生活もままならない状態で、悠木千帆(現・樹木希林)さんと結婚された岸田森(きしだ しん)さんですが、結婚後、間もなく、テレビドラマ「氷点」「愛しの太陽」「伊都子」で、主婦層の人気を獲得されます。

「岸田森の若い頃は?元妻は樹木希林!岸田今日子との関係は?」からの続き

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「帰ってきたウルトラマン」~降板理由は?

そして、同年の「帰ってきたウルトラマン」では、主人公・郷秀樹の師で兄代わりでもある、足の悪い元レーサー坂田健役を演じられると、

ときに郷を突き放しながらも、その実、誰よりも郷を温かく見守る、人間味あふれる演技で、ただの特撮ものではない人間ドラマに仕立て上げ、


団次郎さんと岸田さん。

退屈だったのと、特撮に興味を持ったので、それでしかできないものを作ってみたくなったから。

との理由から、朱川審(あけかわ しん)名義で、「第35話のプリズ魔の回」などでは脚本も担当。

光をモチーフにしたという「プリズ魔」のイメージから作られた造形は、ウルトラ怪獣随一の美しさと名高く、多くの関連本に登場するほどだったとか。


プリズ魔とウルトラマン

ただ、すでに売れっ子俳優となり、あちこちで引っ張りだことなっていた岸田さんは、スケジュール調整が出来ず、「帰ってきたウルトラマン」を途中降板。

岸田さんが去った後の「帰ってきたウルトラマン」は、人間ドラマとしては、精彩を欠くものとなってしまったとも言われたのでした。

出演作品(テレビドラマ、映画)

それでは、ここで、岸田さんのそのほかの出演作品もご紹介しましょう。

テレビドラマでは、

1962年「短い短い物語」
1963年「星形」
1964年「徳川家康(第一部)」
1965年「この世の花」
1966年 NHK大河ドラマ「源義経」

1967年「三匹の侍」第4シリーズ 第25話
1968年「ザ・ガードマン」第146話
1969年「ポーラテレビ小説『パンとあこがれ』」
1970年「鬼平犯科帳」
1971年「花王愛の劇場『真実一路』」


「ファイヤーマン」より。

1972年「荒野の素浪人」
1973年「ファイヤーマン」
1974年「傷だらけの天使」
1975年「徳川三国志」
1976年「太陽にほえろ! 」第188話

1977年「新・座頭市」第1シリーズ 第19話
1978年「横溝正史シリーズII / 夜歩く」
1979年「土曜ワイド劇場『死刑台のロープウェイ』」
1980年「あいつと俺」
1981年「太陽戦隊サンバルカン」
1982年「火曜サスペンス劇場『可愛い悪魔』」


「太陽戦隊サンバルカン」より。(左から)岸田さん、
川崎龍介さん、五代高之さん、(手前は)根本由美さん。

映画では、

1962年「放浪記」
1964年「二匹の牝犬」
1965年「渡世一代」
1968年「斬る」
1969年「赤毛」

1970年「座頭市と用心棒」
1971年「激動の昭和史 沖縄決戦」
1972年「子連れ狼 親の心子の心」
1973年「化石の森」
1974年「血を吸う薔薇」


「血を吸う薔薇」より。

1975年「黒薔薇昇天」
1976年「エデンの海」
1977年「姿三四郎」
1978年「愛の嵐の中で」
1979年「金田一耕助の冒険」

1980年「動乱」
1981年「モーニングムーンは粗雑に」
1982年「制覇」
1983年「南極物語」
2008年「大決戦!超ウルトラ8兄弟」 ※坂田健の遺影として写真出演


「モーニングムーンは粗雑に」より。岸田さんと新井康弘さん。

ほか、数多くの作品に出演されています。

後妻は三田和代?

ところで、岸田さんのその後のプラベートですが、あれだけラブラブだった悠木千帆(樹木希林)さんとは、岸田さんのお母さんと悠木(樹木)さんとの折り合いが悪く、1968年に離婚され、

その後、時期は不明ですが、銀座のクラブのママと再婚されるのですが、再び離婚。

そして、その後は、女優の三田和代さんと事実婚されています。

ちなみに、プロポーズの言葉は、

俺の葬式を出してくれ

だったそうです。

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死因は?葬儀は?

そんな岸田さんは、1982年12月28日には、「食道ガン」のため、43歳の若さで死去。

プロポーズの言葉通り、葬儀では三田さんが遺影を持って挨拶されたのでした。

(「シーン」と涙ながらに叫ぶ場面が、民放のワイドショーで中継されています)

また、岸田さんを弟のように可愛がっていた若山富三郎さんは、

こんな事になるんだったら、お前を殴ってでも、絶交してでも、酒を辞めさせるべきだった。

と弔辞で話されているのですが、

岸田さんは、もともとお酒に弱く、悠木(樹木)さんと結婚した当初は、お酒の席でもコーラを飲んでいたそうですが、1971年に出演された映画「呪いの館 血を吸う眼」の山本迪夫監督は、

岸田君は朝から酒飲んで体壊しているから(笑)あの顔色見ているとドラキュラにぴったりだなって。

と、岸田さんをドラキュラ役に起用した理由を、冗談めかして語っておられたことがあったそうなので、もしかしたら、いつの頃からか、お酒を飲むようになっていたのかもしれません。

ちなみに、岸田さんは、六本木でバーも経営されていたそうで、岸田さんが学生野球ファンということあり、

岡田彰布さん、松本匡史さんなど当時の東京六大学野球や、東都大学野球リーグの高木豊さんらが、映画評論家の田山力哉さんに連れられて、時折、店を訪れていたそうです。

さて、いかがでしたでしょうか。

無口で陰湿な役柄を多く演じられるも、実際は寂しがり屋で、出演待ち時間にはうるさいほどに、おしゃべりに興じていた岸田さん。

勝新太郎さん、水谷豊さん、松田優作さんなど、
俳優仲間からのオファーを受けての出演も多かったそうで、

その才能あふれる個性的な演技力だけではなく、人間的な魅力にあふれていたのでしょうね。

一度見たら忘れられない、岸田さんのアクの強い演技、この機会にご覧になってはいかがでしょうか。

岸田さんのご冥福をお祈りいたします。

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