神宮球場で行われる大会(春の六大学野球リーグ戦や新人リーグ戦)出場を夢見て、日々、砂押監督の猛特訓を受けていたという、長嶋茂雄(ながしま しげお)さんですが、新人リーグ戦を前に、お父さんが危篤だという報せを受けたといいます。

「長嶋茂雄は砂押監督から猛特訓を受けるもひたむきさに惹かれていた!」からの続き

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春のリーグ戦ではエラーし試合はさんざんな結果になっていた

長嶋さんは、1954年4月24日、春の六大学野球リーグ1回戦の早稲田大学戦で、ピンチヒッターとして初出場を果たすと、2週間後に行われた法政大学戦では、5番・ショートで、初めて先発メンバーに選ばれたそうですが、

同じ1年生で、ランナーの小阪佳隆さんに野次られたことで(←理由は不明)カッとなり、とんでもないエラーをしでかしてしまったそうで、試合はさんざんな結果になってしまったそうです。

(小阪さんは、後に広島カープに入団)

それでも、同年6月6日からは、いよいよ新人リーグ戦が始まるため、合宿所では毎晩その話で持ち切りとなり、みな、練習にも一段と熱が入り始めたそうで、

長嶋さんも、仲良しの杉浦忠さんと、

長嶋さん:春のリーグ戦でチョンボやっちゃったからなあ。ここでオレも一つがんばらにゃ・・・

杉浦さん:うん。でも、シゲからチョンボを抜いたらなんにもなくなるぜ

長嶋さん:こいつ・・・

と、そんなやりとりをしていたそうですが・・・

新人リーグ戦を前に父親危篤の電報を受け取る

ちょうどその時、野球部の新人の親方である宗野さんが血相を変えて飛んで来たそうで、

長嶋さんが、

なんですか?

と、聞くと、

宗野さんは、

長嶋、練習をやめてすぐ支度しろ

と、言ったそうで、

見ると、宗野さんの手には、一枚の電報が握られていたことから、それをひったくるようにして読むと、

チチキトク スグカエレ ハハ

と、書かれてあったそうで、目の前が真っ暗になったそうです。

そして、

おやじが死にかけている!

あんなに末っ子のぼくをかわいがってくれたおやじが危篤状態だとは・・・。

と、信じられない思いで、大急ぎで服を着替え、自宅へ向かったそうですが、

電車の中では、

あとにも先にもたった一度。あの大宮球場の南関東大会へだけ、そっと顔を出すおやじ・・・

バックスクリーンに叩きつけた息子のホームランを見て、あんなにも喜んでくれたおやじ・・・

と、お父さんとの様々な思い出が蘇ってきたのだそうです。

(自宅がある臼井へは、京成上野駅から数えて32駅のところにあったそうですが、この時ほど、電車が遅く感じられたことはなかったそうです)

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父親は寝たきりの病床で春の六大学野球リーグのラジオばかり聴いていた

実は、お父さんは、前々から血圧が高く、寝たきりの生活を送っていたそうで、お父さんが口止めしていたのか、長嶋さんには、詳しい病状は知らされず、ただ具合が悪くて、ときどき役場を休んでいる程度にしか長嶋さんは知らなかったそうです。

そんなお父さんは、病床で春の六大学野球リーグ戦のラジオばかり聴いていたそうで、

茂雄が出てるぞ

と、うれしそうにラジオの実況中継に耳を傾けては、布団から乗り出すようにして、聴き入っていたそうで、

時々、知人が神宮球場などを覗(のぞ)いてきたりすると、

まあまあ、いいじゃないですか

・・・それで、ウチの坊主はどうでした?

と、その人を家の中に呼び込んでは、長嶋さんの様子を根堀り葉掘り聞き、

梅雨が明けて体がよくなったら、ぜひとも神宮へいきますよ。そればっかり楽しみにしとるんです

というのが、お父さんの口癖だったのだそうです。

「長嶋茂雄は臨終の父親に日本一のプロ野球選手になることを誓っていた!」に続く

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