萩原健一!テンプターズ!結婚歴は?妻は?

Sponsored Link

ショーケンこと、俳優の萩原健一(はぎわら けんいち)さん。若い頃はバンドのヴォーカルとして活躍され、一世を風靡されました。数々の事件を起こされたことから、お騒がせな人物としても注目を集められました。




テンプターズへ加入


「ザ・テンプターズ」は、1965年、埼玉県大宮市で、
田中俊夫さん、高久昇さん、松崎由治さんで結成された、
高校生のアマチュアバンドでした。

大宮市のダンスホールを中心に、
バンド活動をされていましたが、

当時の「ザ・テンプターズ」は、
女性がヴォーカルを担当されていたそうです。

しかし、このヴォーカルの女性が体調不良の為、
バンドだけで出演していたある日、
坊主頭の中学生が飛び入り参加し、
ビートルズの「マネー」を歌ったのでした。

そう、この少年こそが、
萩原健一さんだったのです!



しかし、あまりにヘタだったため、
松崎さんは唖然とされたのだとか(^^;

しかし、萩原さんに熱心に頼み込まれて、
メンバーに加入することを許されたのだそうです。

萩原さん、すごいガッツですね!


少年時代


この頃の萩原さんは、学校通いの傍ら、
実家の魚屋を手伝っておられたのですが、

アルバイト代として、
月5000円ももらっていたそうです!

当時の5千円は、現在の約5万円ですから、
中学生のお小遣いとしては破格の額ですね。

下手したら、
サラリーマンの小遣いより高いかも!

当初はこのお小遣いで、
ラジコンなどを買われて遊んでいたそうですが、

友人の影響でビートルズを聴くようになり、
音楽に夢中になられたのでした。


デビュー


そして、1967年、「ザ・テンプターズ」は、
「スパイダーズ」の田邊昭知さんが設立した、
スパイダクション(Spi Duction:現在の田辺エージェンシー)
にスカウトされ、

「ザ・スパイダースの弟分バンド」として、
デビューを果たされます。



萩原さんは、この時16歳でしたが、
プロに専念するため、高校を辞められたそうです。

萩原さんの本気度が伺えますね。

デビュー曲「忘れ得ぬ君」は、好調な売上を記録し、
第二弾シングル「神様おねがい」では、大ブレイク!

続いて、「エメラルドの伝説」も大ヒットを飛ばし、
「ザ・テンプターズ」の人気は不動のものとなったのでした。



「ザ・テンプターズ」は、
当時日本ではほとんど無名だった、
イギリスのロックバンド「ローリング・ストーンズ」
の影響を大きく受けており、

ちょっとダークな感じの曲が、
持ち味だったそうです。

アイドルでありながら、
不良っぽさが見え隠れする、そのスタイルこそが、
萩原さんの魅力そのものと言えますね!


解散


しかし、流行は去り、次第に人気は低迷、
「ザ・テンプターズ」は、1970年末に解散します。

解散コンサートをすることもなく、
なんとも寂しい終わり方だったそうです。

萩原さんは、「ザ・テンプターズ」の解散後は、
「PYG(ピッグ)」というバンドで活動されたそうですが、


左から3人目が萩原さん。その右隣は沢田研二さん、左端は岸部一徳さん。

音楽活動よりも、次第に、
映画監督を目指すようになっていかれたそうです。


俳優として


そんな萩原さんに転機が訪れます。

1972年、映画「約束」の制作現場に、
助監督として参加した折、
主演俳優が降板したことにより、代役に抜擢されたのです!

そして、岸恵子さんと共演した、
この悲しい恋愛映画は大ヒットを記録し、
萩原さんの出世作となるのでした。



今でも名作として語り継がれている
映画のひとつということなので、
ぜひ見てみたいですね。

その後、1972年には、
テレビドラマ「太陽にほえろ!」で、
マカロニ刑事役を演じられ、またまた大ブレイク!



1972年12月には、
音楽活動を停止され、「PYG」は事実上解散、
萩原さんは、俳優業に専念されることとなりました。

萩原さんは、俳優としての才能を開花させ、
映画「青春の蹉跌」
テレビドラマ「傷だらけの天使」「前略おふくろ様」など、
次々と出演され、主演を務められます。



その後も俳優としての活動は順調でしたが、
私生活は波乱に満ちたものだったようです。

そこで、萩原さんの私生活を中心に、
気になる話題について調べてみました!


