2006年、「第1回WBC」が開催されるにあたり、王貞治監督から電話で直々に出場の打診を受けたというイチローさんは、これを快諾し、キャンプ時から強力なリーダーシップを発揮してチームメイトを鼓舞し、見事、日本を優勝に導いています。

今回は、「第1回WBC」でのイチローさんのリーダーシップぶりや活躍をご紹介します。

第一回WBCで優勝しトロフィーを掲げるイチロー

「イチローのスランプ対処法は対処しないこと!その本当の意味とは?」からの続き

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イチローは「第1回WBC」出場を王貞治監督から直接電話で打診されていた

イチローさんは、2006年に初めて開催されたWBC(第1回ワールド・ベースボール・クラシック)の日本代表メンバーに選ばれているのですが、

2005年に王貞治監督から出場の打診を受けると、シーズン終了後、直接、王貞治監督の携帯に、出場する旨の返事を入れたそうです。

(イチローさんは、王貞治監督の携帯に返事を入れる際、うっかり携帯の非通知設定の解除を忘れてしまっていたそうですが、それでも、王貞治監督は電話をとったそうで、この時、イチローさんは、王貞治監督の人間的大きさに驚いたそうです)

イチローは「第1回WBC」参加に反対する声が多い中、王貞治監督に恥はかかせられないと参加表明していた

実は、「第1回WBC」は、2005年5月11日に開催構想が発表されると、オリンピックには不参加のメジャーリーガーが参加するなど、世界最強を決める国別対抗戦と謳(うた)われ、同年9月17日には日本の参加が決定し、ソフトバンクの王貞治監督が指揮官に決まったのですが、

実際には、メジャーリーグの宣伝的な意味合いが強かったことや、メジャーリーグが開催に向けてあまりにも強引だったことから、当初は、評判が悪かったうえ、一般的にも、「WBC」いう名前は、ボクシングやプロレスと間違われていたほどの認知度で、海のものとも山のものとも分からず、参加に反対する声も多くありました。

また、日本代表の選考も難航し、大会の目玉と言われたヤンキースの松井秀喜さんからは、なかなか返事が来ず、ほかの日本人メジャーリーガーからも色よい反応はありませんでした。

(「WBC」は3月初旬のスタートとなるため、通常年より早く調整しなければならないほか、故障のリスクも高まることから、選手個人の判断だけでなく、チーム(メジャーリーグ)からストップをかけられていたケースもあったようです)

そんな中、王貞治監督が、

サッカーのW杯だって、最初から今のような世界的な大会だったわけではない。長い時間をかけてWBCを野球版W杯にしないといけない

と言い、自ら日本代表監督を引き受けた経緯があり、

イチローさん(当時はシアトル・マリナーズに在籍)は、王貞治監督からの出場打診に、

王監督に恥はかかせられない

と、2005年12月2日に参加の意志を表明したのでした。

イチローは「第1回WBC」のキャンプでリーダーシップを発揮し投手陣を鼓舞していた

そんなイチローさんは、すぐにトレーニングをスタートさせており、(2006年)2月に入ると、調整のため、古巣オリックスの宮古島キャンプに参加し、その後、福岡の代表合宿に合流しているのですが、

(王貞治監督いわく、練習日に球場に着くと、チームとは別行動をしていたと思っていたイチローさんが、すでに打ち込みをしていたことからとても驚いたそうです)

この時、イチローさんは、リーダーシップを発揮し、

メジャーの選手もたいしたことないよ

と、言って、投手陣を鼓舞していたそうで、

王貞治監督は、クローザー(抑え投手)を務めた大塚晶則(晶文)さんからこの話を聞き、

著書「もっと遠くへ 私の履歴書(日本経済新聞出版)」で、

「日の丸をつけて勝つんだ」というイチローの熱い思いに触れ、私は「もう少し個人主義の選手と思っていたが」と漏らしていた。

孤高の安打製造機という印象もあったけれど、彼こそが一番勝利に飢え、燃えることができるものを求めていたのだ。

と、綴っています。

(当時、代表メンバーの間には、少なからず「メジャーが集まったアメリカやドミニカ共和国に勝てるはずがない」との思いもあったそうで、以前と比べて近い存在にはなっていたものの、まだまだ、メジャーリーガーは雲の上の存在でした)

