研ナオコの若い頃は?年齢は?愚図あばよほか歌は?時間ですよ?

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1971年、17歳の時、「大都会のやさぐれ女」で歌手デビューされるも、まったく売れず、日本全国を営業周りされていた、研ナオコ(けん ナオコ)さん。しかし、その後、女優やタレント活動で人気を博すと、1975年、9枚目のシングル「愚図」が大ヒットを記録。以降、着実にヒットを飛ばし、1976年10月にリリースした12枚目のシングル「あばよ」は、オリコンチャート1位を記録する、自身最大のヒットとなったのでした。

年齢は?出身は?身長は?本名は?

研さんは、1953年7月7日生まれ、
静岡県田方郡天城湯ヶ島町(現・伊豆市)のご出身、

(なんと、研さんは、
 生まれた時のことを鮮明に覚えているのだとか)

身長162センチ、

血液型はA型、

学歴は、
静岡県立三島南高等学校中退、

趣味・特技は、
紙バンド(細いこよりを編んだバッグ)、

本名は、
野口なを子(旧姓:浅田)、

ちなみに、芸名の「研」は、
当時の所属事務所「研音」の「研」
から取ったそうです。

高校を中退して歌手を目指す

研さんは、3歳の時から歌を歌うことが好きで、
当時流行していた、美空ひばりさんや、
島倉千代子さんの歌などは全て歌えたそうで、

4歳の時には、地元の夏祭りの素人演芸会に、
飛び入り参加で「ひばり節」を歌い、拍手喝采を受けます。

そして、1963年、10歳の時には、
視聴者参加型番組「日清ちびっこのどじまん」に出場し、
「星空に両手を」を歌唱されるのですが、なんと、
子どもが歌唱するのにふさわしくないと怒られ、不合格。

それでも、1965年、12歳の時には、
「のど自慢大会」(静岡放送)に出場すると、見事合格。

1967年、14歳の時にも、再び出場した、
「のど自慢」(静岡放送)で準優勝されると、
その頃から歌手になりたいと思うようになったそうです。


少女時代の研さん

そして、1969年、15歳の時、初めて友達と遊びに行った東京で、
日劇の「ウエスタンカーニバル」を観劇されると、
出演されていたピーターさんがあまりにもきれいだったため、

私もあんなスターになる

と、本気で歌手になることを決意。

研さんは、高校を1年で中退し、
ご両親の反対を押し切って上京されたのでした。

上京

こうして、研さんは、横浜のおじさんの家に居候しながら、
ボイスレッスンを受けたり、音楽学院などを回るなど、
積極的に活動を開始されると、

おじさんが東宝会館の電気室に務めていた縁で、
設立予定だった「東宝レコード」のオーディションを受け、

「悲しい酒」「雲にのりたい」などを歌うと、見事合格し、
「東宝レコード」に入社が決定。

ただ、「東宝レコード」の設立まで遊んでいるわけにもいかず、
歌のレッスンと両立して、「日比谷スカラ座」の、
エレベーターガールとして働かれていたそうです。

「大都会のやさぐれ女」でデビューするも・・・

そして、1971年4月、17歳の時、
ついに、「東宝レコード」の第1号歌手として、
「大都会のやさぐれ女」で歌手デビューされるのですが、

ほとんど売れず、喫茶店やキャバレーなどを中心に、
日本全国をキャンペーンで回る日々を送られたそうで、

その間は、2ヶ月間もお風呂に入れなかったり、
冬の北海道でミニスカートの衣裳だったりと、
とても厳しいものだったそうです。

また、当時は、テレビに出演するためには、
オーディションに合格しなければならず、

落ちてばかりだった研さんは、
テレビで顔を売ることもできず、

同年10月、2枚目のシングル
「屋根の上の子守唄」を発売するも、
相変わらず、ほとんど売れなかったのでした。


「屋根の上の子守唄」

田辺昭知との出会い~テレビドラマ「時間ですよ」で人気に

しかし、その後、「スパイダクション」を設立して、
マネージメント業務を行いつつ、東宝レコードの顧問もされていた、
田辺昭知さんと知り合われ、

(※現在「スパイダクション」「田辺エージェンシー」となり、
 田辺さんが代表取締役社長を務められています)

1年半ほど経った頃、「東宝レコード」から
「田辺エージェンシー」に移籍し、

1972年3月「二人で見る夢」
1972年7月「京都の女の子」
1972年11月「こんにちわ男の子」

と、立て続けにシングルを発表すると、

「京都の女の子」が、
デビュー以来初の、オリコンシングルチャートランクイン。

また、同年、ゲスト出演された人気ドラマ「時間ですよ」では、
大口を開けて笑う個性的なキャラクターが、
お茶の間で人気を博し、レギュラーに抜擢されるほか、

「ミノルタカメラ」のCMに、
愛川欽也さんと共演されると、

「美人しか撮らない、だから撮らない」

のセリフと共に、カメラを研さんからそらすというシーンで
大口を開けて笑う姿が好評を博すなど、

あれよあれよと、研さんの人気は、
うなぎのぼりとなったのでした。

「愚図」「あばよ」などが大ヒット

しかし、その一方で、

歌手としては、

1973年10月「うわさの男」
1974年6月「第三の女」

で、再び低迷。

もう歌手を辞めようかと思われていたのですが、

そんな矢先、

1975年9月にリリースした9枚目のシングル「愚図」が、
ついに、初のオリコンチャートベストテン入りとなる大ヒットをし、
この年の「第4回FNS歌謡祭」「最優秀歌謡音楽賞」を受賞すると、


「愚図」

(研さんいわく、この曲のヒットで、なぜか親戚が増えたそうです)

続く、

1976年2月「一年草」
     6月「LA-LA-LA」

も、ヒットし、「LA-LA-LA」で、
「第27回NHK紅白歌合戦」に初出場。

さらに、1976年10月にリリースした「あばよ」(12枚目)が、
自身初のオリコン1位を獲得する大ヒットとなり、

「第18回日本レコード大賞歌唱賞」
「日本歌謡大賞放送音楽賞」
「FNS歌謡祭最優秀歌謡音楽賞」

など、数多くの賞を受賞されると、


「あばよ」

その後も、

1977年3月「風をくらって」
     6月「オヽ神様」
     9月「ふられてやるさ」
1978年3月「かもめはかもめ」
     7月「窓ガラス」
     10月「みにくいあひるの子」

と、ことごとくヒット。

こうして、研さんは、
一躍、人気歌手の仲間入りをされたのですが・・・

「研ナオコは昔大麻で逮捕されていた!旦那は?娘はひとみ!息子は?」に続く

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