1970年「姿三四郎」、1972年「人生劇場」で、二枚目俳優としてブレイクし、その後も、「だいこんの花」「おやじのヒゲ」等のホームドラマでお茶の間の人気を博した、竹脇無我(たけわき むが)さんですが、1986年、スキャンダルが発覚してしまいます。

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出身は?本名は?父親は自殺!

竹脇さんは、1944年2月17日生まれ、
千葉県我孫子市のご出身、

血液型はA型、

学歴は、
青山学院中等部・青山学院高等部
⇒青山学院大学法学部卒業

ちなみに、竹脇無我は本名で、
最初は、お父さんの命名により、「宇宙」という名前になるところ、
お母さんの反対で「無我」となったそうです。

(このお父さん、竹脇昌作(たけわき しょうさく)さんといい、
 ニュース映画のナレーターやラジオのパーソナリティをされ、
 その独特の語り口調でマダムキラーと言われるなど、一世を風靡した、
 名アナウンサーだったそうですが、過密なスケジュールが原因で、
 「重度のうつ病」となり、半年の闘病のち、自殺されています。)


竹脇昌作さん

「姿三四郎」「だいこんの花」「おやじのヒゲ」

竹脇さんは、1959年、15歳の時に、
お父さんが「重度のうつ病」により49歳で自殺、

翌年の1960年には、2番目のお兄さん、真理(まこと)さんも、
18歳の若さで「脳腫瘍」で亡くなったことから、

一家の経済状況を立て直すため、
お父さんの友人の紹介で映画界に入られると、

1960年、大学在学中には、
「しかも彼等は行く」で映画デビュー。

その後は、

映画では、

1961年「めぐり逢う日まで」
1962年「京子の初恋 八十八夜の月」
1963年「『可否道』より なんじゃもんじゃ」
1964年「乾いた花」
1965年「アンコ椿は恋の花」(初のメインキャスト)


「アンコ椿は恋の花」より。竹脇さんと香山美子さん。

テレビドラマでは、

1966年「東芝日曜劇場『流鏑馬(やぶさめ』」
1968年「木下恵介アワー『おやじ太鼓』」
     「木下恵介アワー『3人家族』」

1969年「S・Hは恋のイニシャル」


「3人家族」より。栗原小巻さんと竹脇さん。

と出演されると、

1970年には、
映画「姿三四郎」(主人公・姿三四郎役)


「姿三四郎」より。

1972年には、
任侠映画「人生劇場」(主人公・青成瓢吉役)


「人生劇場」より。津島恵子さんと竹脇さん。

で、一躍、クールな二枚目俳優としてブレイク。

1970~1974年には、「だいこんの花」シリーズ


「だいこんの花」より。竹脇さんと森繁久彌さん。

1984~1996年には、「おやじのヒゲ」シリーズ


「おやじのヒゲ」より。
(左から)樹木希林さん、竹脇さん、森繁久彌さん。

など、ホームドラマで、森繁久彌さんと親子役を演じられ、
お茶の間の人気者となられています。

失明した長兄がマネージャーだった

ちなみに、竹脇さんのブレイクの裏には、
竹脇さんの一番上のお兄さんである、
義果(よしみ)さんのバックアップがあったそうで、

当初は、義果さんは、お父さん同様、
アナウンサーとしてラジオ局に就職されていたのですが、

1969年頃、眼の病気でほとんど視力を無くしてしまい、
ラジオ局を辞めざるを得なくなってしまうと、

それをきっかけに、かつてのお父さんのように、弟の無我さんをスターにしたいと、
無我さんのマネージャーとなられ、尽力されたそうです。


竹脇義果さん

ただ、1976年頃には、兄弟という近すぎる関係ゆえか、
マネージャーを辞められています。

十朱幸代と不倫

さて、そんなお兄さんのバックアップもあって、
順調満帆な俳優生活を送られていた竹脇さんは、

プライベートでも、1970年には、
2歳年下の青山学院大学の後輩だった女性と結婚され、
2人の女の子が誕生していたのですが、

1986年2月15日、深夜1時に、
女優の十朱幸代さんと南青山でデートしていたところを、
写真週刊誌「FRIDAY」にスクープされてしまいます。

ただ、お二人は、当時、川端康成原作の舞台「雪国」で、
竹脇さんが主役の島村役、相手役の駒子役を十朱さんが演じており、

十朱さん側が、事務所社長らスタッフも同伴していたと釈明されると、
(確かに、写真も単に路上を2人で歩いているだけだったため)
舞台の共演者同士が飲みに行ったものと、一旦は収まったのですが・・・

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元宝塚トップスター安奈淳とも

このスクープがきっかけとなり、
竹脇さんが、知人に、

帰りが遅くなると、家に入れてもらえず、
車庫の車の中に寝ている。

と、奥さんの愚痴をこぼすなど、
すでに夫婦関係が冷え切っていたことや、

同時期、銀座のクラブのママ、スチュワーデスら、
複数の女性と浮気をしていたことが週刊誌で報じられるなど、
次々と私生活が明かされていくと、

1988年には、ついに、奥さんと別居となり、
十朱さんの家から朝帰りしたり、一緒に食事する姿が目撃されるようになります。

そして、竹脇さんも、

公にすべき時期が来たらきちんとお話しします。

と、奥さんとはきちんと離婚し、十朱さんと正式に入籍するのでは、
と思わせる発言を繰り返していたのですが、

高額の慰謝料(10億円とも)に、
なかなか離婚になかなか踏み切ることができず、

なんと、翌年の1989年には、十朱さんではなく、
元宝塚トップスター、安奈淳さんのマンションから、
仲良く仕事に出かけるところがスクープ。

さすがの人気二枚目俳優だった竹脇さんの人気も、
すっかり急降下してしまったのでした。

「竹脇無我の死因は?松山英太郎の死でうつ病も森繁久彌との絆で回復!」に続く

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