イチローは「第1回WBC」の2次リーグ初戦・アメリカ戦で先頭打者ホームランを打っていた

こうして、東京ドームで1次リーグが開催されると、イチローさんは本調子ではなかったものの、

(1次リーグでは、日本代表チームは中国(チャイニーズ・タイペイ)には圧勝するも、1次リーグの1位2位を決める韓国戦では、2対3と逆転負けし、A組2位(2勝1敗)で1次リーグを通過しています)

2次リーグ初戦のアメリカ戦では、初回、先頭打者ホームランを放ちます。

(イチローさんと同級生で、共に代表メンバーに選ばれていた松中信彦さんは、このイチローさんのホームランが、チームにとてつもない勇気を与えてくれたと語っています)

「第一回WBC」アメリカ戦でホームランを放つイチロー
アメリカ戦でホームランを放つイチローさん。

ただ、この試合、イチローさんのホームランで1対0と先制し、2回には、川﨑宗則選手のタイムリーヒットで3対0とリードを広げるも、その後、アメリカに追いつかれ3対3の同点。

そして、同点のまま迎えた8回表、一死満塁のチャンスで岩村明憲選手(東京ヤクルト)がレフトへフライを放ち、三塁走者・西岡剛選手(千葉ロッテ)がタッチアップから生還して、勝ち越しかと思われたのですが・・・

アメリカ代表バック・マルティネス監督の抗議を受けたボブ・デービッドソン球審が、一旦、セーフとした判定を、西岡選手の離塁が早かったと覆(くつがえ)してアウトとし、結果、日本代表は痛恨のサヨナラ負けを喫してしまったのでした。

(その後、王貞治監督が抗議をするも、受け入れられませんでした)

第一回WBCで審判に抗議する王貞治監督
審判に抗議する王貞治監督。

イチローは「第1回WBC」のメキシコ戦の前日に決起集会を開きメンバーを鼓舞していた

そんな日本代表は、メキシコ代表との対戦を翌日に控えた3月13日(アメリカ戦の翌日)、この日は試合がなく、アナハイム近郊の大学施設で練習していたのですが、

イチローさんは、練習中、米国戦に先発した上原投手と右翼付近で30分近く話し、5回1失点の力投が報われなかったことへのフォローをしています。

(練習を終えた上原投手は「惜しかったなあ、きのうの金星」と笑っていたそうです)

イチローと上原浩治
イチローさんと上原浩治さん。

そして、この日の夜、イチローさんは、

このまま終わるわけにはいかない

と、チームのみんなに呼びかけ、

自ら予約したロサンゼルス市内の焼き肉店で、準決勝進出に向けて決起集会を開き、チームを鼓舞して結束を固めているのですが、

リーダーとしての動きを見せるイチローさんの姿にみんな感化されたそうで、左足を負傷していた松中信彦選手が欠場した場合は、代役の4番を打つ可能性があった多村仁志選手も、

みんなの気持ちが1つになって、また大きな力が出せると思う

と、語っています。

ちなみに、イチローさんは、後に、この決起集会について、

言葉で何かを伝えるよりも行動が大事だと気がついた。(日本は)いいチームになってきたよね。アメリカ戦で自信を得たこともあったし、チームとして1つ上のステップを踏む大きなきっかけになったと思う

と、語っています。

「第1回WBC」では2次リーグ通過が絶望的だった中、奇跡的に準決勝進出していた

その後、イチローさんたちが決起集会を終え、宿舎に戻ると、韓国がアメリカに勝利したというニュースを見たそうですが、

これで、日本代表は、メキシコに敗れると準決勝進出への道が断たれてしまい、2次リーグ突破には、残り2戦を全勝しなければならなくなります。

しかし、日本代表は、迎えた2戦目のメキシコ戦には勝利するも、最終戦の韓国戦では再び敗れ(1勝2敗)、翌日の試合で、もし、アメリカがメキシコに勝てば、2次リーグ敗退が決まるという大ピンチを迎えます。

