて行かれ、

15分待ってて

と、言われて待っていると、
しばらくして戻ってきたジャニーさんに、

おめでとう、来年の大河ドラマ決まったから
(1972年の「新・平家物語」)

と、言われ、

さらには、そのままジャニーさんに連れられて、
北海道旭川に移動。

「フォーリーブス」の旭川公演に連れて行かれると、
「フォーリーブス」から突然、

僕たちの弟分を紹介します。ひろみー!

と、紹介されたそうで、
自分のこととは思わずキョトンとしていると、

ジャニーさんにステージに行くように促され、
郷さんは、予想外の展開にびっくり仰天。

それでもステージに出ていくと、
会場の「フォーリーブス」のファンから、

レッツゴーひろみ、ゴーゴーひろみ

との掛け声が起こったそうで、

郷さんは、ジャニーさんから、
「郷ひろみ」と名付けられたのでした。

(「郷」にはフォーリーブスの弟「5人目のフォーリーブス」
 という意味もかけられているそうです)

フォーリーブスと郷さん。
(左から)青山孝史さん、江木俊夫さん、郷さん、おりも政夫さん、北公次さん。

「男の子女の子」でデビュー

こうして、ジャニーズ事務所に入られた郷さんは、
「フォーリーブス」のバックダンサーとして活動を開始し、

翌年の1972年には、
NHK大河ドラマ「新・平家物語」の平経盛役でデビュー。

「新・平家物語」より。

その後も、「青春をつっ走れ」「あしたに駈けろ!」など、
立て続けに、テレビドラマに出演されると、


「青春をつっ走れ」より

同年8月には、ファーストシングル「男の子女の子」で、
アイドル歌手デビューされ、いきなり、オリコンベスト10入り。

「男の子女の子」

年末の「第14回日本レコード大賞」では、
新人賞を受賞し、

翌年の1973年には、
ブロマイドの年間売上実績1位になるなど、

西城秀樹さん、野口五郎さんとともに、
「新御三家」と呼ばれて、
一躍、トップアイドルの仲間入りをされ、

その後も、

1972年11月「小さな体験」
     12月「天使の詩」
1973年3月「愛への出発」
     6月「裸のビーナス」
     9月「魅力のマーチ」
     12月「モナリザの秘密」
1974年3月「花とみつばち」
     6月「君は特別」
     9月「よろしく哀愁」
     12月「わるい誘惑」

と、立て続けにシングルをリリースされると、

「裸のビーナス」が、
「第4回日本歌謡大賞」の放送音楽賞を受賞。

「裸のビーナス」

「よろしく哀愁」では、自身初の、
オリコン週間チャート第1位を獲得したのでした。

「よろしく哀愁」

「バーニングプロダクション」に移籍

ただ、またたく間に、
トップアイドルとしての地位を確立されたが故に、

郷さんは、デビューして3年たった頃に、
自分の力量のなさに気づき、

歌えていないし、踊れていない。
このままでは長く歌い続けるのは難しい。

と、危惧し始めたそうですが、

ブームが去るまで郷さんにアイドル活動を続けてほしい、
ジャニーズ事務所と意見が合わなくなっていき、

18歳の時(1975年3月末)、
契約期間を迎えると、契約は更新はせずに退所。
4月から「バーニングプロダクション」に移籍されたのでした。

ちなみに、「バーニングプロダクション」の周防郁雄社長は、
郷さんが移籍された経緯について、

郷ひろみが人気が出たあと、
ジャニーさんとトラブルになったらしい。

彼がどんな経緯で辞めたのかはよく知りませんが、
ぼくは当時、松竹芸能とある大手プロダクションが、
彼のマネージメントを引き受けることになった、と耳にしたんです。

しかし、いろいろと調べてみたところ、どうもその情報は間違っていて、
移籍先はまだ決まっていなかったらしい。
僕としても、郷ひろみは是非うちでやりたい、という思いがありました。

(渡辺プロダクション渡辺晋社長の妻の)美佐さんに、
メリーさん(ジャニーズ事務所の副社長)を呼んでもらいました。

そこで「メリーさん、私に(郷ひろみを)やらせてください」
と頼んだら「いいわよ」と言ってくれた。

ですから、僕は、
ジャニーズ事務所とは全く揉めていないんです。

と、明かされています。

バラード3部作がロングヒット

さて、「バーニングプロダクション」に入った郷さんは、
早速、19歳から、スキルアップのため、
年1回ニューヨークでヴォイストレーニングを受け始めるのですが、

自身では成果を感じないまま、

その後も、

1976年11月「あなたがいたから僕がいた」
1978年6月「林檎殺人事件」
1979年9月「マイレディー」
1981年5月「お嫁サンバ」
1982年7月「哀愁のカサブランカ」
1984年2月「2億4千万の瞳-エキゾチック・ジャパン-」

などが大ヒット。

そして、しばらく、
ヒット曲に恵まれない時期が続くのですが、

1993年の、65枚目のシングル、
「僕がどんなに君を好きか、君は知らない」
のヒット(17.7万枚)を皮切りに、

1994年「言えないよ」
1995年「逢いたくてしかたない」

とリリースした「バラード3部作」が、
ロングランヒットを記録したことで、

ようやく歌えるようになってきたかな

と、自身でも納得されるようになったそうです。

「GOLDFINGER ’99」が大ヒット

そして、ノリにノッた郷さんは、
1999年には、前作バラード3部作とは打って変わり、

リッキー・マーティンの、
「リヴィン・ラ・ヴィダ・ロカ(Livin’ la Vida Loca)」
のメロディに日本語の歌詞をのせた、

76枚目のシングル「GOLDFINGER ’99」をリリースされると、
40万枚を超える大ヒットを記録。

 (サビの「ACHICHI ACHI」は、郷さんがアイディアを出されたそうです)

以降、2018年までに、103枚ものシングルをリリースされ、
現在も精力的に歌手として活動されています。

「郷ひろみの嫁は?子供は?元カノは松田聖子!二谷友里恵との離婚理由は?」に続く

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