1964年、「週間文春」の表紙モデルとしてデビューされた、青木エミ(あおき エミ)さん。1969年には、俳優の井上順さんと結婚されるも、1982年に離婚。その後は実業家に転身し、現在は、バー「ムーンダンス」を経営されています。


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スカウトされてモデルデビュー

青木さんは、1949年5月24日、
アイルランド系アメリカ人のお父さんと、
日本人のお母さんの間に、

ニューヨークで誕生し、
2歳の時に、日本に移られているのですが、

1964年、中学3年生の時、
写真家の秋山庄太郎さんに見出され、
「週間文春」でグラビアモデルに。

それまで、「あいのこ(混血)」と、
イジメられっぱなしだったのが、
一気に世界が変わったそうです。

人気モデルに

そんな青木さんは、
翌年の1965年(高校1年生)、

ご両親の反対を押し切って、
本格的にモデルの仕事をスタート。

次々と、女性ファッション誌の、
表紙を飾られると、

カネボウ、コーセー、資生堂など、
大手化粧品会社のイメージモデルにも抜擢され、
一躍、トップモデルとなられています。

ちなみに、当時は、
ハーフモデルがまだ少なかったそうで、

青木さんが、ハーフモデルの、
先駆けとなられたのでした。

元夫は井上順!

ところで、青木さんは、
人気絶頂だった1969年、

「スパイダーズ」で、俳優の、
井上順さんと結婚されています。

若かりし頃の、井上さんと青木さん。

お二人は、トーク番組、
「ラブラブショー」での共演で、
知り合われ、交際に発展したそうで、

結婚前は、お互い、
すぐ近くに住まれていたことから、

青木さんが家に帰ると、
家の電気をつけたり消したりする、
「帰ったよ」という合図を送り、

その後、二人で待ち合わせをして、
ご飯を食べに行ったりしていたそうです♪

離婚

しかし、そんなお二人も、
1982年には離婚。

青木さんは離婚の理由について、

順さんは仕事が忙しかったのに加えて交際範囲が広く、
帰宅はいつも深夜の3時、4時。

日本に来てから父母が離婚したために、
父性愛に飢えてた私はかまってもらえないのが寂しく、
それで33歳での離婚につながりました。

ただ、嫌いで別れたんじゃないから、
今でも電話で話したりしてます。

と、明かされていました。

カフェやケーキをプロデュース

そして、離婚後、青木さんは、
モデルの仕事には戻らず、

ファッションブランドである、
「アルファキュービック」の食品部門で、
カフェやケーキをプロデュースする仕事をされ、

1993年には、西麻布に、
ケーキショップ「ラ・ターブル」をオープン。

一時期は、ほうれん草、人参、紫イモの、
3種類の野菜のフィナンシェなど、
ヘルシーなスイーツが人気を呼び、

高島屋などのデパートにも、
何店舗か出店されるまでに成長したのですが、

景気悪化と大手ショップとの価格競争に押され、
2006年に廃業されています。

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現在は?

しかし、青木さんはそれでもめげず、
同年、西麻布に、バー「ムーンダンス」をオープン。

店内は、カウンター6席に、
4人掛けのテーブルが4卓と個室、

2ドリンク&スナックで、
5000円、

グレンフィディック12年のキープが、
1万5000円、

という、芸能人御用達の、
会員制高級バーだそうで、




青木さんは、

(「ラ・ターブル」の廃業で)借金を抱え、
残務整理はそれはそれは大変でした。

とはいえ、
いつまでも過去を振り返っていてもしょうがない。
それで始めたのがこの店です。

ここは7年前(2013年現在からみて)の、
5月にオープンしました。

それまでは水商売なんて、
自分には無縁だと思ってたんですよ。

でも、いざ始めてみると、
お客さまと会話をするのが楽しく、
お店を持ってよかったと思うようになりました。

と、おっしゃっていました。

さて、いかがでしたでしょうか?

ハーフであるがゆえにイジメられた、
子ども時代を乗り越え、

ハーフモデルの先駆けとして、
見事、その地位を築かれた青木さん。

離婚はされたものの、
実業家として新たな才能を発揮し、

年を重ねるごとに、
ますます輝いておられる姿は素敵ですね。

もう70歳近いので、お体だけは気をつけて、
これからも頑張ってほしいですね。

応援しています!!

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