「大映京都撮影所」では、当時、看板スターだった市川雷蔵さんに可愛がられ、大きな影響を受けたという、平泉成(ひらいずみ せい)さんですが、もう一人、大きな影響を受けたという、三隅研次監督とのエピソードについてご紹介します。

「平泉成が若い頃は市川雷蔵に可愛がられていた!」からの続き

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三隅研次監督との出会い

「大映京都撮影所」では市川雷蔵さんに大変可愛がられたという平泉さんですが、そのほか、「大映京都」に入社して数カ月後の時のこと、忘れられない出会いがあったといいます。

その時、平泉さんは、市川雷蔵さんの主演映画「若親分喧嘩状」(1965)で、市川さんの横を歩く大工(通行人)の役で出演していたそうですが、

三隅研次監督に呼ばれ、

おまえさんは、いまから仕事に行くのか?仕事が終わって帰るのか?どっちなんだ?

と、聞かれたそうで、

台本ももらっていなかった平泉さんは、

分かりません

と、答えたそうですが、

待っているから台本を見てきなさい

と、言われ、台本を見に行くと、朝だと書いてあったため、その旨答えたところ、

三隅監督には、

じゃあおまえたちはこれから仕事に行くところだ。よし、今日も一日、家造るぞ!そういう気持ちで主役の横を通りなさい

と、指導されたのだそうです

三隅研次監督からは端役にもかかわらず指導を受けていた

つまりは、同じ通行人でも、一日が始まる時と仕事が終わって疲れて帰る時とでは空気感が違う。主役の横を歩く人間はそういう空気感を持って歩かないとダメだということなのですが、

三隅監督は、端役の自分にそんなことを教えてくれたそうで、当初、平泉さんは、その言葉が理解できなかったそうですが、

後に、

「朝だ!さあ、一日始まるぞ!」と全員が思えばそこに朝の空気ができ、その中に主役の雷蔵さんがスッとはいってくる、その絵を撮るのが映画なんだ

と、学んだのだそうです。

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三隅研次監督からは等身大の大きな鏡をもらっていた

また、三隅監督は、等身大の大きな鏡をくれ、

自分の姿を映しなさい

自分というものがどういうものかを、鏡でよく見なさい。そしてその自分を使って芝居を表現しなさい

とも、指導してくれたそうで、

平泉さんは、

やはり(市川)雷蔵さんや三隅監督との出会いは大きかったですねえ。

と、語っています。

「平泉成は勝新太郎に近づかないようにしていた?」に続く


三隅研次監督

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