若い頃から老人役をこなすなど、個性派女優として唯一無二の存在感を放ってきた、樹木希林(きき きりん)さんですが、プライベートもまた、かなり個性的だったようです。

「樹木希林のデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」からの続き

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元旦那は岸田森

樹木さんは、1964年(悠木千帆として活動されていた時代)、21歳の時、同じ「文学座附属演劇研究所」の第1期生だった、俳優の岸田森(きしだ しん)さんと結婚されると、

仕事を放り出しても一緒にいたい

と、お二人が口をそろえるほどラブラブで、

1966年には、そろって「文学座」を退団し、劇団「六月劇場」を結成。

樹木さんがテレビドラマ「七人の孫」ですでに人気女優となっていたのに比べて、岸田さんはまだ無名に近い俳優だったのですが、そんな格差など物ともしない仲睦まじさで、おしどり夫婦と呼ばれたのでした。


岸田森さんと樹木(当時は悠木千帆)さん。

内田裕也と再婚

しかし、そんなお二人も1968年には離婚。

(ちなみに、岸田さんは、その後、怪奇映画や特撮ものに数多く出演し、個性派俳優として活躍されるのですが、1982年、43歳の若さで他界されています。)

そして、樹木さんは、1973年、30歳の時、ロック歌手の内田裕也さんと再婚されます。


内田裕也さんと樹木(当時は悠木千帆)さん。

樹木さんは、1970年、テレビドラマ「時間ですよ」で、当時「ザ・スパイダース」堺正章さんと共演していたのですが、


「時間ですよ」より。(左から)堺正章さん、樹木さん、浅田美代子さん。

その撮影現場に、「ザ・スパイダース」のメンバーである、かまやつひろしさんが堺さんを訪ねて来たそうですが、その際、一緒にいたのが内田さんだったのでした。

内田裕也のDVで別居

しかし、結婚後は、毎日のように内田さんに暴力を振われたそうで、結婚1年半で早くも別居。

実は、樹木さんは、内田さんの第一印象を、

何だか真面目そうな人だな

と、思っていたそうですが、

内田さんは一度暴れだすと手がつけられず、樹木さんは、何かあった場合のため、渋谷警察署にすぐ来てもらえるように相談していたほか、暴れる度に家中メチャクチャになったことから、何度も包丁を買いに行ったそうで、

金物屋さんには、

お宅はどうして、包丁がこんなに壊れるんですか。

と、尋ねられるほどだったそうです。

娘誕生後、内田裕也が勝手に離婚届提出も樹木希林が認めず離婚不成立

それでも、1976年には、一人娘の内田也哉子さんが誕生。お二人の仲も丸く収まるかと思われたのですが・・・

1981年、内田さんが樹木さんに黙って勝手に離婚届を提出。

これに対し、樹木さんは離婚を認めず、離婚訴訟となると、樹木さんが勝訴し、離婚は不成立。

以降、お二人は婚姻関係を維持しつつ、40年以上に渡って別居生活を続けられたのでした。(お二人が会うのは1~2年に1回だったそうです)

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離婚しなかった理由とは?

しかし、なぜ、樹木さんは、内田さんとの離婚を拒否されたのでしょうか。

樹木さんは、その理由について、

生活費は1円ももらったことないけど、だからといって別れるのがいいとは限らない。破天荒さというか破壊性は夫よりも私のほうがある。夫がいることでケンカっ早い私が徐々に徐々に修正された。1人の人間の存在が「重し」になっている。ありがたいこと。

と、おっしゃていたのですが・・・

やはり、凡人には理解できません(笑)

ただ、樹木さんは、

まあ、縁ですから。自分に合った人と出会うわけですから。それに、親がへたばって喜ぶ子供はいないでしょ。よく、娘は「お母さんは他人だからいい、私は血が繋がってる」って。今回も「お母さんがいてくれてよかった」と言いました。

※今回とは、2011年、内田さんが交際していた女性に復縁を迫り、強要未遂と住居侵入の疑いで逮捕されたこと。

ともおっしゃっており、娘さんの為でもあるとのことで、これなら多少理解できそうです。

「樹木希林の死因は全身ガン!左目も失明していた!」に続く

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