悲惨な幼少期を過ごすも、小学生の時、地元福岡でスカウトされて以降、一気にスターへの階段を駆け上がった、浜崎あゆみ(はまさき あゆみ)さん。そんな浜崎さんの若い頃を振り返ってみました。
年齢は?出身は?身長は?本名は?
浜崎さんは、1978年10月2日生まれ、
福岡県福岡市早良区のご出身、
身長156センチ、
血液型はA型、
学歴は、
堀越高等学校中退、
趣味は、
音楽鑑賞、野球観戦、ドライブ、
特技は、
クラシックバレエ、
ちなみに、
本名は、濱﨑 歩(読み同じ)で、
旧芸名は、
浜崎くるみ(はまざき くるみ)
⇒浜﨑あゆみ(「崎」⇒「﨑」)
⇒浜崎あゆみ(はまさき あゆみ)
と変更されています。
極貧だった幼少期、父親の失踪
浜崎さんは、おじいさんとおばあさんが、太平洋戦争中、朝鮮半島から日本本土へと移住してきた朝鮮人で、戦後の混乱期の中、ありとあらゆる迫害を受け、そのまま追われるように九州の片田舎の部落に住み着いたそうで、
その後、浜崎さんのお父さんが生まれ、お父さんは、同じ部落の女性と結婚し、浜崎さんが誕生するのですが、
幼少期の浜崎さんは、まるで豚小屋のような、貧民窟での極貧生活を余儀なくされており、さらには、突然、お父さんが失踪。
以降は、お母さんに女手ひとつで育てられるのですが、お母さんは、甘えたいさかりの幼い浜崎さんに、
親子だからって全く違うそれぞれの人生。私は私、あゆみはあゆみだからね。
と、突き放し、愛情をかけてくれなかったそうで、浜崎さんは、甘えたくても甘えられない、寂しい幼少期を過ごされたのでした。
(唯一、おばあちゃんだけが子ども扱いしてくれたそうで、無条件にかわいがってくれたこともあり、幼い浜崎さんは、おばあちゃんっ子だったそうです。)
スカウト~女優・グラビアモデルとして活動開始
そして、小学校に入っても、出身地への差別や、貧しい生活をしていたことで、イジメられるようになり、辛い日々を送られていたのですが、「SOSモデルエージェンシー福岡」にスカウトされ、「浜崎くるみ(はまざき くるみ)」名義で、福岡中央銀行のポスターや地元の商業広告に登場するなど、芸能活動をするようになると、
その後、東京の「サンミュージック」(現・サンミュージックプロダクション)を紹介され、中学卒業後に上京。
1993年には、「ツインズ教師」で、テレビドラマデビューを果たされると、1994年には、「浜﨑あゆみ(はまさき あゆみ)」に改名し、
テレビドラマでは、
1994年「新・西遊記」第11話
1995年「湘南リバプール学院」第24話
「未成年」
「火曜サスペンス劇場『名無しの探偵シリーズ11・ガラスの少女』」
「名無しの探偵シリーズ11・ガラスの少女」より。
浜崎さんと小林稔侍さん。
1996年「土曜ワイド劇場「少女Aの殺人・女子高校生が父に殺意を抱く時
…スキャンダルが名門校を揺らす!』」
「闇のパープル・アイ」
「土曜ワイド劇場『同居人カップルの殺人推理旅行4・嘘をつく女
熊本阿蘇~財産を狙って欲望が渦巻く』」
「きっと誰かに逢うために」
「闇のパープル・アイ」より。
(左から)雛形あきこさん、青木伸輔さん、浜崎さん。
映画では、
1995年「すももももも」
「麗霆゛子!! 総長最後の日」(Vシネマ)
「渚のシンドバッド」
1996年「学校II」
1997年「湘南爆走族 帰ってきた伝説の5人」
「渚のシンドバッド」より。岡田義徳さんと浜崎さん。
などに出演され、
テレビドラマ「未成年」では、家庭教師の子供を身ごもってしまうお嬢様役を演じ、
あの、美少女は誰?
