1978年、37歳の時、ようやく、TVアニメ「未来少年コナン」で実質的な監督デビューを果たした、宮崎駿(みやざき はやお)さんですが、次作の映画「ルパン三世 カリオストロの城」は観客動員が伸び悩み、しばらくの間、映画に関わることができなくなってしまいます。

「宮崎駿の(実質的)監督デビューは「未来少年コナン」だった!」からの続き

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「ルパン三世 カリオストロの城」は最後は時間切れで妥協していた

ようやく、TVアニメ「未来少年コナン」で実質的な監督デビューを果たした宮崎さんは、その後、同作で一緒に仕事をしていた、先輩アニメーターの大塚康生さんから、「ルパン三世」の映画を一緒にやろうと持ちかけられたそうで、

(もともと、大塚さんに監督オファーがあったそうですが、大塚さんがいい案を思いつかず、宮崎さんを誘ったそうです)

当初は乗り気ではなかったものの、最終的には了承し、4ヶ月半という短い期間で、「ルパン三世 カリオストロの城」を制作し、映画作品の監督デビューを果たしているのですが、

制作期間が短かったことから、

「カリオストロの城」は小学生ぐらいの時からやりたかったことなんですよ。それをやってみた訳です。やってみて、かなりいいところまでいけた。

例えるならば、地平線の彼方にゴールの金色のモスクが見えるところまではたどり着いた。ところが、そこから撤退せざるを得なかったんです。

最後の最後に、妥協をしなきゃいけなくなりました。もうちょっと時間があれば……要するに、作品の締め切りに間に合わせなければいけなかったわけですね。

と、妥協も多かったそうで、

それが僕にとって、ダメージになりましたね。しばらく地面を這い回るような気分になったんです。

と、精神的なダメージも受けたことを明かされています。

また、宮崎さんは、

この作品で初めて自分の体力の限界を知った

とも語っておられることから、肉体的にも相当きつかったようです。

「ルパン三世 カリオストロの城」は映画公開当初はサッパリだった

そのうえ、「ルパン三世 カリオストロの城」は、当時、リニューアルして人気を博していた「ルパン三世2ndシリーズ」のイメージと作風が違っていたことや、SFアニメ全盛の時代だったことから、公開時の配給収入は3億5000万円と、興行的にも失敗。

宮崎さんは、このことが原因で、しばらくの間、映画に携わることができなくなってしまいます。


「ルパン三世 カリオストロの城」より。

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20年後の再放送では23.4%の高視聴率

ただ、「ルパン三世 カリオストロの城」も、「ルパン三世 TV第1シリーズ」の時と同様に、テレビで再放送が繰り返されるうち、

冒頭のルパンと相棒・次元大介のカーチェイスから、カリオストロ城の時計塔で繰り広げられるクライマックスまで、宮崎さんならではの考え抜かれた躍動感あふれるアニメーションが、アニメファンのみならず、一般の映画ファンからも高い評価を受けて、次第に、常に二桁の視聴率を叩き出す人気作品となり、

2020年11月20日の「金曜ロードSHOW!」(日本テレビ系)で放送されるまでに、16回に及ぶ全国放送での再放送がされると、1999年2月26日の放送では、関東地区で23.4%という高視聴率を記録しています。

「宮崎駿の「風の谷のナウシカ」は最初は連載漫画だった!」に続く

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