森繁久彌!黒柳徹子と?妻は?息子は?

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昭和から平成にかけて活躍された、国民的俳優の森繁久彌(もりしげ ひさや)さん。映画「社長シリーズ」「駅までシリーズ」で人気を博され、ミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」は900回もの上演を重ねられるなど、森繁さんのライフワークとなりましたが、2009年、96歳で亡くなっています。




経歴


森繁さんは、戦前、
早稲田大学在学中に、

演劇研究部に所属し、
演劇活動を始められました。

しかし、当時の大学では、
軍事教練が必修だったようで、

森繁さんは、それが嫌で拒否。
結果、大学を中退されています。

そんなとき、運よく、お兄さんの紹介で、
「東京宝塚劇場」(現在の東宝)に入社されることに。

しかし、ここでも続かず、
「東宝新劇団」「東宝劇団」「古川ロッパ一座」
などを転々とされます。

そして、「古川ロッパ一座」も辞められた、
翌年の1938年、
森繁さんは、やむなく軍隊に入るのですが、

耳の大手術をされたため、
その日のうちに、
郷里に帰されてしまったのだとか。

もしかしたら、徴兵されるのがよっぽど嫌で、
自分で耳を傷つけたのかもしれませんね。


アナウンサー時代


そんな森繁さんは、なぜか1939年、
NHKのアナウンサー試験を受け合格。
NHKに入社されています。

劇団の俳優として活動されていた森繁さんが、
アナウンサーになろうと思った理由は、

徴兵制度を避ける為。
海外へ赴任出来る当時としては、
数少ない仕事であったから。

と、やはり、
徴兵を避けたい一心だったようです。

森繁さんは、旧満州(現在の中国東北部)の、
新京中央放送局に赴任し、

アナウンサー業務のほかに、
満洲映画協会製作の映画のナレーションも、
されたそうです。

そして、川一本隔てたところにあった、
ソ連軍に対して、謀略放送を行うなど、
政治的な活動もされていたのだとか。

終戦後は、一時、ソ連に連行されてしまいますが、
1946年に、無事帰国されたのでした。

映画俳優へ


翌年の1947年には、
徴兵される心配がなくなったせいか、
NHKを退社。

また、劇団を転々とされ、
ついに、映画「女優」に、
端役で出演できることになったのでした。

その後、劇団「ムーラン・ルージュ」に入団。
メキメキと才覚を現し、
注目を集められるようになります。

そして、1950年には、
NHKのラジオ「愉快な仲間」の、
レギュラーに抜擢されたことで人気急上昇。

映画や舞台に、
次々と声がかかるようになり、

森繁さんは、「腰抜け二刀流」で、
映画初出演を果たされるまでになったのでした。




コメディからシリアスまで


森繁さんは、当初は、
喜劇俳優として頭角を現されましたが、

次第に、シリアスな役も、
演じられるようになり、

コメディもシリアスも、
どちらもこなせる俳優として、
高い評価を得るようになったのでした。

そして、森繁さんが出演された映画は、
なんと、280本以上!

1955年「夫婦善哉」「警察日記」
1956年~1970年「社長シリーズ」

をはじめ、
数々の映画に出演されています。



さらには、自らが作詞作曲した、
「知床旅情」が大ヒットを記録するなど、
歌手としても成功を収め、

テレビドラマでは、
テレビ放送開始時代から、

「マンモスタワー」「七人の孫」
「だいこんの花」「おやじのヒゲ」

などに出演、

お茶の間の人気者になり、
以降、誰もが知る、
国民的名優となられたのでした。


黒柳徹子と?


そんな森繁さんは、
今では、黒柳徹子さんの長寿番組となった、
「徹子の部屋」の第1回目のゲストだったそうです。

黒柳さんは、どのようにして、
番組を進めていけばいいか、

考えがまとまらないまま、
番組を始められたそうですが、

森繁さんに、

「(ゲストに)自由に話したいことを、
話してもらって、楽しければいいんだよ」

と言ってもらって、安心されたようです。



この番組では、黒柳さんがゲストの方から、
秘め事を上手に引き出すと、評判ですが、

それも、第一回のゲストの、
森繁さんの影響が、
大きかったのかもしれませんね。

黒柳さんをナンパ


ちなみに、森繁さんは、60年前から、
しょっちゅう、黒柳さんを誘っておられたのだとか。

森繁さんが亡くなる3年前に、
偶然、道で会った黒柳さんは、
その時のことを、

道に大きな黒い車があって、
中をのぞいたら森繁さんだった。

声をかけたら、
おじいさんとは思えない力で、
私をぐいっと車の中に引きづりこんで、

「ねえ、1回どう?」って。

私、60年前に初めてお会いした時から、
最後まで言われ続けた。

その時に「今度ね」って言ったら、

「君は今度今度って言って、
いつまでもダメじゃないか」って。

(長く待たせて)「くしゃくしゃになったら僕、嫌よ」って。
「私だって嫌ですよ」って言って別れたのが最後だった。

と、語っておられました。

森繁さんは、黒柳さんだけではなく、
銀座で女性を口説くときも、

相手の膝の上に手を置いて、

「1回だけ、1回だけ」

というのが、
お決まりのセリフだったそうです(^^)

妻は?息子は?


そんな森繁さんの奥さんは、
早稲田大学で演劇活動をされていた折、
知り合われた萬壽子さん。

お二人がいつ頃結婚されたのかは、
分かりませんでしたが、

1947年に、森繁さんが、
NHKを退社された頃には、すでに結婚されており、
お子さんもいらっしゃったようです。

奥さんは1990年に亡くなり、

長男の泉さんも、1999年、
癌のため、58歳という若さで亡くなっています。

森繁さんの葬儀で、喪主を務められていた、
次男の建(たつる)さんは、

現在は、株式会社賀茂カントリークラブの、
代表取締役会長をされているようです。



さて、華やかに見える、
森繁さんの俳優人生でしたが、

プライベートでは、相次いで、
ご家族に先立たれるなど、
悲しいことも多かったようです。

多くの人々を楽しませ、魅了された森繁さんを、
もう、見ることはできなくなりましたが、

これからも、永久に、
銀幕の中で輝き続けられることでしょう。



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