1965年、映画「アンコ椿は恋の花」で映画デビューして以来、50年以上も俳優として活動している、藤岡弘、(ふじおか ひろし)さんですが、今回は、芸名「、」(読点)の理由と、藤岡さんの奇跡的な誕生の経緯をご紹介します。

Sponsored Link

年齢は?出身は?身長は?武道が凄い!

藤岡さんは、1946年2月19日生まれ、
愛媛県上浮穴郡久万町(現・久万高原町)の出身、

身長180センチ、

血液型はO型、

学歴は、
松山市立道後中学校
⇒松山聖陵高等学校工業化学科卒業

資格は、
調理師免許、普通自動車免許、小型船舶操縦士、大型特殊自動車免許、大型自動二輪免許、自家用操縦士免許、スキューバダイビング、無線従事者免許(アマチュア)、猟銃所持、

趣味はバイク、

特技は、武道全般(空手初段、抜刀道5段、刀道7段、棒術、手裏剣、長刀)、射撃、乗馬ほか、英会話が得意で、アメリカ映画出演で知り合ったジェームス・キャメロン監督とは、「キャメロン」「サムライ」と呼び合う仲だそうです。

本名は?芸名「、」(読点)の意味は?

ちなみに、藤岡さんの本名は「藤岡邦弘(ふじおか くにひろ)」なのですが、「邦弘」の「弘」の字は、弘法大師の「弘(こう)」からお父さんとお母さんが名付けたそうで、「くにひろ」には、国を広めていくという意味があるそうです。

また、旧芸名「藤岡弘」(読点なし)から、「藤岡弘、」(読点あり)に改名しようと思ったのは、ハリウッド映画「SFソードキル」(1984)で、侍を演じたことがきっかけだったそうで、

藤岡さんは、

それ(「SFソードキル」に出演したこと)を機に芸名を「藤岡弘」から「藤岡弘、」と、名前の後に「、」を打つようにしました。

昔の武将は、一度「、」を打って決意した。「周囲に流されることなく立ち止まり自分を見つめる」という覚悟と、「我未だ完成せず」の意味を込めて、芸名に「、(読点)」をつけることにしたんです

と、「、」をつけた理由を明かしています。

Sponsored Link

母親は藤岡を妊娠中、奇跡的に空襲を免れていた

そんな藤岡さんは、終戦後の1946年に誕生しているのですが、実は、お母さんが藤岡さんを妊娠中、とても不思議な出来事があったそうです。

1945年7月25日のこと、お母さんは、愛媛県松山市の病院に入院していたそうですが(この時、藤岡さんを妊娠していたそうです)、何を思ったのか、突然、「私は(病院を)出ます」と医院長に告げ、愛媛県西条市にある実家に帰ったそうです(←お母さんがなぜ入院していたかは不明)。すると、その翌日には、松山大空襲(1945年7月26日深夜から翌未明)があり、病院は全滅したのです。

ちなみに、お母さんが退院したことを知らなかったお父さんは、空襲後、病院に駆けつけ、病院の焼け跡で呆然と立っていたそうですが、空襲時たまたま外出していて助かった医院長に、「あなたの奥さんは運がいい。実家の方に行かれたから」と言われ、急いでお母さんの実家に連絡をし、お母さんの無事を確認したそうですが、

(この病院で助かったのは、藤岡さんのお母さんと、たまたま外出していた医院長の2人だけだったそうです)

藤岡さんは、そんなお母さんのことを、

非常に勘の強い母でした。そして私もお腹の中に入っていた。まさに奇跡の存在だなと。

と、語っています。

「藤岡弘、の生い立ちは?幼少期は病弱も武士道精神で克服していた!」に続く

Sponsored Link