妙な英語混じりの言葉遣いとクドいルックスでお馴染みの、ルー大柴(るーおおしば)さんですが、実は、その言葉遣いは、少年時代に由来したもの。そして、当初は真剣に俳優を目指しておられたのでした。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?芸名の由来は?

ルーさんは、1954年1月14日生まれ、
東京都新宿区市谷冨久町のご出身、

身長172センチ、
体重65キロ、

血液型はA型、

学歴は、
立教高等学校(現・立教新座高等学校)卒業、

趣味は、
ドジョウ・メダカなどの採集・飼育、クラシック音楽鑑賞、
切手・葉書集め、おいしい立ち食いそば屋探し、
アクセサリー作り(ホースネイル)、太極拳、墨絵、

ちなみに、芸名は、大柴允人(まさひと)⇒大柴亨介を経て、
「ルー大柴」となっているのですが、「ルー」は、
本名・大柴亨の「亨(とおる)」から取ったもので、

お父さんが、家のなかで暴れていた幼いルーさんを、
「ルー台風」と呼んでいたのが由来だそうです♪

父親はバイリンガル、彼女も帰国子女

ルーさんは、旧満州ハルビン出身のお父さんが、
英語、ロシア語、中国語が堪能だったそうで、

ストロベリー、イートしなさい

のように、時々、英語交じりで話したり、
ハグやキスをされて育ったほか、

高校時代には、彼女が帰国子女だったため、

リアリー?

ユーが好き

と、こちらも英語交じりで会話をされていたそうで、
ちょっと普通の日本人とは違う環境で育たれたそうです。


前列左がルーさん、隣がお父さん、後列は、お母さんとおじいさん。

幼稚園から俳優志望

そんなルーさんは、幼稚園の学芸会で拍手を浴びて以来、
俳優になるのが夢だったのですが、

高校生の時、両親が離婚することになり、
その時、姉が異父兄弟であることが判明したそうで、
(お父さんは初婚ですが、お母さんが二度目の結婚で、
 お姉さんは、お母さんの連れ子)

その後はとにかく早く家を出たくなり、高校卒業後はすぐに、
自由を求めてヨーロッパ放浪の旅に出発。


高校時代のルーさん。

旅先では、ロンドンから、オランダ、デンマーク、スウェーデンと、
ヒッチハイクし、自作のアクセサリーを露天販売したり、
ギターを弾いたり歌ったりして旅を続けていたそうで、

最初は怖かったものの、自分からオープンにすると、
次第に世界中から集まった若者たちと仲良くなって、
出会った人の家に泊めてもらうようにもなり、

世界各地を公演でめぐる旅芸人になろうかな・・・

と、思うようになっていたのですが・・・

そんなある日のこと、おじいさんの他界の知らせを聞き、日本に帰国すると、
ルーさんを待っていたのは、相続を巡る親戚同士の争いや、
高校時代からの彼女の突然の他界ほか、悲惨な出来事の連続。

そのため、ルーさんはノイローゼ状態になってしまい、
ガス管を口にくわえて、自殺を試みたこともあったそうで、
(ただし、気持ち悪くなってすぐにやめたそうです)
自分はあまりに弱い人間であることを痛感されたのでした。

俳優デビューするも鳴かず飛ばずの日々

しかし、「俳優になる」という夢があったことを思い出し、

死ぬのはいつでもできる。
バイマイセルフで生きて、夢に挑戦してみようじゃないか。

と、思われると、

再び家を出て、六本木のバーでボーイをしながら、
本格的に俳優を目指し(三橋達也さんの付き人もされていたようです)、
1977年、23歳の時には、「俺たちの朝」の端役でテレビドラマデビュー。


「俺たちの朝」より。

1979年には、勝新太郎さん主宰の「勝アカデミー」に第一期生として参加し、
講師だった岸田森さんの教えも受けるのですが・・・

俳優としては、まったく芽が出ず、
司会業やモデル業で生計を立て、気がついたら30代。

夢もお金もなく惨めな気持ちを抱えながら、ティッシュ配りや、
チラシのモデルほか、どんなアルバイトでもこなされたのでした。

(ただ、バブルで景気が良かったため、次第に、
 食べていけるようにはなったそうです)

関根勤と?

そんな中、「勝アカデミー」で同期だった小堺一機さんの、
当時、相方をされていた関根勤さんから、

ルー、ラジオに出てみない?

と、一本の電話があり、

最初は、

俺は別の仕事で食べていくんだから。

と、断られていたのですが、
頼み込まれて1回だけ出たところ、それが大ウケ。

実は、関根さんは、「勝アカデミー」での稽古中に、
ルーさんと知り合われたそうですが、

稽古中、ルーさんが役になりきり、真剣に演技をしている様子が、
おかしくておかしくて、客席で口を隠して笑いをこらえながら震えていたほか、

ルーさんがアルバイトでモデルをされていた時にも、

「カジュアルなスタイルにウエストポーチをつけた格好」

がおかしくて、ゲラゲラと笑い転げるなど、
(もちろん、ルーさんはばっちりポーズを決めていたつもり)
ルーさんのコミカルな素質を見抜いておられたそうで、

ルーさんは、

今になって考えれば、役者を目指していた頃は、
勘違いしていたんだろうね。

シリアスに演じているつもりなのに、
必死にやればやるほどコミカルになっちゃう。
コメディ向きだったんだよ。

と、振り返っておられました♪

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アデランスのCMでブレイク

こうして、ルーさんは、1989年、35歳の時、
関根さんが主宰する劇団「カンコンキンシアター」の旗揚げに参加し、
クドくてアクの強い独特のキャラクターが注目されると、


(左から)ラッキィ池田さん、関根勤さん、ルーさん。

同年、出演されたアデランスのCMでの、

トゥギャザーしようぜ!!

のキャッチフレーズが大ブレイク。

その後は、「浅草橋ヤング洋品店」の司会、「笑っていいとも!」のレギュラーなど、
タレントとして、全テレビ局でレギュラー番組を持つようになったほか、


(後列左から)清水圭さん、浅草キッド(玉袋筋太郎さん、水道橋博士さん)、くろすとしゆきさん、RIKACOさん、
(前列左から)清水ミチコさん、ルーさん、小林幸子さん、近田春夫さん。

強烈な個性とは裏腹に、渋い脇役もこなせる俳優として、
NHK大河ドラマや舞台にも出演されるなど、
念願の俳優としても活躍を果たされ、


NHK大河ドラマ「花の乱」(1994年)より。
骨皮道賢に扮するルーさん。

笑われるのは怖かった。けれど34歳になっていたから、もう後がない。
そもそも僕は20代でフェイマスになっているはずだったんだ。

「34歳のオヤジにいまさら何ができる?」って心の葛藤はあったよ。
でも、意地が残っていたんだね。完全に諦めようとすると、
反対した人たちの「それみたことか」という声が聞こえてくる。

とにかく1度でもいいから有名になりたい。それで自分の殻を全部破って、
「ルー大柴」っていうパーソナリティになりきった。
そのアクの強いキャラクターが受け入れられたんだね。

と、ルーさんも後に振り返っておられるのですが・・・

そんなルーさんも、徐々に飽きられ、
40代に入ると仕事は激減してしまいます。

「ルー大柴の語録は?英語力は?妻子は?茶道?ナイトスクープで神回!」に続く

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