島倉千代子の元夫は阪神の藤本勝巳!離婚理由は?子どもは?

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「この世の花」「逢いたいなァ あの人に」「東京だョおっ母さん」など、次々とヒット曲を連発し、日本を代表する演歌歌手となられた島倉千代子(しまくら ちよこ)さんですが、1961年を境に、一転、様々な不幸に見舞われます。

「島倉千代子の若い頃は?幼少期に大怪我!この世の花!美空ひばりの?」からの続き

失明の危機~爆破事件

1960年には、当時の人気歌手、美空ひばりさんを抑え、
初めて「NHK紅白歌合戦」の紅組トリを務められるなど、
人気絶頂だった島倉さんですが、

1961年、23歳の時には、
ファンの投げたテープの芯が両目に当たって、失明の危機にさらされ、
「守屋眼科」の医師、守屋義人さんが治療し、無事に視力を回復。)

1962年、24歳の時には、「草加次郎」を名乗る何者かによって、
後援会事務所に爆発物が送りつけられて、事務員が負傷するなど、
(犯人逮捕に至らないまま公訴時効が成立し、未解決事件に。)
立て続けに不幸が続きます。

阪神タイガースの藤本勝巳と婚約

そんな中、島倉さんは、1962年10月25日、
東京・新橋の第一ホテル新館で、阪神タイガースの藤本勝巳内野手と、
約30分の記者会見を開き、婚約を発表。


婚約会見する藤本勝巳さんと島倉さん。

(藤本選手も、当時、阪神タイガースの4番打者ということで人気があり、
 人気野球選手と人気演歌歌手の婚約発表は、報道陣が約100人も集まるほか、
 写真撮影と記者会見が別々に行われるほどの盛況ぶりだったそうです)

お二人は、1959年、テレビで島倉さんを見た藤本さんが、島倉さんのファンになり、
電話をかけられたことがきっかけで知り合われ、交際に発展すると、

島倉さんが目のケガをした1961年7月には、
藤本さんが島倉さんにプロポーズをされ、

島倉さんは、

片目が見えなくなるかも知れないと言われていたので・・・うれしかった。

藤本さんは、

千代子さんのすべてが気に入った。
彼女の歌ではデビュー曲の「この世の花」が好き。

と、ラブラブぶりをアピール。

このまま幸せな結婚かと思われたのですが・・・

父親の死~結婚~離婚理由は?

翌年の1963年には、島倉さんのお父さんが他界。

そして、まだ喪が明けていないにもかかわらず、
島倉さんは、年内に結婚すると言って聞かずに家族ともめ、

最終的にはお母さんが折れて、持参金1000万円を持たせてもらい、
同年12月には結婚されるのですが、


中央の2人が島倉さんと藤本勝巳さん。
両端は媒酌人となった当時の阪神監督・藤本定義夫妻。

結婚早々(藤本さんに頼まれたのか)預金を解約し、
藤本さんのもともとあった背広屋への借金返済に充てられると、

1967年、藤本さんがプロ野球を引退して、大阪道頓堀にクラブを開店された際にも、
(藤本さんが島倉さんに開業資金を要求したのか)島倉さんは、お金を借りに銀行へ。

ただ、島倉さんは、姑からのイジメに遭ったことも重なって、
すでに、結婚して1週間そこらで、藤本さんへの愛が冷めていたそうで、

その銀行の頭取が、島倉さんのファンだったことから、
このお金で藤本さんと縁を切るようにと、4000万円を貸してくれると、
この4000万円と引き換えに、藤本さんに離婚を要求。

すると、藤本さんは、離婚届けに判を押さないばかりか、
ストーカー行為を繰り返した挙げ句、

もう4000万円くれ

と、要求してきたそうで、

どうしても別れたかった島倉さんは、この要求を受け入れ、
再び頭取に4000万円貸してもらうと、ようやく、
1968年、藤本さんと協議離婚が成立したのでした。

子どもは?

ちなみに、島倉さんは、藤本さんとの間で3度妊娠しているのですが、
経済的に苦しかったことや、芸能活動を続けるために、
3度とも中絶(うち一人は結婚前に中絶)するなど、
決して幸せとはいえない結婚生活だったようです。

(※当時は現在とは違い、中絶の感覚が軽い時代で、特に芸能界では、
 出産すると芸の道が絶たれるため、中絶はよくあることでした。)

「島倉千代子が16億円借金地獄!細木数子に搾取されていた!」に続く

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