と、脇役ながら注目を集められるほか、
「未成年」より。
Vシネマ「麗霆゛子!! 総長最後の日」では、レディースに入る不良少女を熱演し、片親である母親の恋人に襲われグレるという役どころで、体当たりの演技も披露。
また、女優業以外にも、
1995年には、「AYUMI featuring DOHZI-T & DJ BASS」名義で、ラップ「NOTHING FROM NOTHING」を発売したり、グラビアに登場したりと、様々な分野で活動されたのでした。
エイベックス松浦勝人との出会い
そんな中、浜崎さんは、「エイベックス」の松浦勝人さん(現:エイベックス代表取締役社長)と知り合われると、「サンミュージック」を退社。
「エイベックス」から歌手デビューするため、ニューヨークで1年間ボイストレーニングに励むなど準備を開始されます。ただ、
私は絶対ソロで行きたい
という浜崎さんに対し、松浦さんは、当時の流行ではソロ歌手を売り出すのは難しく、当初は難色を示していたのですが、
周囲の反対や売り込み中の浜崎さんの評価が、あまりにも低く、散々だったことが、逆に悔しかったそうで、
世の中の人の好みまで変えてしまえ
と、ソロでデビューさせたとおっしゃっていました。
当時の松浦さんと浜崎さん。
ちなみに、松浦さんは、浜崎さんとの出会いについて、2010年、ご自身のブログで、
あれは僕が31歳のころだから15年近く前のことになる。ヴェルファーレ(ディスコ)で働く人間の紹介でayuと会う。
「今、ドラマ(未成年)に出てる」とか「今度、歌も出す」とか、たわいもない話をした中、まだ当時、たいしたことのないはずの自分は偉そうに、「歌はそんなに簡単に売れないよ」なんてayuに言っていた覚えがある。
それから、何故か、割と頻繁に会うようになる。もちろん今のayuなんて予想だにしていない。カラオケで歌を歌わせて、KEYをどんどん上げていって、どこまで声が出るかなだとか、どんな声質だとか、歌がうまい下手などと、勝手なことを言っていた気がする。
どちらからともなく、連絡を取り、たまに会っていたけど、仕事の話とかはあまりした覚えがない。
ただ、「お母さんと事務所に行って辞めてきた」という話を聞いたのは鮮明に覚えている。歌手になりたいという話は聞いたことはあったけど、あまり本気に取り上げてはいなかった。
だけど、事務所を辞めてきたとなると、「どうするの?」という疑問は普通に出てくる。その時から、二人三脚は始まった。そうなればこちらも本気になる。僕はayuをデビューさせるための作戦を日々、考えるようになる。
と、綴っておられました。
ファーストアルバム「A Song for ××」がミリオンセラーに
こうして、浜崎さんは、1998年4月8日、ファーストシングル「poker face」で
「浜崎あゆみ」名義でデビューされると、
1998年6月 2ndシングル「YOU」
8月 3rdシングル「Trust」
10月 4thシングル「For My Dear…」
12月 5thシングル「Depend on you」
と、2ヶ月に1枚のペースで次々とシングルをリリースされ、
4枚目のシングル「For My Dear…」が森永製菓のCM「メレンゲショコラ」とタイアップし、ご自身もCMに出演されるなど、注目を集めると、
1999年1月1日に発売された、ファースト・アルバム「A Song for ××」(エイ・ソング・フォー)が初のオリコンチャート1位を獲得し、約150万枚を売り上げる大ヒットを記録。
同年4月4日に発売された、7枚目のシングル「LOVE~Destiny~ / LOVE ~since1999~」も、シングルで初のオリコンチャート1位を獲得し、
「LOVE~Destiny~ / LOVE ~since1999~」
続く、
8枚目のシングル「TO BE」(1999年5月)
9枚目のシングル「Boys & Girls」(1999年7月)
もオリコンチャート1位を獲得すると、
10枚目のシングル「A」(同年8月11日発売)は、163万枚を売り上げる大ヒットを記録。
「A」
同年12月31日には、「第50回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たすなど、浜崎さんは、たちまち、トップアーティストへと登り詰めたのでした。
「浜崎あゆみの元旦那は?離婚原因はヌード写真集?全シングルジャケット!」に続く