貧しい家庭で生まれ育たったことから、中学卒業後は、家計を支えるため、定時制高校に通いながら、千代田生命保険会社(現・ジブラルタ生命保険)に就職し、休憩時間や土日にはアルバイトを掛け持ちしていたという、デヴィ夫人。しかし、17歳の時、ひょんなきっかけで高級クラブ「コパカバーナ」で接客するようになります。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?ハーフ?

デヴィ夫人は、1940年2月6日生まれ、
東京府東京市麻布区霞町(現:東京都港区西麻布)の出身、

身長159センチ、

血液型はA型、

本名(インドネシア名)は、
ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(Ratna Sari Dewi Sukarno)(「宝石 聖なる女神」という意味だそうです)

旧名・日本名は、
根本 七保子(ねもと なおこ)

学歴は、
東京都港区立高陵中学校
⇒東京都立三田高等学校定時制部中退

趣味は、
絵画、日舞、

特技は、水泳、

ちなみに、デヴィ夫人は、お父さん(兵七郎さん)、お母さん(政子さん)、ともに日本人ですので、純日本人。ハーフではありません。

貧しかった少女時代

デヴィ夫人のお父さんは、大工の棟梁だったそうですが、お人好しで、お金を取らずに家を建てていたことから、家庭は貧しかったそうで、デヴィ夫人は、1955年、15歳の時、貧乏から抜け出すために女優になろうと決意すると、「東芸プロダクション」に研究生として入団。

演技や舞踊などを習い始めると、エキストラとしてテレビや映画に出演し、お金を稼ぐようになったそうです。


中学時代のデヴィ夫人。

そして、中学卒業後は、定時制高校に進学するのですが、エキストラだけでは満足な収入が得られなかったため、「千代田生命保険会社」(現・ジブラルタ生命保険)に就職し、お昼休みの1時間は会社の近くの喫茶店でアルバイト、土日もコーヒーショップでアルバイトをして、貧しい家計を支えたそうです。


高校時代のデヴィ夫人。

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高級クラブ「コパカバーナ」で「プリンセス」と呼ばれる人気者に

そんな中、1956年には、お父さんが他界したことで、デヴィ夫人は高校は中退し、ますます、様々な仕事を掛け持ちして、家計を支えていたそうですが、

翌年の1957年、17歳の時、アメリカ人宝石商のジェイムズ・ベイカーさんと知り合うと、お金持ちのベイカーさんに色々なところに連れて行ってもらうようになったそうで、

赤坂にある有名高級クラブ「コパカバーナ」に出入りするようになると、オーナーだった長尾久子さんに気に入られ、「コパカバーナ」で働き始めることに。

すると、デヴィ夫人は、持ち前の美貌で、たちまち、「プリンセス」と呼ばれる人気者になったのでした。

「デヴィ夫人の元夫スカルノ大統領との出会いは?」に続く


18歳当時のデヴィ夫人。

「デヴィ夫人の元夫スカルノ大統領との出会いは?」に続く

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