橋田壽賀子の夫の死因は?石井ふく子との愛と死をみつめてが大ヒット!

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映画会社「松竹」に脚本家として入社するも、男社会だったことから仕事がなく、ついに入社10年で退職された、橋田壽賀子 (はしだ すがこ) さん。その後はフリーの脚本家に転身し、テレビドラマの面白さに目覚められます。

「橋田壽賀子は韓国人?年齢は?若い頃は文章が苦手だった!」からの続き

「夫婦百景」でテレビドラマ脚本家デビュー

実は、この頃、橋田さんは、
少女小説や少女漫画の原作も書いていたそうで、そんなアテもあり、

なんとなかなる

と、後先考えずに「松竹」を辞めてしまったのですが、
ほどなくして、担当していた少女漫画は廃刊。

そこで、フリーの脚本家として、テレビドラマの脚本を書き、
各テレビ局に売り込みを始めます。

そして、そんなある時、
以前、脚本を渡したテレビドラマのプロデューサーに、

どうでしたか?

と聞くと、

なくしてしまった。ごめんね。

と言われたため、

一晩で書き直して持っていったところ、
なんと、橋田さんが書いたセリフがそのまま放送されたそうで、
(これが、「夫婦百景」(1958年)で橋田さんのテレビドラマ脚本デビュー作)

これに感動した橋田さんは、

テレビでは脚本が大切にされる

これからはテレビだ

と、やる気になったのでした。
(当時は、映画が一流、テレビは二流とされた時代でした)

石井ふくことの出会い~「愛と死をみつめて」が大ヒット

ところで、橋田さんといえば、数多くの作品で、
プロデューサーの石井ふく子さんとコンビを組まれているのですが、

橋田さんが初めて石井さんから依頼されたのは、
1964年、ホームドラマ「袋を渡せば」で、

同年、再び、石井さんの依頼で、「愛と死をみつめて」の脚本を担当されると、
骨肉腫になった女子学生とその恋人の、実話を基にしたドラマは高視聴率を記録。


「愛と死をみつめて」より。山本學さんと大空眞弓さん。

この成功で、橋田さんは、
一躍、テレビドラマの脚本家として知名度を上げられたのですが、

実は、本当は1時間枠のところ、脚本の都合で2時間枠になってしまったため、
スポンサーが渋ったそうですが、石井さんがスポンサーと交渉してくれた結果、
2時間枠で放送されたという経緯があったそうで、

それ以来、橋田さんは、
石井さんにずっとついていこうと決心されたのだそうです。

結婚は?夫は?

以降、橋田さんは、

1964~1967年「ただいま11人」
1964年 東芝日曜劇場「女の気持ち」
      東芝日曜劇場「あたしとあなたのシリーズ1 ちっちゃな家庭」
      東芝日曜劇場「五月の嵐」
1965年 東芝日曜劇場「ママ日曜でありがとう(第1部)」
      東芝日曜劇場「ママ日曜でありがとう(第2部)」
      東芝日曜劇場「あたしとあなたのシリーズ3 夫よりも妻よりも」
      東芝日曜劇場「時間ですよ」
      東芝日曜劇場「続・ママ日曜でありがとう」
      東芝日曜劇場「芸術参加作品 菊の香高く」


「ママ日曜でありがとう」より。山内明さんと香川京子さん。

1966年 東芝日曜劇場「あゝ結婚」
      東芝日曜劇場「あたしとあなたのシリーズ5 出番です…奥様」
      東芝日曜劇場「あたしとあなたのシリーズ6 牛乳とブランディー」
      東芝日曜劇場「ウーベの子守歌」
      東芝日曜劇場「玉子の結婚」
      東芝日曜劇場「続々・ママ日曜でありがとう」


「あたしとあなたのシリーズ6 牛乳とブランディー」より。
芦田伸介さんと池内淳子さん。

ほか、立て続けに数多くのTBSのテレビドラマで、
脚本を執筆されていたのですが、

「愛と死をみつめて」以降、これといったヒット作品がなく、
脚本家としての自信を失い、この先食べていけるか将来に不安を抱えていたそうで、

橋田さんいわく、安定した収入があるサラリーマンの妻はいい就職先だと思い、
1966年、41歳の時、「ただいま11人」で知り合われた、
TBSの企画課長だった岩崎嘉一さんと結婚。

(当時、ドラマの脚本料は3万円ぐらいで、
 それに対し、ご主人のお給料はその10倍くらいあったそうです)

そして、実際、ご主人は典型的な亭主関白だったことから、

シナリオライターと結婚する気持ちはないから、家庭を大事にしてくれ。
俺がいるときは原稿用紙を広げるな。

との約束で結婚されたそうで、

橋田さんも子どもが欲しかったため、いったん、仕事を辞められたのですが、
その後、子どもには恵まれず、ご主人に仕事の再開を許してもらうと、

家庭優先の約束どおり、仕事を始めるのはご主人の出勤後で、
その後は家事をこなし、ご主人が寝た後に再び書き始める、
という睡眠時間4時間のハードな生活を続けられたのでした。

夫の死因は?

こうして、橋田さんは、周囲が、
「よく我慢しているわね」と呆れるほど、ご主人に尽くされたそうで、

1988年には、ご主人が「肺がん」であることが判明するも、
そのことはご本人には知らせずに、1989年9月にご主人が他界されるまで、
看病を続けられたのでした。

ちなみに、橋田さんは、インタビューで

結婚した以上、絶対に喧嘩をしない、
言い返さないと心に決めていました。

亭主関白も計算の上で結婚しました。それが私の信念。
愛していたから我慢もできた。
なんか、のろけてしまいまして、すみません。

と、語っておられるのですが、

ご主人に「がん」であることを伏せ、看病されていた1年間が、
人生の中で最も辛い時だったとおっしゃっていました。

「橋田壽賀子の現在は?安田成美の降板劇の真相は?江頭とキス!」に続く

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