加藤登紀子の現在は?娘は?乳がん?百万本のバラ!

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1972年には、周囲の反対を押し切って、藤本敏夫さんと獄中結婚されると、同年には独りで子どもを出産されるなど、波乱に富んだ人生を送られてきた、加藤登紀子(かとう ときこ)さんですが、歌手としての活動は相変わらず順調で、1987年にはシングル「百万本のバラ」がミリオンセラーとなる大ヒットを記録します。

「加藤登紀子の若い頃は学生運動?夫と獄中結婚し出産!馴れ初めは?」からの続き

夫が出所するも・・・

そして、1974年、ようやく、ご主人の藤本敏夫さんが出所され、
加藤さんは、出産した女の子と藤本さんを迎えるのですが・・・

ある時、加藤さんは、藤本さんに、

仕事を辞めろとは言わないが、その金は一切使うな。
俺の稼ぎで暮らせ。

と言われたそうで、

格好いいなと思いつつも、
世間では、刑務所あがりの藤本さんに対し、

どうせ女の稼ぎで食ってるんだろう

と、心無いことを言う人もいるのだと、はっとしたそうで、

加藤さんが、藤本さんのためにと、子育てに仕事に頑張って、
独りで家庭の形を作っていたことも、加藤さんが勝手に選んだ家具の一つとっても、
藤本さんには辛かったのだと気づき、加藤さんも悲しくなったそうです。


(左から)長女、加藤さん、三女、次女、藤本さん。

「鴨川自然王国」設立~別居

それからは、お互い本音を語り合って、
受け入れるけれども、日々の暮らしの中ではやり過ごす、
ということを繰り返されたそうで、

そのうち、藤本さんが、農業や環境問題にのめり込み、
有機農業の普及に関わる活動を始められると、

1981年には、気候が温暖な千葉県の鴨川市に、
多目的農園「鴨川自然王国」を設立。


藤本敏夫さん

当初は、家族全員で鴨川市に移り住む予定が、
加藤さんにとっては、子どもの世話をしつつ、東京に戻って仕事をする、
という二重生活は現実的に厳しく、お二人は別居することとなったのですが・・・

お財布も別々にするという二元生活をして、
お互いに楽になることができました。

別居から離婚へという流れではなく、共に夫婦で居続けるために別居する、
居場所が二つあるという生活を選んだのです。
いろんな形の結婚があっていいのだと思うのです。

と、この別居生活はお互いを楽にし、
かえって、お二人の絆は深まったのでした。


加藤さんと藤本さん♪

「百万本のバラ」がミリオンセラーに

こうして穏やかな生活を送るようになった加藤さんは、
1987年4月に、シングル「百万本のバラ」をリリースすると、

当初の売れ行きはそれほどでもなかったものの、
じわじわと口コミで広がり、発売から2年過ぎた頃には、
100万枚を超える大ヒットを記録。


「百万本のバラ」

実は、この曲の原曲は、ラトビア語の歌謡曲で、ロシア語版、英語版、
ルーマニア語版と、様々な国の言葉に翻訳されていて、

日本語版は加藤さんが翻訳し、1986年に発売されたオリジナルアルバム、
「MY STORY/時には昔の話を」に収録されていたものだったのですが、
問い合わせが相次いだため、シングルカットされたのでした。


MY STORY 時には、昔の話を

ちなみに、この曲は、ロシアの画家ニコ・ピロスマニが、
町を訪れたフランス人女優に恋をしてしまい、その愛を示すため、
彼女の泊まるホテルの前の広場を花で埋めつくした、
というエピソードから作られたものだそうですが、

一途で情熱的な加藤さんが歌ったからこそ、
より、人々の心を打ったのかもしれませんね。

(貧しい画家であるピロスマニが広場を埋め尽くした花は、
 実際には「バラ」ではなかったようですが、よりロマンティックにと、
 歌では「バラ」に変えられたようです)

夫が肝臓がんで死去

その後は、公私共に順調に送られた加藤さんですが、
2002年、30年連れ添われたご主人の藤本さんが、
「肝臓がん」を患われ、闘病の末、58歳で他界。

藤本さんは、最期、

もういいだろう

と、自ら酸素マスクを外されたそうで、

加藤さんは、藤本さんへの想いを、

しばらく歌えなかった。

ラブソングも全部、永訣(えいけつ)の歌になってしまいそうでね。
彼との思い出がまとわりついてくるんですよ。

3年たって、彼への思いをアルバムに託して出したときに、
やっと立ち直れたかな。「運命の人」だからしようがないわね。

と、語っておられます。

娘は?

そんな加藤さんと藤本さんとの間には、
3人の娘さんがおられるそうで、

1972年に加藤さんが独りで出産された、長女の美亜子さんのほか、
(藤本さんによる命名で「美しい亜細亜の子」という意味))

1975年、1980年にも女の子が誕生。

長女の美亜子さんと三女(名前は不明)は、
一般人であるため、詳しいことは分かりませんでしたが、

次女は「Yae」名義で、
1995年に音楽劇「コルチャック先生」で女優デビューされると、
1996年頃からは歌手としても活動されているそうで、

2018年には、アクティビストチーム「MOTHER EARTH」の一員として、
環境省「つなげよう、支えよう森里川海プロジェクト」の、
アンバサダーに任命されているそうです。


加藤さんとYaeさん。

乳がんだった

ところで、加藤さんは、2018年9月、
ラジオ番組「加藤登紀子の地球に乾杯!」で、
過去に「乳がん」を患われていたことを明かされています。

加藤さんによると、1990年11月、
アメリカ・ニューヨーク公演の際に、ふと左胸のしこりに気づき、
まさか・・・と思いつつ、帰国後に病院へ直行すると、

ピンポン球くらいの腫瘍があると診断され、

悪性の可能性が非常に高いので、すぐに手術を。

と言われて、1991年1月9日には、
腫瘍とともに左胸の一部を摘出する手術を受けられたそうで、

手術後2日目から厳しいリハビリをスタートし、1月16日に退院されると、
その翌日の1月17日には、ステージへ復帰されたのだそうです。

ちなみに、加藤さんは、ファンや関係者に気を遣わせたくなかったことから、
病気のことは、身内と事務所関係者にしか明かされていなかったのですが、

2018年10月1日の、
乳がん啓発キャンペーン「ピンクリボンデー」を前に、

がんの早期発見を啓発するためにも、がんだったことを、
打ち明けられる雰囲気をつくりたかった。

と、今回、初めて明かされたとのことでした。

現在は?

さて、いかがでしたでしょうか?

その後は、がんが再発することもなく、
現在もお元気に歌手活動を続けられている加藤さんですが、

そのかたわら、亡き夫、藤本さんが情熱を注いだ、
千葉県鴨川市の「鴨川自然王国」を引き継ぎ、
50種類もの有機野菜を栽培されています。

農作業をするようになったのは、
藤本さんが他界されてからだそうですが、

野菜を作りながら、

土っていうのはいいよね。触って地面を近くに感じると、
命の源がここにあるっていうのが分かってくる。

と、話す加藤さんは、まるで、
藤本さんとの会話を楽しんでいるかのようでした。

「加藤登紀子の幼少期は?東大?両親は?ロシア?誰も誰も知らない!」

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