馬場徹!幼少期は?兄は?テニミュ!つかこうへいとの出会い!評判は?

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テレビドラマ「ルーズヴェルト・ゲーム」で魅せた、感動的な演技で注目を集めブレイクされた、俳優の馬場徹(ばば とおる)さん。実はつかこうへいさんの「最後の愛弟子」と呼ばれているほど、つかさんの元で演技修行に励まれた実力派俳優なのです。




幼少期は?兄は?


馬場さんは、3歳の頃からサッカーを始められ、
「大田シチズン」に所属する、プロのサッカー選手である、
お兄さんの馬場憂太さんと共に、サッカー選手を目指し、
日々練習に明け暮れていたそうです。

しかし、小学4年生の時、
試合中に激しいタックルを受けて、
なんと、全治1年という大怪我を足に負われたのだそうです。

その怪我のせいで、
サッカー選手になる夢を断念。

1年の療養生活の中、自宅で映画を見て過ごされ、
俳優を目指されたのだとか。

その時のことを、馬場さんはインタビューで、

小さい時からずっとサッカーが大好きでやっていたんですが、
小学校4年生の頃に大きな怪我をしてしまいまして、
家にいることが多くなり、もともと映画は大好きだったんですけど、
見る機会が増えたんですね。

一日3本見たりしていました。
映画を見ている間だけは怪我の辛さを忘れることができました。
それで、「あぁ、僕も俳優になりたいな」と思ったのがきっかけです。

と、語っておられました。

それまでは、
とても活発な少年だった馬場さん。

まだ幼い時期に、大怪我を負われ、
大好きなサッカーもできず、遊びまわることもできずに、
1年もの間、家の中で過ごされていたなんて、
胸が痛みますね。

しかし、その出来事が、
馬場さんの将来を方向づけるきっかけとなったようです。

そして、小学6年生の時に、
児童劇団「ひまわり」に入団され、
中学2年生くらいまで、レッスンを受けていたそうです。

それ以来、少しずつ、
仕事が入るようになったのだとか。

テニミュ!


馬場さんは、2006年、
「ミュージカル テニスの王子様」で、
柳生比呂士役を演じ、
舞台初出演を果たされます。



またもや、稽古中にケガをされてしまい、
舞台を降板されますが、途中で復帰できたようです。

「ミュージカル テニスの王子様」は、
キャストにとって、かなりハードなお芝居のようなので、
馬場さんの古傷が悪化してしまったのかもしれません。

しかし、その後のご活躍ぶりを見ていると、
大事には至らなかったようなので、一安心ですね。

ちなみに、2007年には、
若手俳優ユニット「PureBOYS」のメンバーとして活躍されましたが、
2009年に卒業されています。


つかこうへいとの出会い!


ちょうどその頃、
「つかこうへいさんの舞台に出たい」と、
自ら、つかさんのところに出向かれたのだとか!

その時のことを馬場さんは、

「テニスの王子様」の後、
いろいろな舞台をやらせていただいたんですが、
ちょっと煮詰まってきてしまったんです。
それが20歳の頃ですね。

その状況を変えるためには、
演劇人の中でも、特に怖い演出家に、
ボコボコにされたら変わるんじゃないかと考えまして(笑)

と明かされていました。

もっと高みを目指したい、俳優としての自分を鍛えたい、
と思われたということですね。

そんな中、頭に浮かんだのが、
つかさんだったようです。

ちょうどその頃、
「飛龍伝2010 ラストプリンセス」
のオーディションがあり、参加することに。



しかし、何の手違いか、
馬場さんがオーディション会場に到着した時には、
すでにオーディションは終わっていたのだとか!

なんとか見てもらえないかと、
1人でおられたつかさんに、直談判したというのです!

「とりあえずこれを読んでみろ」って、
その場で「飛龍伝」の中のすごく長い台詞を渡されました。

それを一人でずっとしゃべるんですけど、
オーディションの最中に過呼吸になってしまって。

目の前が真っ白になってハァハァと息を切らしていたら、
「もういいよ、台本を置け」と言われて、
そこから、つかさんの「口立て」が始まったんです。

「口立て」とは、つかさん独自のやり方で、
台本を見ずに、口頭でセリフを伝えていくやり方だそうです。

そんな演出法があるなどとは、
全く知らなかった馬場さん。

できないなりに一生懸命頑張っていると、

じゃ、お前、使ってやるから。稽古入れ。

と言って下さったのだそうです!

