十朱幸代さんのお父さんとして知られている、十朱久雄(とあけ ひさお)さんですが、実は、戦後、250本を超える映画に出演していた、名個性派俳優でした。

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年齢は?出身は?本名は?

十朱さんは、1908年9月8日生まれ、
東京府東京市日本橋区小網町のご出身、
(現・東京都中央区日本橋小網町)

本名は、
小倉久雄(おぐら ひさお)、

学歴は、
暁星小学校
⇒京華中学校
⇒法政大学経済学部大学卒業

娘は、
女優の十朱幸代さん、

母方のおじいさんは、
落語家の初代三遊亭遊三さん、

義叔父(母の姉の夫)には、
劇作家で演出家の松居松葉さんがおられます。

若い頃は?死因は?

十朱さんは、幼い頃から芸の世界に親しまれ、大学在学中の1928年、
高見順さん主宰の劇団「制作座」に参加されると、

1930年には、大学の先輩、三島雅夫さんの紹介で知り合われた金杉惇郎さん、
フランスから演技の修行帰りだった長岡輝子さんらが結成した、
「テアトル・コメディ」の創立に参加され、
「ジャン・ド・ラ・リュンヌ」の主演で初舞台。

その後は、「テアトル・コメディ」の舞台で活動されていたのですが、
1936年に、「テアトル・コメディ」が解散すると、
同年には、全盛期を迎えていた大衆劇場「ムーラン・ルージュ」に入団。

そして、翌年の1937年、これからという時、
麻苧(あさお)商を営んでいたお父さんの意向で、
奈良県にある繊維会社に就職し、芸能界から遠ざかるのですが、

やはり、お芝居が忘れられなかったのか、
1946年にNHK大阪放送局のラジオ出演で芸能界に復帰されると、
1950年7月には東京に戻り、「文学座」の客員で舞台にも復帰。

その後は、「文学座」の舞台で活動しつつ、
1951年「自由学校」で映画デビューされると、

1951年「純白の夜」
     「海の花火」
1952年「本日休診」
     「お茶漬の味」

と、立て続けに映画に出演され、
1953年には「文学座」を退団して、映画に専念されています。

また、1957年からはテレビドラマにも出演されるようになり、
「大きく後退した額」「長い顎」をトレードマークに、
お洒落でキザな中年の都会人役、会社の専務・社長役、校長先生役ほか、
ユニークな脇役として活躍されていたのですが、

1985年12月18日、
「肺がん」のため、77歳で他界されています。

出演作品(映画、テレビドラマ)

それでは、ここで、
十朱さんのそのほかの出演作品もご紹介しましょう。

映画では、

1953年「東京物語」
1954年「近松物語」
1955年「警察日記」
1956年「赤線地帯」
1957年「雲の墓標より 空ゆかば」


「近松物語」より。左端が十朱さん。

1958年「彼岸花」
1959年「危険旅行」
1960年「秋日和」
1961年「ゼロの焦点」
1962年「ぶらりぶらぶら物語」


「秋日和」より。南美江さんと十朱さん。

1963年「やくざの歌」
1964年「世界詐欺物語・日本篇」
1965年「悪魔のようなすてきな奴」
1966年「ひき逃げ」
1967年「日本一の男の中の男」
1968年「ケメ子の唄」


「世界詐欺物語・日本篇」より。岸田森さん(左)と十朱さん。


「日本一の男の中の男」より。十朱さんと岡田眞澄さん。

1969年「水戸黄門漫遊記」
1970年「トラ・トラ・トラ!」
1971年「父ちゃんのポーが聞える」
1972年「無宿人御子神の丈吉 牙は引き裂いた」
1974年「女房を早死にさせる方法」
1976年「愛と誠・完結篇」

テレビドラマでは、

1953年「夜ふけのブランコの音」
1957年「山一名作劇場『坊つちやん』」
1958年「私は貝になりたい」
1959年「山崎豊子短編集 遺留品」
1960年「百万人の劇場『娘の縁談』」

1961年「東芝土曜劇場『消えた設計図』」
1962年「夫婦百景『三人の妻』」
1963年「孤独の賭け」
1964年「東芝日曜劇場『川』」
1965年「青春とはなんだ」

1966~1967年「丸出だめ夫」
1967年「あいつと私」
1968年「フジ三太郎」第1話
1969年「サインはV」
1970年「大坂城の女」


「丸出だめ夫」より。左が十朱さん、右の少年は保積ぺぺさん。

1971年「プレイガール」第125話
1972年「花は花よめ」
1973年「旗本退屈男」
1974年「華麗なる一族」
1975年「マチャアキの森の石松」第1話
1977年「日本の戦後」


「プレイガール」より。

ほか、数多くの作品に出演されており、
特に、映画は250本を超える作品に出演されています。

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妻は?

そんな十朱さんは、1939年に一般女性の光子さんと結婚し、
息子さん1人と、娘さん2人を設けられているのですが、


十朱さんと光子さん。

長女の十朱幸代さんによると、

普段は優しいお父さんながらも、酔っ払うとお母さんに怒り出し、
一番大事なおかずを投げつけたり、ちゃぶ台をひっくり返すなど、
大暴れしていたほか、

好きなお芝居だけでは生活が苦しく、
お母さんが、氷屋や手作りコロッケの販売などで、
家計を支えられていたそうなので、

典型的な昔気質の男性だったようですね。

さて、現在では「十朱幸代さんの父」としか語られなくなった十朱さんですが、
実は、戦後、数多くの映画に出演された個性派俳優。

確かに、一度見たら忘れられない風貌で、
現在なら名バイプレーヤーともてはやされていたかもしれませんね。

これを機会に、十朱さんの軽妙洒脱な演技を、
ご覧になってはいかがでしょう♪


十朱久雄さんと娘の十朱幸代さん。

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