谷村新司のアリス時代は?堀内孝雄!矢沢透!冬の稲妻!チャンピオン!

Sponsored Link

1971年には堀内孝雄さん、1972年には矢沢透さんを加え、「アリス」として活動された、谷村新司(たにむら しんじ)さんですが、当初はなかなかヒットしませんでした。しかし、地道にステージを重ねられると、1975年には、ウッディ・ウーのカバー曲「今はもうだれも」が大ヒット。以降、「冬の稲妻」「チャンピオン」ほか、ヒット曲を連発します。


「谷村新司の若い頃は?年齢は?万博でロック・キャンディーズ?」からの続き

堀内孝雄と「アリス」結成~矢沢透も合流

こうして、北米横断ツアー中、
プロになる決意をされた谷村新司さんは、

帰国後の1971年、同じ神戸の音楽サークル「ポート・ジュビリー」
で知リ合いだった、アマチュアロックバンド、
「フーリッシュ・ブラザーズ・フット」のヴォーカル、
堀内孝雄さんを誘い、2名で「アリス」を結成すると、

翌年の1972年3月には、ファーストシングル、
「走っておいで恋人よ」でレコードデビュー。

「走っておいで恋人よ」

(実は、谷村さんが審査員を務めた「ポート・ジュビリー」のオーディションに、
 堀内さんが、フォーク全盛時代にもかかわらず、「ビートルズ」をコピーする
 バンドのヴォーカルとして参加していたのが、最初のお二人の出会いなのですが、
 審査員の中で、唯一、谷村さんが堀内さんの歌唱力に惹かれ、推薦されたそうで、
 そのおかげで堀内さんは合格となっていたのでした。)

同年5月には、北米ツアーで「ブラウン・ライス」
のドラマーとして参加されていた矢沢透さんも合流し、
最終的な「アリス」の形として活動されたのでした。

「アリス」(左から、堀内孝雄さん、矢沢透さん、谷村さん)

ちなみに、谷村さんは、「アリス」結成の経緯について、

(ジャニス・ジョプリンの影響から)
矢沢のリズム感は絶対必要だったし、
堀内(孝雄)の歌唱力にも惹かれました。
2人の人柄も含めて、ぜひ一緒にやりたいと思ったんです。

あの2人との出会いは特別なものだと感じましたね。
一緒にやったらうまくいく、とかじゃなくて、
やらないといけない、と思った。直感です。

今でもひたすら直感で生きているんですけどね。
出会った瞬間、感じる。
感じないときは、ずっといても感じませんから。

とおっしゃていました。

「ロック・キャンディーズ」は1971年7月に解散しています)

ヒット曲に恵まれず下積みの日々

しかし、

1972年7月「明日への讃歌」
1973年7月「愛の光」
     12月「青春時代」
1974年6月「二十歳の頃」
1975年3月「紫陽花」

と、立て続けにシングルをリリースするも、

当時はメッセージ性の強い歌が、
もてはやされていた時代だったこともあり、

壮大なスケールでラブソングを歌う「アリス」は、
なかなかヒットせず、ただ、ひたすら、
ステージをこなす日々を送られたそうで、

結成した1972年には、
なんと、年間300ステージをこなし、

文化祭シーズンには、
1日5ステージをこなしたこともあったのだとか。

(ちなみに、全部、女子大だったそうです♪)

そして、それ以外の時間も、2本の深夜番組の生放送に、
曲作りと、休みなく活動されていたそうですが、

そんな下積み時代にも、谷村さんは、

ヒットが出ないんじゃなくて、まだその時期じゃないんだ。

と、この期間を、
助走期間と前向きに捉えていたのでした。

「今はもうだれも」「冬の稲妻」「チャンピオン」などが大ヒット

そして、1975年9月、ウッディ・ウーのカバー曲で、
7枚目のシングル「今はもうだれも」が、
オリコン最高11位となるヒットを記録すると、

「今はもうだれも」

(ウッディ・ウーとは、関西カレッジフォーク界で有名だった、
 立命館大学と同志社大学のOB三人組)

このヒットがきっかけとなり、

続く、1976年4月にリリースされた、
オリジナル曲「帰らざる日々」(8枚目)も、
オリコン15位となるヒット。

「帰らざる日々」

その後、

1976年9月「遠くで汽笛を聞きながら」
1977年3月「さらば青春の時」

で、低迷するも、

1977年10月の「冬の稲妻」が、
再びオリコン8位を記録する大ヒットとなると、

「冬の稲妻」

以降、

1978年3月「涙の誓い」
     6月「ジョニーの子守唄」
     12月「チャンピオン」
     4月「夢去りし街角」
1979年12月「秋止符」
1980年7月「狂った果実」

と、次々とヒットを飛ばされたのでした。

ソロとして

また、谷村さんは、1974年に、
「アリス」の活動と並行して、
ソロアルバム「蜩(ひぐらし)」をリリースされると、

「蜩」

1979年6月には、ソロとして初のシングル、
「陽はまた昇る」をリリース。

「陽はまた昇る」

そして、1980年4月にリリースされた2枚目のシングル、
「昴 -すばる-」は60万枚の大ヒットを記録し、
名実ともにトップアーティストとしての地位を確立されています。

「昴 -すばる-」

一方、「アリス」としての活動は、

1980年「それぞれの秋」
1981年「エスピオナージ」

と、シングルをリリースするも、次第に売上が低迷し、
1981年5月21日には活動停止。

ただ、谷村さんは、そのことについても、

僕らはヒットが出始めても、全く変わりませんでした。
周りは変わっても、僕らはむしろ超クール。
今は流行っているけれどね、って、さめて自分たちを見ていました。

アリスは10年で活動を停止します。
周りからは「どうしてそんなに早く?」という声も多かった。

でも違うんです。僕らはずいぶん前から、
どうやってアリスという山を下りるか、
そしてどうやって次の山に移るか、それを考えていたんです。

子どものころから、僕はいつも、
自分を上から見ているような意識がありました。

鳥の目線です。いつも空を見上げる子どもでね。
鳥の目で見ていると、自分たちの姿って、よく見えるものなんですよ。

と、語っておられました。

(ちなみに、「アリス」は、その後、1987~1988年、2000年、
 2005年、2008年、2013年と5回も再結成されています♪)

「谷村新司の妻は?娘は?息子は?病気?昴は星からのメッセージ!北海道で免許?」に続く

Sponsored Link

Sponsored Link

関連記事

コメントは受け付けていません。

サブコンテンツ

このページの先頭へ