実は、既にがんに侵されていた、つかさん。

稽古場で、最後の口立ての稽古をされたのが、
馬場さんだったそうです。

演出家の岡村俊一さんによると、
「あいつ、できる」との言葉を遺されていたそうです。

稽古直前に入院されたつかさんは、
病床から演出の指示を出されていたそうです。

とにかく、そのときに覚えないとクビになるんです。
でも、稽古が終わって翌朝になると、また台本が変わっているんですよ。

20~30ページ分、台詞が変わっているのはザラでした。
それが稽古中にどんどん変わっていって、また翌朝にも変わっている。

覚えられていないと「やる気ありますか?」と言われて、
出番が削られていきますし・・・本当、サバイバルでしたね。

そんな厳しい稽古をこなされ、
馬場さんのやる気を認めていかれた、つかさん。

徐々にセリフも増えていったそうです。

怖い人というイメージだったけれど、
一生懸命やっていると、やった分だけ認めてくれた。

眠れない毎日だったけれど、
やるしかないと覚悟を決め、必死に食らい付きました。

そんなところが、
つかさんの評価につながったのかもしれません。

お芝居が上手、下手よりも、やる気や反骨精神を、
つかさんは見ておられたのかもしれませんね。

馬場さんは、つかさんとの思い出として、

「お前のことは心配していないから、
芝居なんかしないで目の前にいる相手に想いを伝えろ」
と言われました。

「台詞なんか考えなくていいから、エネルギーを発してみろ」
「役者なんて芝居しなくていいんだ」とも。

でも、急に「芝居しろ」って言ったりするんですよ(笑)
ホントにわからない人なんです、つかさんって(笑)

「お前らは俺の言うことだけ聞いてりゃいいんだ。
俺が一番おもしろいんだから」
なんて言いますからね。

と語っておられました。

さすが、「つかさん最後の愛弟子」と言われただけあって、
師弟の深い絆を感じさせるエピソードでしたね。

つかさんは2010年7月に亡くなりましたが、
その後、馬場さんは、

つかさんの舞台、
「熱海殺人事件」で、木村伝兵衛部長刑事役を、
「新・幕末純情伝」で、坂本龍馬役を、
「広島に原爆を落とす日」では、ディープ山崎少佐役を
演じられました。



「広島に原爆を落とす日」は、
全公演、チケットが完売になるなど大反響だったそうです。

評判は?


その後、馬場さんは、数々の舞台を務められ、
2013年、男性雑誌「papyrus」の50号では、

一度でも舞台を観ると、圧倒される。
客席の空気を制する存在感と、
大仰なセリフでも上滑りさせない説得力のある演技。

と評されました。

同年、大衆演劇俳優、早乙女太一さんの公演で、
急遽、1公演のみ女形を披露された馬場さんは、

早乙女さんが演じる女形「弁天小僧菊之助」を、
稽古時間わずか1時間で、演じることとなったそうです。



その幻の女形が、反響を呼び、
インターネット上で、主宰者側に、
写真だけでも見たいとの声が殺到したそうです。

演出家、岡村俊一さんは、

馬場徹の迫力は、
パルコや紀伊国屋の小さな空間には押し込めきれない。

明治座の大空間でも、
彼が登場すると客席の色が変わるほどだ。

こんな新人俳優は、滅多にいない。

つかさんの膨大なセリフの難しい表現を任せても、
理解する力が強くて早い。

とにかく、すべての表現の幅が広くて深いのです。
今の20代の俳優で、これだけ力を持っている人は少ない。
そのうえ、まだ高みを目指す向上心の強さにも感心するばかりです。

と、このうえない賛辞と、期待を寄せられました。

もはや、「演技派」という言葉では、
表せないほどですね。
馬場さんの才能には驚かされるばかりです。

そんな馬場さんは、2014年、
「ルーズヴェルト・ゲーム」で、
地上波の連続ドラマに初出演されています。



馬場さんが演じるのは、
青島製作所野球部のピッチャー萬田智彦役で、

第3話のみの出演でしたが、
視聴者から、再登板を願う声が殺到したのだそうです!

その後も、
同年「若者たち2014」
2015年「ウロボロス」
2015年10月7日からスタートした「無痛~診える眼~」

など、話題のドラマに出演され、
舞台からテレビドラマへ、活動の場を広げられています。

現在の人気にあぐらをかくことなく、
さらなる高みを目指されている馬場さん。

「ハリウッド映画に出る」という夢を実現する日も、
そう遠くないような気がします。

世界の舞台で活躍する馬場さんを見るのが、
今から楽しみですね。
応援しています!!



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