10歳で俳優を目指しオーディションを受け続けるも、ことごとく不合格となっていた、レオナルド・ディカプリオさん。しかし、14歳の時にテレビコマーシャルへの出演が決まると、15歳の時にはテレビドラマに立て続けに出演するようになり、19歳の時には、映画「ボーイズ・ライフ」「ギルバート・グレイプ」で注目株に。そして、ついに、1997年、23歳の時、映画「タイタニック」で主演を務められると、映画は世界中で大ヒットとなり、一躍スターダムへと駆け上がられます。
年齢は?出身は?身長は?本名は?
ディカプリオさんは、1974年11月11日生まれ、
アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスのご出身、
身長181センチ、
本名は、レオナルド・ウィルヘルム・ディカプリオ
(Leonardo Wilhelm DiCaprio)です。
10歳で俳優を志す
ディカプリオさんは、イタリア系ドイツ人のお父さんと、
ドイツ移民のお母さんの間に生まれるのですが、
生後間もなくご両親が別居されると、
ディカプリオさんはお母さんに引き取られ、
1歳の時にお母さんが再婚。
中央がディカプリオさん。左はお母さんのイルメリンさん。
その後、ディカプリオさんは、10歳の時、
お母さんの再婚相手の連れ子のアダムさんが子役として活動し、
テレビコマーシャルで多くの収入を得ていたことに感化され、
俳優を目指し、オーディションを受け始められます。
「レニー・ウィリアムズ」?
しかし、オーディションはことごとく不合格。
こうして、さっぱり仕事が入らなかったディカプリオさんは、
所属エージェントから、「レニー・ウィリアムズ」に改名するように言われ、
(「レオナルド・ディカプリオ」は異国的で、少数派な印象だから、
もっと広く親しまれている覚えやすい名前にした方がいいという理由で)
やはり、改名したほうが良いのかと、
悶々とされていたのですが、
13歳の時、きっぱりと、
「レオナルド・ディカプリオのままで行く」
と、決意されると、
ほどなくして、
テレビコマーシャルへの出演が決まったのでした。
辛い経験が成功へのモチベーションに
13歳の少年がこれほど強い信念で、
仕事に取り組まれたのは理由がありました。
実は、ディカプリオさんは、家庭が貧しく、
イーストハリウッドにある治安の悪い場所で、
少年時代を過ごされていたのですが、
15歳の時、それまで奨学金で通っていた治安の良い学校から、
地元の公立高校に戻られると、学校に入ったその日に、
ボコボコに殴られてしまいます。
この辛い経験がきっかけとなり、
俳優として成功するためのモチベーションになったそうで、
ディカプリオさんは当時を振り返り、
そう、やる気になったのさ。あれは15歳のときだったね。
ママには「オーディションに連れていってほしい」と言ったよ。
それは公立の学校システムから抜け出すためだったのさ。
と、明かされています。
「ボーイズ・ライフ」、「ギルバート・グレイプ」で注目される
さて、こうして、
運が向いてきたディカプリオさんは、
1990年、15歳の時に、
「Parenthood」でテレビドラマデビューを果たされると、
「Parenthood」より。(左から)ディカプリオさん、
マリーエディス・バレルさん、ベス・マイヤーさん、
デヴィッド・アークエットさん。
1990年「The New Lassie」
「Santa Barbara」
1991年「Roseanne」
1991~1992年「Growing Pains」(愉快なシーバー家)
「Growing Pains」より。(左から)カーク・キャメロンさん、
ディカプリオさん、ジェレミー・ミラーさん。
と、立て続けにテレビドラマに出演。
1991年には、「Critters3」(日本未公開)
で、映画デビューも果たされると、
「Critters3」より。
1993年には、「ボーイズ・ライフ」で、
暴力的な継父のもと、苦しみながらも成長していく少年、
トビー役を演じて注目を集め、
「ボーイズ・ライフ」より。(左から)エレン・バーキンさん、
ディカプリオさん、ロバート・デ・ニーロさん。
同年「ギルバート・グレイプ」では、
重い知的障害を持つ少年、アーニー役を演じ、
いきなり、「アカデミー助演男優賞」にノミネートされたのでした。
「ギルバート・グレイプ」より。(左から)ディカプリオさん、
メアリー・ケイト・シェルハートさん、ジョニーデップさん、
ダーレン・ケイツさん、ローラ・ハリントンさん。
「タイタニック」でブレイク
そして、その後も、
1995年「百一夜」
「クイック&デッド」
「バスケットボール・ダイアリーズ」
「太陽と月に背いて」
1996年「ロミオ+ジュリエット」
「マイ・ルーム」
「クイック&デッド」より。
(後列左から)ディカプリオさん、ジーン・ハックマンさん、
(前列左から)シャロン・ストーンさん、ラッセル・クロウさん。
と、立て続けに映画に出演され、
1997年、映画「タイタニック」
(ジェームズ・キャメロン監督)で主演を務められると、
全米で6億ドル、日本で262億円(配給収入160億円)、
全世界で21億8600万ドルという、当時の映画史上最高の、
興行収入を記録するメガヒットととなり、
(2009年には同監督の「アバター」が記録を更新)
ディカプリオさんは一躍スターダムへと駆け上がられたのでした。
「タイタニック」より。ディカプリオさん(左)と、
ケイト・ウィンスレットさん。
ディカプリオさん自身にとっても、やはりこの映画は、
相当思い入れのある作品になったようで、
あの映画に出演してから、
もうずいぶん長い時間が経過したよ。でも、あの映画は・・・
そう、僕の人生の中でも、とても大事なものなんだ。
「タイタニック」を、僕はものすごく誇りに思っている。それだけじゃない。あの作品のおかげで、自分のキャリアを、
しっかりとコントロールできる立場にもなったんだ。
と、語っておられます。
出演映画
その後もディカプリオさんは、
1998年「仮面の男」
「セレブリティ」
2000年「ザ・ビーチ」
「あのころ僕らは」
2002年「ギャング・オブ・ニューヨーク」
「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」
「仮面の男」より。ディカプリオさん(左)と、
ジュディット・ゴドレーシュさん。
2004年「アビエイター」
2006年「ディパーテッド」
「ブラッド・ダイヤモンド」
2007年「The 11th Hour」(ナレーション)
2008年「ワールド・オブ・ライズ」
「レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで」
「レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで」より。
ディカプリオさんとケイト・ウィンさん。
2010年「シャッター アイランド」
「インセプション」
2011年「J・エドガー」
2012年「ジャンゴ 繋がれざる者」
2013年「華麗なるギャツビー」
「ウルフ・オブ・ウォールストリート」
2015年「レヴェナント: 蘇えりし者」
「レヴェナント: 蘇えりし者」より。
ほか、数多くの作品に出演されると、
いずれも出演された作品はヒット。
そして、
「ギャング・オブ・ニューヨーク」
「アビエイター」
「ディパーテッド」
「ブラッド・ダイヤモンド」
では、「アカデミー主演男優賞」にノミネートされ、
2016年、ついに、「レヴェナント: 蘇えりし者」で、
悲願の「アカデミー主演男優賞」を受賞されたのでした。
「レオナルド・ディカプリオの歴代彼女は?結婚は?
ジャックニコルソンのモノマネが激似!」に続く