小松政夫の若い頃は植木等の付き人だった!年齢は?本名は?

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18歳の時に、俳優を目指して地元福岡から上京されるも、様々なアルバイトを転々とし、とうとう、複写機販売会社にセールスマンとして就職してしまった、小松政夫(こまつ まさお)さん。しかし、ある日、週刊誌に、当時絶大な人気を誇っていた「クレージーキャッツ」の植木等さんが付き人兼運転手を募集しているのを見つけ応募されると、なんと応募者600人の中から、見事、採用されます。




年齢は?出身は?身長は?本名は?


小松さんは、1942年1月10日生まれ、
福岡県福岡市瓦町(現:博多区上川端町)のご出身、

身長165センチ、
体重63キロ、

血液型はA型、

本名は、
松崎 雅臣(まつざき まさおみ)、

学歴は、
福岡県立福岡高等学校定時制課程普通科卒業、

特技は、剣道、

趣味は、
読書、ゴルフ、映画鑑賞、

だそうです。


少年時代は父親が他界し極貧生活


小松さんは、小学生の時から、明るく陽気な少年で、
よく、香具師(やし)の口上をまねて友達を喜ばせていたそうですが、

(香具師とは、いわゆるてきやのことで、
 縁日や祭りなどで見世物をしたり、品物を売ったりしている人)

小松さんが13歳の時、お父さんが亡くなり、
一家は困窮を極めたそうで、

高校生になると、生計を支えざるを得なくなり、
地元の菓子店「石村萬盛堂」で働かれたそうです。


少年時代の小松さん


俳優を目指して上京するも・・・


ただ、1961年、18歳の時には、
俳優を目指して、家出同然に博多の実家を飛び出して上京。

すし店、マグロ問屋、花屋、ケーキ店、
印鑑屋など、様々なアルバイトを転々としながら、
俳優になるチャンスを探されていたのですが・・・

複写機販売会社にセールスマンとして就職すると、
持ち前の明るさと話術から好成績をおさめ、

その腕を買われて、自動車販売会社に、
セールスマンとして引き抜かれたそうで、

さらに、ここでも、小松さんは、
当時、大卒の初任給1万円だった時代に、
月給12万円も稼ぐほどの営業成績を残されます。


植木等の付き人に


しかし、小松さんの目的はあくまで俳優。

営業で成功するも、
肝心の俳優への道は遠のいている状況に、
不満を抱いていたのですが、

そんな時、小松さんは、ある週刊誌で、

植木等の付き人兼運転手募集。
やる気があるなら面倒見るよ~~~~~ん

と、囲みで書かれた、
植木等さんの付き人募集の記事を見つけたそうで、

(当時、植木等さんは、「クレイジーキャッツ」
 のメンバーとして大ブレイク中でした)


(左から)安田伸さん、犬塚弘さん、谷啓さん、植木等さん、ハナ肇さん、
桜井センリさん、石橋エータローさん。


植木さんのファンだった小松さんは、即応募。

すると、600人もの応募者の中から、
見事、選ばれたそうで、

後に小松さんは、

「ハナ肇とクレージーキャッツ」の人気は絶大でした。

映画の無責任シリーズに主演し、「スーダラ節」など、
出す曲みんなが大ヒット。植木さんは国民的スターです。

応募者は600人に達しましたが、奇跡的に採用されました。

と、語っておられます。

植木等との師弟愛


ちなみに、小松さんが植木さんと初めて対面した場所は、
植木さんが検査入院されていた病院だったのですが、

植木さんは、緊張する小松さんに、
映画やテレビのテンションとは違う、静かな語り口調で、

君は父親を早くに亡くしたようだ。
私のことを父親だと思えばいい。

と、言ってくれたそうで、

小松さんは、この言葉で、
この人に一生ついていこうと感動されたそうです。

また、植木さんから、
何と呼ぶか聞かれた際には、迷わず、

「オヤジさん」って呼んでいいですか

と、その気持を伝えられると、
植木さんは、

それはいいな

と言われ、目を細められたのだとか。


付き人時代の小松さんと植木等さん。

こうして、小松さんは、1964年1月から、
正式に植木さんの付き人兼運転手となられると、
小松さんの生活は一転。

月給は7千円に下がったうえ、とにかく忙しく、
1週間に睡眠時間が10時間ほどの超ハードな毎日だったそうですが、
辛いと感じたことはなかったそうで、

後に小松さんは、

おやじさんは何がほしいのか、何をしたいのか、
気配で察知してすぐにやる。

「滅私奉公は古くさい」と言う人もいるでしょうね。
でも、尊敬する一流の師のそばにいて、お世話ができる。
それだけで幸せでした。

と、おっしゃっていました。

「シャボン玉ホリデー」でデビュー


そんな小松さんは、ある日、
バラエティ番組「シャボン玉ホリデー」
に出演される植木さんについて行かれ、

休憩中に「クレージーキャッツ」のメンバーや、
スタッフと談笑していた際、ふと、
セールスマン時代のエピソードを披露されたそうですが、

それは、小松さんが、当時50歳くらいの、
威張りくさった課長にカツを入れられていると、
その様子を見ていた34歳の部長が課長に一喝。
一瞬にして課長がシュンとなってしまった、というもので、

小松さんが、面白おかしく、

見ろ!お前のせいで怒られちゃったじゃないか。
もう、知らない、知らない、知らなぁーい、もー!

と、オカマっぽく体をクネクネさせて、
課長のモノマネをされていると、

なんと、その様子がプロデューサーの目に留まり、
翌日の収録時には、小松さんの出番がもうけられていたそうで、

ついに、小松さんは、バラエティ番組「シャボン玉ホリデー」で、
コメディアンとしてデビューされたのでした。


中列左から2人目が小松さん、前列左から5人目が植木等さん。

(ちなみに、師匠である植木さんは、ことあるごとに、
 番組スタッフに小松さんを売り込んでおられたそうで、
 小松さんのテレビ番組出演に尽力されていたそうです。)

独立


こうして、小松さんは、デビューしながらも、
4年近く植木さんの付き人を務めていたある日、
植木さんから、突然、車の中で、

お前、明日からもう俺のところには来なくていいからな

と、言われてしまいます。

当初は、驚くとともに、
クビになったかと慌てた小松さんですが、

実は、そうではなく、植木さんが、
小松さんを正式にタレントとして一本立ちさせるために、
事務所の社長に話を持ちかけると、社長も喜んで賛成し、
小松さんのマネージャーもお給料もすべて決めてきたと、
言われたそうで、

これを聞いた小松さんは、涙がポロポロとこぼれて、
運転ができなくなってしまい、一度路肩に車を停めて大泣き。

そして、しばらくすると、植木さんから、

別に急いでないけど、そろそろ行くか

と、優しくなだめられたのだそうです。

(小松さんいわく、「目にワイパーが欲しいぐらい」泣いたそうです(笑))

そして、その後、独立した小松さんは、
コメディアンとしてメキメキと頭角をあらわしていったのでした。

「小松政夫の嫁は?伊東四朗と?電線音頭しらけ鳥ほかギャグは?ドラマ映画は?」に続く



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