しかも、この状況で、日本が先に進むには、

勝敗が並んだ場合は、得失点率で上位進出チームを決める

という条件に合致するしかなく、

2次リーグの最終戦となるメキシコ対アメリカで、メキシコが僅差で勝つことが条件になっており、メキシコがアメリカに勝てるはずはないと、2リーグ通過は絶望的となり、日本代表のメンバーは、諦めムードとなったのだそうです。

(日本に帰る準備をしていたという話も)

しかし、試合は、まさかの、メキシコ勝利(2対1)となり、アメリカ、メキシコ、日本が共に1勝2敗で並び、失点率の差で、奇跡的に準決勝進出を決めたのでした。

「第1回WBC」の準決勝では韓国を6対0で下し、決勝進出を決めていた

そして、アメリカのサンディエゴで迎えた準決勝の韓国戦では、先発の上原浩治投手(巨人)が、韓国打線を相手に、7回を、被安打3、奪三振8という快投をすると、

打線も、7回、先頭打者の松中信彦選手がライト線に二塁打を放ち、代打・福留孝介選手が、右越えの2ランホームラン、その後、イチローさんの適時打など打者一巡の猛攻で一気に5点を挙げると、結果、この試合、6対0で完勝し、決勝進出を決めたのでした。

(それまで日本代表は、1次ラウンドと2次ラウンドで韓国に連敗していました)

「第一回WBC」韓国戦でタイムリーヒットを放つイチロー
韓国戦でタイムリーヒットを放つイチローさん。

イチローは「第1回WBC」のアジアラウンド開幕直前の記者会見での発言が原因で韓国から敵視されていた

ちなみに、この大会(「第1回WBC」)のアジアラウンド開幕直前の記者会見で、

イチローさんは、

向こう30年は日本に手は出せないな、という感じで勝ちたいと思う

と、発言していたことから、

(イチローさんとしては意気込みを語っただけだったそうですが)

韓国は、「侮辱を受けた」と感じて、日本敵視の世論が高まり、反感はエスカレートして、試合でも、「イチロー・スズキ」と名前がアナウンスされる度に、球場にブーイングが沸き起こっています。

しかし、イチローさんは、強い気持ちで屈せず、この韓国戦で、3安打、2盗塁という成績を残しており、

試合後のインタビューでも、

3回同じチームに負けると、日本のプロ野球に大きな汚点を残すことになる

野球は、けんかではない。でもそんな気持ちで戦った

と、語っており、筋違いの批判にも 毅然とした態度を貫いたのでした。

(そんなイチローさんの気迫とプレーに感化され、チームも一丸となって闘ったのでした)

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イチローは「第1回WBC」では優秀選手賞に選ばれるなど日本の優勝に大きく貢献していた

そして、迎えた決勝のキューバ戦、6対5と1点差リードで迎えた9回表、一死一、二塁のチャンスの場面、打席に立ったイチローさんが一二塁間を破る鮮やかなライト前ヒットを放つと、二塁走者の川崎選手が一気にホームインして7対5とリードを広げ、

最終的には、10対6でキューバを下し、日本は、見事、世界一に輝いたのでした。

ちなみに、イチローさんは、一次予選から決勝まで全ての試合で安打を記録しており、33打数12安打で打率3割6分4厘、1本塁打、5打点、5盗塁、7得点、4四球という好成績で、外野手部門の優秀選手賞に選ばれています。

「イチローは第2回WBCで星野仙一監督就任に異議を唱えていた!」に続く

第一回WBCで優勝しトロフィーを掲げるイチロー
第一回WBCで優勝し歓喜の表情でトロフィーを掲げるイチローさん。

お読みいただきありがとうございました

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