由紀さおりの若い頃は?年齢は?国籍は?姉は安田祥子!スキャット?

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4歳の時に児童合唱団に入団し、小学生の時には既に童謡歌手として活動を開始された由紀さおり(ゆき さおり)さんは、17歳の時には、「ヒッチハイク娘」で歌謡歌手としてデビューされるのですが、まったく売れず。しかし、20歳の時、再デビューシングル「夜明けのスキャット」が大ヒットを記録します。


年齢は?出身は?身長は?本名は?

由紀さんは、1948年11月13日生まれ、
群馬県桐生市のご出身、

(在日韓国人(両親が韓国人)との噂がありますが、
 出処は不明で真偽は分かりませんでした)

身長156センチ、

血液型はA型、

学歴は、
⇒洗足学園第一高等学校
⇒洗足学園短期大学英文科卒業

趣味は、
手芸、読書、水泳、日舞、

本名(旧芸名)は、
安田章子(やすだ あきこ)、

ちなみに、芸名の「由紀さおり」は、
着物が大好きだったお母さんが考えられたもので、

当初は、結城紬の「結城」と夏の着物である「紗」から、
「結城紗織」という表記だったのですが、

漢字表記だと硬い印象になることから、
「由紀さおり」という表記になったそうです。

群馬から横浜へ

由紀さんのご家族は、由紀さんが生まれる前から、
お父さんの仕事の関係で群馬県で暮らされていたそうで、
終戦をそこで迎えると、その後、由紀さんが誕生。

その後も、お父さんは、軍需工場の閉鎖など、
戦後処理の仕事を任されていたため、
しばらくは群馬で暮らすのですが、

由紀さんが3歳の時、お父さんの仕事の区切りが付き、
横浜市に引っ越されると、横浜市鶴見区内を転々とした後、
3度目の引っ越しで、ようやくで鶴見区豊岡町に落ち着かれています。

姉・安田祥子を追って「ひばり児童合唱団」に入団

引っ越し先は同じような家が立ち並ぶ長屋だったそうですが、
家から大きな通りを挟んだところにあった小学校の講堂では、
いつも「ひばり児童合唱団」が練習しており、

7歳年上のお姉さん、安田祥子(やすだ さちこ)さんが、
その歌声に惹かれて、毎日稽古を見学していると、

その様子を見ていたご両親が、

そんなに興味があるならば

と、お姉さんを合唱団に入団させ、まだ4歳だった由紀さんも、
毎回お姉さんにくっついて稽古場に行くことに。

以来、由紀さんは、そこで耳にした歌を覚えては、
家で自由気ままに歌っていたそうで、

その後、お姉さんにくっついて、
何度か「ひばり児童合唱団」に通ううち、

どうせなら、あなたも入ったら

と、声をかけてもらい、
一番下のクラスに入団されたのでした。

5歳の頃の由紀さん。

童謡歌手、CM曲の歌い手として

こうして、由紀さんも合唱団で活動するようになると、
小学校1年生の時には、レコード会社のオーディションに合格し、

一足先に歌手デビューされていたお姉さんとともに、
童謡歌手として活動を開始。

姉の安田祥子さん(12歳)と由紀さん(5歳)

中学3年生になる頃には、CM曲を歌う仕事も舞い込むようになり、
ここでも、お姉さんとともにお仕事をされていたのですが、

(幼い頃から合唱団にいた由紀さんは、ぱっと譜面を見るだけで、
 歌うことができたため、その技術を買われてのことだったそうです)

CMでの歌唱は、これまでやってきた、
童謡の歌唱法とはまるで違っていたそうで、

いただいたお仕事だからと、
依頼主の要望に応えようと考える由紀さんに対し、

お姉さんは、依頼主の指摘や要望を、

そんなことするために音楽を勉強しているんじゃない

と、はっきり断るタイプだったため、

由紀さんは、いつも、お姉さんに、

できないなんて言わないで

と言って喧嘩になっていたそうです。

「ヒッチハイク娘」で歌謡歌手としてデビューするも・・・

それでも由紀さんは、長年、
お姉さんには勝てないと思われていたため、

高校進学後は、すでにソプラノ歌手への道を、
歩き始めていたお姉さんの後は追わず、

童謡歌手を続けるか、
大人の世界を歌える歌手になるべきか悩まれると、

1965年2月、17歳の時、
「ヒッチハイク娘」で、歌謡曲の歌手として、
本名の「安田章子」名義でデビュー。

「ヒッチハイク娘」

そして、

1965年5月「どこにいるのパパ」
     8月「お別れの泪」
1966年4月「ふるさとの牧場」

と、シングルをリリースされるのですが・・・

まったく売れずに終わってしまったのでした。

再デビュー曲「夜明けのスキャット」が大ヒット

しかし、その後、由紀さんは、短大に進学すると、
大人の世界を歌えるようにとの修行の意味合いも込めて、
キャバレー、ナイトクラブを周る日々を送りつつ、

NHKの子ども向け番組「おかあさんといっしょ」
にも出演されていると、

その番組を見ていたCM作曲家の目に留まり、
「味の素ハイミー」「チョコレイトはメ・イ・ジ」など、
多くの印象深いCM曲を歌うように。

そして、CM業界でスキャットが流行り始めた頃、

作曲家いずみたくさんが作曲した、
深夜ラジオ番組「夜のバラード」のオープニング曲、
をスキャット(ルルル♪)で歌われると、

放送開始後、リスナーから、
放送局やレコード店に問い合わせが殺到。

この大反響から、2番に歌詞がつけられ、翌年1969年3月、
シングル「夜明けのスキャット」としてリリースされると、
150万枚というミリオンセラーを記録したのでした。

「夜明けのスキャット」

ちなみに、由紀さんは、この曲で、
「安田章子」から「由紀さおり」に改名し、
再デビューを果たされているのですが、

当初は、過去の歌手活動での失敗や、
結婚を控えていたことから、再デビューには消極的で、

いずみさんに説得され、やむなくという感じだったうえ、
リリース直後もあまり話題とならなかったのですが、

札幌のラジオ局のディレクター、竹田健二さんが、
この曲を気に入り、札幌のラジオ局で頻繁に流したところ、

東京のラジオ局でも流れるようになって、
少しずつ認知され始め、ついには、

オリコンシングル週間ヒットチャートで8週に渡って第1位を獲得し、
109万枚を売り上げる大ヒットを記録するなど、
1969年最大のヒット曲となり(2009年現在で150万枚の売上)、

由紀さんは、この年の「第20回NHK紅白歌合戦」
に初出場も果たされるなど、たちまちブレイクされたのでした。

(竹田健二さんは、後に、シンガーソングライターの、
 松山千春さんを発掘されたことから、由紀さんは、
「竹田さんを通して松山さんとは“兄弟弟子”です」と語っておられます。)

(また、当時、新番組として放送予定だったアニメ「サザエさん」のスタッフは、
 由紀さんに主題歌の歌唱を依頼するつもりだったそうですが、
「夜明けのスキャット」での再デビューの時期と重なり、断念したそうです)

「由紀さおり!手紙!ドリフと8時だョ全員集合!伊東四朗とも?」に続く

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