三度の交通事故


萩原さんは、これまでに、
三度の交通事故を起こされているようです。

最初は、1984年、
萩原さんは酒気帯び運転により、
人身事故を起こしてしまい、
業務上過失傷害で逮捕されています。

古い話なので、
詳しいことは分かりませんでしたが、

酒気帯び運転の末の事故ということで、
世間に与えた打撃は、
相当大きかったのではないかと思われます。

二度目は、2004年、
萩原さんの車が、対向車線からはみ出していたことにより、
バイクと正面衝突。

萩原さんは、業務上過失致傷罪で、
現行犯逮捕されています。

三度目は、2011年、
左側車線からUターンしようとした萩原さんの車が、
右側車線の後ろから来たタクシーと衝突してしまいます。

萩原さんの後方確認が不十分だったとのことです。
どなたも怪我はなかったそうなので、
不幸中の幸いでしたね。

それにしても、萩原さん、
車の運転は控えられた方が良いかも・・・


脅迫事件


2004年には、
萩原さん主演の映画「透光の樹」で、
監督、スタッフ、共演者への、
暴言、暴行を繰り返したために降板させられています。

その際、萩原さんは、
前払い分の出演料半額の返還を求められましたが、
これを拒否。

そのうえ、途中降板したにも関わらず、
残りの出演料1050万円も騙しとろうと、
担当プロデューサーの携帯電話の留守電に、

国税局、警視庁、山口組、住吉、熱海の若頭が、
全部協力してくれまして、
「やったろうじゃないか」と言っております。
必ずやっつけますから。
契約通りちゃんと払ってください。

と、脅迫のメッセージを残されたと言うのです。

結局、製作者側から恐喝未遂で告訴され、
萩原さんは逮捕されます。



懲役1年6ヶ月、執行猶予3年の有罪判決を受け、
芸能活動を休止せざるを得なくなったのでした。

その後復帰されていますが、
やはり、ほとんど、映画やドラマには、
出演されておられないようです。

結婚歴は?


そんな萩原さんは、
これまでに、4人の方と結婚されています。

一人目は、1975年、
モデルの小泉一十三(こいずみ ひとみ)さんと結婚され、
娘さんをもうけられましたが、1978年に離婚。



二人目は、1980年、
女優のいしだあゆみさんと結婚され、
1984年に離婚。

自叙伝「ショーケン」の中では、
未入籍で事実婚だったと告白されましたが、

2008年「週刊新潮」では、
一転、「未入籍はウソだった」と告白され、
やはり、いしださんとは籍を入れられていたようです。



三人目は、1996年、
ヘアメイクを担当されていた女性と結婚され、
2006年に離婚。

この離婚は、萩原さんの、
人身事故や恐喝未遂事件などが原因だったようです。


妻は?


そして、現在の奥さんは、
2011年に結婚された、モデルの冨田リカさんです。



お二人の出会いは、2009年に
東京の青山で行われた女性月刊誌の対談で、

もともと、萩原さんのファンだった冨田さんが、
この対談を熱望されたのだそうです。

萩原さんは、冨田さんと出会った時のことを、

あった瞬間から過去のことは忘れた。
(僕は)悪いイメージが多いけど、
家内に出会えたのは、いいこともしてたご褒美かな。

と、ベタボレのご様子♪

そして、

ジェットコースターのような人生だったけども、
今後は2人で、メリーゴーランドのような、
ゆっくりした人生を歩みたい。

と、語っておられ、

現在は、穏やかな人生を、
奥さんと共に歩まれているようです。

萩原さんは、自叙伝「ショーケン」の中で、
自身が、母親が不倫した末に誕生した生い立ちや、

薬物に手を出したり、
多くの女性と関係したことなどを、
赤裸々に綴っておられます。

萩原さんの人生そのものが、
まるでドラマのストーリーのようですね。

最後はハッピーエンドになることを、
お祈りしています♪



  • LINEで送る
Sponsored Link

Sponsored Link

関連記事

コメントは受け付けていません。

サブコンテンツ

カテゴリー

ブログランキング

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑ 押して頂けると嬉しいです(*^_^*)

このページの先頭へ