岡田真澄の死因は?嫁は?娘は?息子は?三男が自殺!

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女優の瑳峨三智子さんと婚約を解消されると、その後も、結婚⇒離婚⇒再々婚、と自由気ままな生活を謳歌されていた、岡田真澄(おかだ ますみ)さんですが、その陰には、家族の大きな犠牲があったようです。

「岡田真澄の女性遍歴が凄い!ママコと期限付結婚?瑳峨三智子とは借金のため?」からの続き

再婚⇒離婚⇒再々婚

そして、1972年には、同じ「劇団欅」に所属していた、
女優の藤田みどりさんと再婚し、3人の男の子が誕生するのですが、


岡田さんと藤田みどりさん。

結婚22年の1994年には離婚。

実は、長男の眞善(しんぜん)さんによると、
岡田さんは、1994年、藤田さんに、

映画を作る為に借金をするので、家族に迷惑が掛かる。
その為、書面上だけ離婚してくれ。

と言って、離婚されたそうですが、

なんと、翌年の1995年には、
日本航空の客室乗務員だった26歳下の恵子さんと再々婚し、

ボクにとっては天使のように透明感あふれる人。

と、恵子さんについてコメントされたのでした。

(それ以降、当然ながら、岡田さんと、藤田さん&3人の息子さんは、
 絶縁状態となってしまったとのことでした。)

三男が自殺

ところで、その藤田さんとの3人の息子さんですが、

1973年に誕生した長男の眞善(しんぜん)さんは、
俳優、ラジオパーソナリティー、

次男は一般人、

三男は、舞台製作を手がける、
大手芸能事務所に在籍されていたのですが、

この三男は、2007年7月21日、
26歳の時、田園調布の自宅で自殺されています。

というのも、当時、三男は、
プロデューサーになって初めての全国規模の舞台に関わり、
お父さんの岡田さんをキャスティングされていたのですが、

舞台公演の1週間前になって、急に岡田さんが、
娘の運動会を理由に降板したことから、代役も立てられず、

全国の劇場に迷惑をかけてしまったばかりではなく、
多額の違約金を支払わなくてはいけなくなってしまったそうで、

そのことに責任を感じた三男は、会社のために生命保険をかけ、
家族のために、遺族年金の手続きをして自殺してしまったのでした。

ちなみに、岡田さんが降板理由としてあげた、
「娘の運動会」「娘」とは、

1995年に再々婚した恵子さんとの間に、
1998年に誕生した、朋峰(ともみ)さんで、

当時、すでに63歳と高齢だった岡田さんは、

愛はバイアグラを超えました。

とコメントし、注目を集めているのですが、

この朋峰さん、青山学院大学在学中の2018年10月23日には、
2019年の「ミス・インターナショナル世界大会」の日本代表に輝いています。

(英語、フランス語、日本語が堪能だった岡田さんは、
 2005年までミス・インターナショナル世界大会の司会を務めていました)

死因は?

こうして、自由奔放に生きてこられた岡田さんですが、
2005年7月23日に、「食道がん」が見つかり入院されると、

(司会をしていたクイズ番組「サルヂエ」は2005年7月11日放送分で降板)

その後は、一時期、快方に向かい、レギュラーだった、
「午後は○○おもいッきりテレビ」に徐々に出演されるなど、
芸能活動を再開されるようになるのですが、

同年秋、リンパ節へのがんの転移が判明し、再び入院すると、
翌年の2006年5月29日、「食道がん」のため、
70歳で他界されたのでした。

長男が「偽装家族」を暴露

ところで、2014年、長男の眞善さんが、
バラエティ番組「爆報!THE フライデー」に出演されると、

「ベストファーザー賞」を受賞されるほか、たびたび、
裕福な家族生活がテレビで取り上げられていた、
セレブで華やかなイメージの強い父・岡田さんのことを、

実は極貧生活を送り、華やかな暮らしぶりは、
俳優としてのイメージを守るための偽装で、

例えば・・・

  • 人前で家族写真を撮る時は、ブランド物をレンタル。
  • パーティー会場に現れる際、自分の軽自動車で会場の50メートル手前まで乗り、
    近くの駐車場に停めて、レンタルした高級車に乗り換える。
  • 普段の食事は、ごはん、味噌汁、おしんこだけ。
  • 小学校で使う糊(のり)が買えず、ご飯をつぶして糊代わりにしていた。

と暴露。

また、とんねるずのみなさんのおかげです」「仮面ノリダー」のコーナー、
「ファンファン大佐」役でブレイクし、仕事が増えてからも、

家にはほとんど生活費を入れず、
滅多に家にも帰ってこなかったそうで、

眞善さんは、そんなお父さんを、

俳優としては一流、人としては最低。

と、ぶった切られています。

とはいえ、自身も同じ俳優となったことから、
イメージを保つことの重要性が理解できるようになったり、

自身の原稿の読み方が、父親に似ている、
と思う瞬間があるとも明かされており、

父親の存在があってこそ今の自分がある。

とも語っておられました。

さて、いかがでしたでしょうか。

実は、余命が僅かだと悟った岡田さんは、絶縁状態だった息子さんたちに、
「会いたい」と連絡し、再会を果たしていたそうで、
最後の最後に、息子さんたちと和解できてよかったですね。

岡田さんのご冥福をお祈りいたします。

「岡田真澄の若い頃は?兄は?ハーフ?ファンファン大佐?」

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