都はるみが引退!総資産は?離婚理由は?不倫同棲?

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名実ともに日本を代表する演歌歌手となり、プライベートでも13年越しの愛を実らせた、都はるみ(みやこ はるみ)さんですが・・・

「都はるみの若い頃は?韓国人?結婚は?大阪しぐれ!北の宿から!」からの続き

朝月廣臣と離婚

こうして、お二人は、13年越しに、
ようやくゴールインされたのですが、

結婚後、ご主人の朝月廣臣さんは、
都さんが「私ついていけない」と反対されるも、

いいよ、ついて来なくて。女にはわからない。

と、写植会社を畳んで、
銀座7丁目に紳士服のオーダーメイドの店をオープンされると、

やがて、毎晩のように銀座のクラブに通い、
ホステスを口説くようになったそうで、

都さんが、怒って朝月さんの服を水浸しにするなど、
夫婦喧嘩が耐えなかったほか、連日のクラブ遊びのせいで店は火の車。

それでも、1981年には、夫婦でデュエット曲「ふたりの大阪」
を発売して話題となるも、(朝月さんは「宮崎雅」名義)


「ふたりの大阪」

結局お二人の関係は修復不能となり、
結婚から4年後、1982年に離婚となったのでした。

中村一好と不倫同棲

その後まもなく、都さんは、コロムビアの担当ディレクターだった、
中村一好さんと交際(同棲)を開始するのですが、中村さんには妻子が・・・


中村一好さん

当然ながら、お母さんや事務所は猛反対するのですが、
稼ぎ頭の都さんに強く意見を言える者は誰もおらず。

それでも、中村さんが離婚すれば、
周囲の反対もおさまったかもしれませんが、

中村さんの奥さんが頑として離婚に応じなかったため、
離婚することができず、お二人は内縁関係を続けたのでした。

引退~総資産は?

そんな中、都さんは、歌手として人気実力ともに絶頂だった、
1984年3月5日、36歳の時、突然、記者会見を開くと、

大きく溜息をついて、開口一番、

いつもこういう会見ばかりで申し訳ありません。

と、切り出し、

「北の宿から」でレコード大賞(76年)をいただいた頃、
母から「もうやめたら」と言われました。

私もずっとその言葉を意識してきました。デビュー20周年の今年で、
「けじめ」をつけ、(本名の)北村春美に戻ることにしました。

枯れた歌を歌っていくのはイヤです。

何の悔いもありません、本当にありがとうございました。
これからはフツーのオバさんをやります。

と、引退を宣言。

そして、その直後、テレビのリポーターから、

引退は(ディレクターだった)男性との結婚を決意したのか。妻子がいるが。

と質問が飛ぶと、一瞬戸惑うも、

そのことは関係ありません。自分の生き方は自分で決めることで、
他人によって決められるものではありません。

と、中村さんとのことは否定されたのでした。

(その年の「NHK紅白歌合戦」を最後に、歌手を引退されています。)

ちなみに、都さんのそれまでのレコードの総売上は581億円、
公演(1日のギャラは600万円)は2000回で1000億円を超えており、

都さんの資産は、都内と京都のマンション、
ステージ衣装500着、宝石類、貯金などで総額推定12億円!

「何の悔いもない」との言葉は、説得力がありました。

プロデュース業で芸能界復帰

その後、都さんは、復帰を望まれながらも、頑なに否定されていたのですが、
引退から3年目の1987年には、なんと、音楽プロデューサーとして芸能界に復帰。

全国各地でオーディションを行い、佐賀県出身の大和さくらさんを、
「王将一代 小春しぐれ」で演歌歌手としてデビューさせると、

記者会見や雑誌インタビューの席に都さんが同席されるほか、
所属事務所(サンミュージック)がプロモーションチームが組むなど、
大々的なバックアップのおかげもありスマッシュヒットを飛ばすのですが・・・


「王将一代 小春しぐれ」

いかんせん、時代は、「Wink」「光GENJI」などアイドル全盛期となっており、
2年目以降は、活躍の場が激減し、低迷してしまったのでした。

(ちなみに、都さんは、韓国出身のキム・ヨンジャさんも、
 プロデュースされたようですが、こちらも鳴かず飛ばずだったようです。)

美空ひばりの死で歌手活動も復帰?

その後、都さんは、1989年、テレビ番組「サンデープロジェクト」に、
「普通のおばさん代表」として、コメンテーターおよび、
スポーツコーナーのレポーターを務められているのですが、

同年6月に美空ひばりさんが亡くなった際、
番組内で美空さんについてコメントを求められると、

私たち歌手というのは多くの場合、「歌がうまい人」です。
けれども、ひばりさんは「全身歌手」で他の人とはまったく違った。

と、涙を浮かべながら、コメントを発表。

この時、なにか心境の変化があったのか、

都さんは、この年、一夜限りという前提で、「第40回NHK紅白歌合戦」に出場されると、
「アンコ椿は恋の花」を歌唱し、まる5年ぶりだったステージにもかかわらず、
以前と変わらぬ歌声を披露。

この紅白でのパーフォマンスで、また歌う事への確信が持てたのか、
「2度と復帰はしない」と断言していた言葉を撤回し、翌年の1990年には、
「NHKホール」でのコンサートで、歌手活動に完全復帰されたのでした。

「都はるみの現在は?重大な病気?内縁の夫の自殺原因は?」に続く

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