「六星占術」で大ブレイクし、最盛期にはバラエティ番組に引っ張りだことなられた、細木数子(ほそき かずこ)さんですが、今回は、そんな細木さんの知られざる生い立ちをご紹介します。

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年齢は?出身は?本名は?

細木さんは、1938年4月4日生まれ、
東京府東京市渋谷区(現・東京都渋谷区)のご出身、

血液型はB型、

学歴は、
成徳女子高等学校中退、

趣味は、
骨董品収集、

ちなみに、
「細木数子」は本名です。

父親は暴力団?

細木さんの父親は、細木之伴(ほそき ゆきとも)さんというそうで、土佐国(現在の高知県)で、代々、代官をしていた名家に生まれると、10代の頃上京し、民政党院外団(※)の壮士として活動したそうで、

(※民政党院外団とは、日本の議会政党における議員以外の党員のグループのことを言い、議会および議員に対して圧力を加え、反対党への攻撃、自党要人の警備など、その活動内容は、今でいう暴力団に近いものだったと言われています)

その後、太平洋戦争が始まる頃には、政治活動から身をひき、「ロマンスクラブ」(後に「南海」に改名)というカフェを始めると、かつての縁からか、大野伴睦氏(元院外団)や松葉会会長の兄など、暴力団関係者に広い人脈を持ったそうです。

実家は青線地帯(売春宿)~中学1年生で客引き

細木さんは、そんなお父さんの愛人の子どもとして誕生するのですが、細木さんが7歳の時には、お父さんが他界。

その後、カフェ「南海」は、「娘茶屋」という名前に改められ、経営は細木さんのお母さんに引き継がれたそうですが・・・

この「娘茶屋」、実は、飲食店にもかかわらず、許可なく売春行為もしていたそうで、細木さんも中学1年生(1951年頃)の時から、店番、接客、客引きまでされていたというのです。


当時の細木さん

(このような、政府非公認の売春を「青線」、政府公認の売春は「赤線」と呼ばれていたそうです。)

ちなみに、細木さんは、関西ローカルのテレビ番組「ワイドYOU」に出演された際、

(実家が)売春宿をやってたの。ヒロポン打ったりして女の子逃がさないように。(※ヒロポンとは当時市販されていた覚醒剤)

と、おっしゃっており、実兄からは、この客引き行為について、

何言ってるんだよ。このパン助(売春婦)が。てめえ、そんなことしてまでお金が欲しいのか。

と、叱られたことがあったとも明かされていますが、客引き行為をしていたことは認めつつ、実兄が言う、自身の売春行為については否定されています。

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20歳で銀座のママに

そんな細木さんは、1955年、弱冠17歳で、お母さんのスポンサーの援助を得て、東京駅高架下に「ポニー」というスタンドコーヒー店をオープンすると、高校は3年で中退し、店の切り盛りに専念。すると、見事繁盛させたそうで、

わずか半年で売却すると、今度はその売却資金で新橋のガード近くに、クラブ「潤」をオープン。

すると、こちらも翌年には売却し、1958年には、20歳で、銀座にクラブ「かずさ」をオープンされたのでした。


当時の細木さん

ちなみに、細木さん自身は、16歳の時に「ミス渋谷」に選ばれた、とおっしゃっていますが、そのようなミスコンは存在せず、実際のところは、商店街などで行われた、ごく小規模なコンテストだったのでは、と言われています。

「細木数子の若い頃は島倉千代子から10億円以上搾取していた?」に続く

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