北島三郎!デビューは?妻は?息子は?娘は?

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「サブちゃん」の愛称で慕われている、演歌歌手の北島三郎(きたじま さぶろう)さん。多くのお笑いタレントが、北島さんのモノマネをしていることでも、お馴染みです。





北島さんは、北海道知内町生まれで、
漁師の家庭に、7人兄弟の長男として生まれました。

しかし、生活の糧だった漁は、
途中で駄目になってしまい、
ご両親は農業に転身されたそうです。

なので、北島さんは、
漁も農業も両方経験があるのだとか!

北島さんは当時を振り返り、

生活は楽じゃなかった。
辛くて、早く逃げだしたかった。

と、インタビューで語っておられました。

のど自慢大会


そんな思いから、
歌手を目指されたのでしょうか?

高校生の時に、
「全国のど自慢」の函館大会に出場されます。

しかし、残念ながら、鐘は、
「カンカン」と2つしか鳴らなかったのだとか。

ただ、司会を務められていた宮田輝さんから、

良い声して学生さんですか?
お上手でしたのにねえ。

と、優しく声をかけてもらったそうです。
そして、

「歌をやれば歌手の道があるかな」

と思われ、

それが、歌手への、
目覚めの第一歩となったようです。

宮田さんの一言がなかったら、
歌手、北島三郎は、
誕生していなかったかもしれませんね。

上京


そして、1954年、
北島さんは、18歳で上京され、
音楽の専門学校に通われます。

しかし、歌謡曲を歌いたかった為、
ほどなく、流しの「演歌師」として、
渋谷で活動を始められます。

恥ずかしくてねえ、
もし、こんなところで学校の友達やら、
知ってる人に会ったらどうしようかと・・・

とのことで、

今で言う、ストリート・ライブ、
のようなものだと思いますが、

あの天下の北島さんでも、
そんな、可愛らしい時代があったのですね~

運命の出会い


北島さんは、流しでは、
3曲100円で歌っておられたそうですが、

1960年のある時、
1000円くれたお客さんがいたのだとか!

そこで、北島さんは、

「ありがとうございます!」

と言って、1曲歌うと、その方は、

「明日ちょっと新橋の喫茶店で待っているから来なさい」

と言われたのだそうです。

その方は、実は、
日本コロンビアの芸能部長で、
北島さんの評判を聞きつけて来られたのでした。

翌日、喫茶店に行った北島さんが紹介されたのは、
作曲家の船村徹さんでした。

こういうちょっとした出会いなんだけども、
わずかな出会いが、
人生で物凄い大事な出会いになってくる。

まさに、北島さんの人生を変えることとなった、
運命の出会いでした。

船村門下生として


北島さんは、その日以来、
船村門下生となり、レッスンに明け暮れました。

船村さんいわく、
北島さんはなかなか売れず、
とても苦労したお弟子さんだったとか。


船村徹記念館オープンのテープカット時のお二人。

北島さんを連れて、レコード会社に、
売り込みに行かれたそうですが、

既に時代は、
ロックンロールやロカビリーで、

北島さんのような、
正当な演歌や歌謡曲の歌手は、
流行りではなかったようです。

なかなか、デビューの機会を得られない北島さんに、
船村さんは、自ら台本を書かれ、

もう一人の弟子と組ませて、
ギター漫才をさせたそうです。

そして、知り合いの興行師に頼んで、
東北の1ヶ月公演の前座をさせてもらったのですが、

3日目の夜中に、
使い物にならないという理由で、
帰らされたのだとか!

北島さんとしては、

「何とか歌の方でやらしてもらいたい」

とおっしゃっていたそうです。

そりゃそうでしょう。
歌で駄目だしされるならまだしも、

やりたくもない漫才で駄目だしされた日にゃ、
やりきれないですよね。

デビュー


しかし、やっと北島さんにも、
運がめぐってきます。

船村さんの作品で「なみだ船」
という曲があったのですが、

船村さんが銀座で飲んでおられるときに、
消防車がサイレンを鳴らして走ってきたのを、
みんなが一斉に注目しているのを見て、

これだ!と閃かれたようです。

そして、北島さんに、

お前、生まれつき鼻の穴大きいから、
吸い込み良いから。

これは、歌えるからいけ。

と、北島さんの背中を押されたのでした。

とにかく消防車のサイレンじゃないけど、
「なみだの~」と一発ばぁ~んとあの子にね。

それでやらしたんですよ。
そしたらまぁ~こっち見てくれましてね。

ええ。それがデビューがミリオンになりましてね。

と、船村さんは、
当時を振り返っておられました。

北島さんの、パンチの効いた歌い出しは、
消防車や救急車のサイレンのように、

聴いている者の心に、
インパクトを残したのでしょうね。

北島さんのデビュー曲については、
面白いエピソードがあって、

本当は「なみだ船」で、
デビューが決まっていたのですが、

土壇場でなぜか、
「ブンガチャ節」でデビューされています。



しかし、この曲が、
卑猥な表現を含むという理由で、
放送禁止となってしまったのだとか。

しかし、船村さんが、

いいじゃないか、
お前のデビュー曲は本当はこっちだったんだから、
もうレコーディングしてんだから。

と、その3ヶ月後に、
「なみだ船」をリリースされたのだそうです。



北島さんは、その「なみだ船」で、
見事、その年の新人賞に輝かれたのでした!

素晴らしい話ですね!

大ヒット


北島さんは、1965年には、
「函館の女」「兄弟仁義」「帰ろかな」

と毎月のように新曲をリリースし、
立て続けに大ヒットを記録。



こうして、演歌歌手としての、
人気と実力を不動のものにされたのでした。

近年は、バラエティ番組にも出演されるなど、
その親しみやすいキャラクターで、

世代を問わず、人気を博されていることは、
誰もがご存知の通りです。

妻は?


北島さんは、
流しの「演歌師」として、
渋谷で活動を開始されていた頃、

下宿されていたアパートの大家さんの娘さんである、
雅子さんと、1959年に結婚されています。

北島さんがデビューする、3年前とのことで、
定収がなかったことを理由に、
奥さんのご両親からは、結婚を反対されたそうです。

奥さんは後に、北島さんの事務所である、
北島音楽事務所の社長として就任され、
現在は副会長となられているようです。




息子は?


北島さんには、なんと、
5人のお子さんがいらっしゃるとのことで、

息子さんが2人、
娘さんが3人だそうです。

長男、長女は、
何をされているか分かりませんでしたので、
一般人ではないかと思われます。

次男はロックバンド「1st BLOOD」の、
ヴォーカルとして活動しておられた、
MAKOTOこと、大野誠さんです。



バンドは解散しましたが、
MAKOTOさんは、大地土子(だいち とこ)のペンネームで、
北島さんの曲の作詞、作曲をされているそうです。


娘は?


次女は大野智子さんといい、
芸能活動はされていないようです。

2009年に、北島さんの事務所に所属する、
歌手の北山たけしさんと結婚されています。

三女は水町レイコ(みずまち れいこ)さんで、
歌手やアーティストとして活動されています。
本名は大野領子さんというそうです。



演劇集団「円」を経て、
現在はオスカープロモーションに所属され、
バラエティ番組に多く出演されています。

2005年に、バラエティ番組「踊る!さんま御殿!!」で、
お父さんの北島さんと共演され、
親子であることを公表されています。

さて、近年は、
後継者問題や、弟子離れ、娘婿との不仲など、
度々うわさにのぼる北島さんですが、

それにめげずに、またサブちゃんの、
パンチの効いた歌声を披露してほしいですね。
末長いご活躍を期待しています!!



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