俳優のイメージが強い、武田鉄矢(たけだ てつや)さんですが、もともとは、フォークグループ「海援隊」として活躍され、「母に捧げるバラード」「贈る言葉」「あんたが大将」「思えば遠くへ来たもんだ」などのヒット曲があります。一度は誰もが聞いたことのある有名な曲ばかりですね。作詞家としての顔も持ち、他のアーティスト達に詩を提供されたりもしているようです。


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今朝の三枚おろし!

これは、武田さんがパーソナリティを務め、
平日の朝10分間流れるラジオ番組で、

1994年から、20年以上も、
放送されているんだとか!

毎週、1つのテーマに沿って、
武田さんが様々な語りを展開しながら、
番組が進行していくそうです。

健康や、政治、歴史など、そのテーマは幅広く、

「”ヒト”は、まぐれで生き残った弱い生き物だった!」
「私はすでに”エイジング・ロー” 老人性うつ病だ!」
「曖昧だから日本人なんだ!曖昧が育んだ日本の歴史!」
「相手が話している時”うなずく”と話が理解できるようになる!」
「薬は30%しか効かない」

などがあるそうです(^^)

武田さんおすすめの本や、
ためになる本も紹介されているようで、
とても興味深いですね~

うつ?

大ヒットしたテレビドラマ、
「3年B組金八先生」のイメージが強い武田さん。

悩み事を相談されたりすることが、
多いのではないかと推測されますが、

なんと、そんな武田さんが、
実は、うつ病を20年も患っていたことを告白されました!

1991年、武田さんが42歳の時から、
体調に異変が起こったのだそうです。

ちょうどその年は、
大ヒットドラマ「101回目のプロポーズ」で、
主役を演じられた年でもあり、大忙しだった武田さん。

体調の変化なんでしょうね。
ちょっとうつ病っぽくなって、何をやっても力が湧いてこない。

考え方が暗くなって、何週間か事務所が休みをくれると、
これっきり仕事が来ないんじゃないか、とか。

そして、2011年、
大動脈弁狭窄症にかかってしまいます。

手術は成功したものの、
5週間の入院を余儀なくされてしまい、
老いへの恐怖が、さらに武田さんの精神を苦しめたようです。

しかし、その時読まれた、

人生は山登りに似ている。
登った限りは降りなきゃいけない。
登りっぱなしのことを遭難したという。

という、心理学者ユングの言葉に救われ、
やっと立ち直れたそうです。

もう終了してしまいましたが、
美輪明宏さんと国分太一さんが司会を務められた、
スピリチュアル番組「オーラの泉」に出演された時、

何か怖いものは?と尋ねられた時に、

減っていくお客

と答えられた武田さん。

武田さんほど成功した人がそんなことを!

と思ってしまいますが、
仕事がなくなり、お客さんが減っていくことが、
常に心配だったのですね。

しかし、最終的には、
ユングの言葉に助けられて良かったですね。

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妻は?

武田さんが、いつご結婚されたかは、
定かではありませんが、

おそらく、海援隊の「母に捧げるバラード」が、
大ヒットした年の1972年頃だと思われます。

奥さんは節子さんという方で、
武田さんとご結婚された時は、まだ21歳だったそうです。

1972年、紅白に出場するほどの人気を誇られた武田さんでしたが、
その人気は一時的なものだったようで、

翌年の大晦日には、なんと、
妊娠中の奥さんと、
居酒屋で皿洗いのバイトをしていたというのです。

紅白に出た次の年にまったく仕事が無くなってさぁ、
給料4カ月間無いんだ。「いやぁ、こりゃダメだな」と思って。

事務所を辞めようと決心して、次の事務所に行くまでの間、
食いつなぐ為に女房と二人でスナックでバイトやったんだよ、皿洗いの。

うーん。原宿の鉄板焼き屋さんだったけど、4千円貰えるんで・・・
で、夕方から深夜の1時2時まで皿を洗っているだけで。
女房妊娠してんのよ。不安だったぁー。

4月に生まれるって言われた、うぅ、そのぉ、
妊娠7か月6カ月の女房と仕事が1本もない俺なのよ。

で、みそかの鐘(大晦日)を聞いて、4千円もらって、
原宿のバイト先から恵比寿まで歩いて帰ったの。

で、女房のお腹を冷やさないように・・・
もう貧乏だったから2人寄り添うしかないのよ。

もうホントに忘れもしないけど今でも。
青山学院を抜けてコカ・コーラボトラーズの本社がある坂道があるのよ。
そこに来た時に女房が突然、真っ暗いみそかの闇、
まぁ正月になってたけど上りながら、
『よぉーく見とこう』って言いだしたのよ。
で、「何を?」つったら『ここ、どん底だから』って。

と、その辛すぎるエピソードを語っておられました。

ほんとに奥さん、すご過ぎます!

そんな奥さんを、
人気女優の上戸彩さんが、尊敬されているとか。

上戸さんはかつて、「金八先生」で、
武田さんと共演されていたのですが、
その時から、家族ぐるみのお付き合いをされているようで、

大スターの妻だからといって、決して、でしゃばったりせず、
専業主婦として、武田さんを支え続けてこられた奥さんに、
上戸さんは感銘を受けられたのだとか。

そして、上戸さんは、
お料理やお菓子も、奥さんから教わり、
子育ての相談もされているとか。

「母に捧げるバラード」が物語っているように、
武田さんのお母さんの話は有名ですが、
奥さんも武田さんを支えてこられたのですね。

武田さんは、女性たちに守られてこられたことが分かりますが、
ご自身もそれを認めておられるようで、

つまり九州というのは、女って守り神なのよ。
土俗的に何かあった場合は、
女性の指示を仰ぐ、という習慣があるんですよ。

卑弥呼の昔から、神功(じんぐう)皇后から。
女性が持っているエネルギーというのを、
男が正しく使うことで、男はやっと生きていける。

と、「オーラの泉」で、おっしゃっていました。

その後の武田さんのご活躍ぶりから、
女性のエネルギーをうまく使われたことがよくわかりますね!

芸能界での激しい浮き沈みを体験され、大病も経験されましたが、
これからも末永いご活躍を期待したいですね!
応援しています!!

「武田鉄矢の父は母の婿養子!曽祖父は大地主も祖父が破産していた!」

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