細木数子の生い立ちが壮絶!父親は?若い頃は?島倉千代子から搾取?

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売春宿を経営する実家で少女時代を過ごし、中学1年生で接客や客引きなどをしていた、細木数子(ほそき かずこ)さんですが、その後、弱冠17歳で開業すると、あれよあれよと銀座でクラブを開くまでに登り詰めます。しかし、その手口は・・・


年齢は?出身は?本名は?

細木さんは、1938年4月4日生まれ、
東京府東京市渋谷区(現・東京都渋谷区)のご出身、

血液型はB型、

学歴は、
成徳女子高等学校中退、

趣味は、
骨董品収集、

ちなみに、
細木数子は本名です。

父親は?

細木さんのお父さん、細木之伴(ほそき ゆきとも)さんは、
土佐国(現在の高知県)で、代々、代官をしていた名家に生まれ、

10代の頃、上京すると、
民政党院外団(※)の壮士として活動。

 (※民政党院外団とは、日本の議会政党における議員以外の、
  党員のグループのことを言い、議会および議員に対して圧力を加え、
  反対党への攻撃、自党要人の警備など、その活動内容は、
  今でいう暴力団に近いものだったと言われています)

その後、太平洋戦争が始まる頃には、政治活動から身をひき、
「ロマンスクラブ」(後に「南海」に改名)というカフェを始めるのですが、

かつての縁からか、大野伴睦(元院外団)や松葉会会長の兄など、
暴力団関係者に広い人脈を持っていたそうです。

実家は青線地帯~中学1年生で客引き

細木さんは、そんなお父さんの愛人の子どもとして誕生するのですが、
細木さんが7歳の時には、お父さんが他界。

カフェ「南海」は、「娘茶屋」という名前に改められ、
経営は細木さんのお母さんに引き継がれるのですが・・・

なんと、この「娘茶屋」は、飲食店にもかかわらず、
許可なく売春行為もしていたそうで、

細木さんも中学1年生(1951年頃)の時から、
店番、接客、客引きまでされています。

当時の細木さん

(このような、政府非公認の売春を「青線」
 政府公認の売春は「赤線」と呼ばれていたそうです。)

ちなみに、細木さんは、
関西ローカルのテレビ番組「ワイドYOU」に出演された際、

(実家が)売春宿をやってたの。
ヒロポン打ったりして女の子逃がさないように。
(※ヒロポンとは当時市販されていた覚醒剤)

と、おっしゃっており、
実兄からは、この客引き行為について、

何言ってるんだよ。このパン助(売春婦)が。
てめえ、そんなことしてまでお金が欲しいのか。

と、叱られたことがあったとも明かされていますが、

客引き行為をしていたことは認めつつ、
実兄が言う、自身の売春行為については否定されています。

20歳で銀座のママに

そんな細木さんは、1955年、弱冠17歳で、
お母さんのスポンサーの援助を得て、東京駅高架下に、
「ポニー」というスタンドコーヒー店をオープンすると、
高校は3年で中退し、店の切り盛りに専念。

見事繁盛させ、わずか半年で売却されると、
その売却資金で、今度は新橋のガード近くに、
クラブ「潤」をオープンし、こちらも翌年には売却。

1958年には、20歳で、銀座に、
クラブ「かずさ」をオープンされています。

当時の細木さん

ちなみに、細木さん自身は、
16歳の時に「ミス渋谷」に選ばれた、とおっしゃっていますが、

そのようなミスコンは存在せず、
実際のところは、商店街などで行われた、
ごく小規模なコンテストだったのでは、と言われています。

島倉千代子から搾取?

その後、細木さんは、
銀座のママとして店を切り盛りする一方で、
暴力団組長と愛人関係にもあったのですが、

1977年、演歌歌手の島倉千代子さんが、
恋人の手形を裏書きしたことで、総額16億円もの負債を抱えた際、

細木さんの内縁の夫(前述の暴力団組長)が島倉さんの後見人になり、
暴力団員が大勢取り立てに来た恐ろしい現場を裁いてくれたことで、
島倉さんは、すっかり細木さんを信頼。

島倉さんは、細木さんを「細木のママ」と呼び、
「借金を肩代わりしてくれた恩人」などと、
慕っておられたのですが・・・

当時の島倉千代子さん(左)と細木さん。

実のところは、もともと借金の額は2億4000万で、
それを細木さんが内縁の組長とグルになって島倉さんを騙し、
16億円もの額に膨らませたとも言われており、

細木さんは、島倉さんの借金を肩代わりした引き換えに、
島倉さんと一緒に住んで、たくみに島倉さんを説得し、
島倉さんの興行権を握ると、

1977年3月には、「ミュージックオフィス」
という芸能プロダクションを設立。

必死で働けば1年で返し終えることが出来たかもしれない借金を、
3年間、島倉さんを馬車馬のごとく働かせ、莫大な興行収入を得たのでした。

 (島倉さんは、暴力団の脅威から守ってくれた細木さんの言いなりで、
  正確な負債額を把握していなかったそうです)

しかし、さすがに、働いても働いても借金が減らないことに、
おかしいと気づいた島倉さんは、

レコード会社「日本コロムビア」に仲裁してもらい、
「日本コロムビア」が細木さんから島倉さんの興行権を取得。

島倉さんは「日本コロムビア」に移籍されるのですが、
細木さんは、ちゃっかり、手切れ金として、
1億数千万円(2億円とも)を受け取られたのでした。

ちなみに、島倉さんは、2005年の著書、
「島倉家 これが私の遺言」の出版記念会見の際に、

涙を浮かべながら、

法律が許してくれるならばこの手で刺したい

と、名前こそ出さなかったものの、細木さんと思われる、
自分に借金を背負わした相手に対する無念を明かされています。

島倉家―これが私の遺言

「細木数子の六星占術は盗作?墓石霊感商法?降板理由は?病気?現在は?」に続く

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