「大映京都撮影所」では、市川雷蔵さんと勝新太郎さんという二枚看板スターの陰で、明日のスターを夢見て、日々、演技の勉強に励んでいたという、平泉成(ひらいずみ せい)さんですが、エキストラや斬られ役ばかりで、なかなかいい役が回ってこない中、今でも忘れられない言葉を監督にかけられたといいます。
端役ばかりが続き仲間を妬む気持ちも湧き上がっていた
1964年に「大映京都第4期ニューフェイス」のオーディションに合格し、「大映」に入社した平泉さんは、最初の頃こそ、エキストラの役でも、役を与えられたのが嬉しかったそうですが、
なかなかいい役が来ない中、やがて、
次はおれの出番だ
次こそおれだ
この次こそ
と、思うようになり、
同世代の仲間に良い役が行くと、「あいつがやるの?俺のほうがいいのに」と妬む気持ちが沸き上がってくるようになったそうです。
最下位の自分が出来ることを考えるように
それでも、同世代の多くの仲間たちが次々と俳優を辞めていく中、残っていた平泉さんですが、
一流大学卒の秀才が助監督として入社してくるの見ると、
ここでは自分が一番ダメな存在なんだ
と、落ち込んだそうです。
ただ、そんな中でも、
こんなにアホで最下位の自分が何かできるとしたら、それは何だろう
と、様々なことに思いを巡らせていたのだそうです。
下積時代の監督の言葉が現在も支えに
そんなある日のこと、京都・嵐山で、市川雷蔵さん主演の時代劇のロケがあったそうで、その日は、みぞれ混じりの風が吹きすさぶ、とても寒い日だったそうですが、
チャンバラの斬られ役で、高さ3メートルもの岩の上から川に落ちる、という役を誰がやるかという話になり、平泉さんは立ち回り専門ではなかったものの、「ハイ」と手を挙げたそうで、
撮影が始まると、平泉さんは、極寒の嵐山で冷たい水の流れる濁った川に落ち、凍え死にそうな思いを味わったそうですが、
そのシーンの撮影が終わった後には、監督から、
いい絵が撮れたよ
と、声をかけてもらったのだそうです。
その言葉は、「いつかは自分だって」という思いとは裏腹に、誰からも声をかけられない現実との間で悩み続けていた平泉さんには、とてもありがたく心にしみたそうで、
それから半世紀も経つ現在でも、この時のことが忘れられず、新しい仕事の声がかかると、本当にありがたいと思うそうです。
「平泉成は若い頃スターを諦めて脇役に徹する決意をしていた!」に続く