端正な容姿に爽やかな言葉づかい、旺盛なサービス精神に進取の気風を併せ持ち、次世代を担う歌舞伎役者として活躍するほか、テレビドラマ「半沢直樹」では、国税局査察部統括官・黒崎駿一役でブレイクするなど、歌舞伎以外でも幅広く活躍している、六代目片岡愛之助(ろくだいめ かたおか あいのすけ)さんですが、もともとは、梨園(歌舞伎界)出身者ではなく、実家は貨物船のスクリュープロペラ製造工場だったといいます。

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年齢は?出身は?身長は?高校は?

片岡さんは、1972年3月4日生まれ、
大阪府堺市堺区神南辺町の出身、

身長172センチ、

血液型はB型、

学歴は、
堺市立三宝小学校
⇒浜寺中学校
⇒大阪府立信太高校卒業

趣味は、ドライブ、音楽鑑賞、

だそうです。

本名は?屋号は?襲名は?

愛之助さんの本名は、「片岡寛之(かたおか ひろゆき)」(旧姓・出生名は山元寛之(やまもと ひろゆき))で、別名義は、「三代目 楳茂都 扇性(楳茂都流四世家元)」です。

ちなみに、愛之助さんの愛称は「ラブリン」というそうですが、その元になっている「愛之助」について、

(19歳の時に「片岡愛之助」を襲名したことから)19歳の僕としては、自分の名前に『愛』って付くのは恥ずかしかったですね(笑)。『愛、ってなあ・・・』って

と、「愛」がつくことに抵抗があったことを明かしています。

また、屋号は「松嶋屋(まつしまや)」で、襲名は以下のように変遷しています。

  1. 片岡千代丸(1981年、京都南座「勧進帳」)
  2. 六代目片岡愛之助(1993年、大阪中座「勧進帳」)

家系図

家系図は以下の通りです。

実家は貨物船のスクリュープロペラ製造工場で幼少期は裕福に育っていた

愛之助さんは、貨物船などのスクリュープロペラを作る工場を経営するお父さんのもと、2人兄妹の長男として、南海本線堺駅に近い堺市堺区神南辺町で生まれると、工場と同じ敷地内にある実家で、祖父母と一緒に暮らしていたそうですが、

工場は繁栄し、働いている人も多かったため、お手伝いのおばあさんが2人もいたそうで、人の出入りが多い家で、何不自由なく育ったそうです。

(この工場はおじいさんが創業した会社で、貨物船などのプロペラも造っており、大きい物は5メートル以上もあったそうです。また、おじいさんは大砲の砲台を集めるのが趣味だったそうです)

ちなみに、工場は、南海本線の線路から国道26号線までが敷地内という莫大な広さだったそうで、会社のみんなが入るお風呂は銭湯よりも広く、子どもが泳げるほどだったそうで、愛之助さんは、それが楽しく、よくみんなと一緒にお風呂に入りに行っていたそうです。

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幼少期は家の中で遊ぶことが多く内向的な子供だった

そんな愛之助さんは、幼い頃、当初は、おじいちゃんの趣味である大砲の砲台が置いてある工場の裏で犬と駆け回って遊んだり、家の前にあった久保田鉄工の工場の壁にボールをぶつけて遊んでいたそうですが、

工場へのトラックやダンプカーの出入りが激しかったため、両親に「危ないから外に出ないで家の中で遊びなさい」と言われて、家の中で遊ぶことが多くなり、内向的な子どもに育ったそうです。

「片岡愛之助(6代目)は5歳のとき松竹芸能の子役オーディションに合格していた!」に続く

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