俳優になる夢を半ばあきらめ、本屋の経営に乗り出すも、失敗に終わり、焦りと苛立ちの日々を送る中、中学時代の同級生に、自分の経営するキャバレーでバンドをしないかと誘われた、愛川欽也(あいかわ きんや)さんは、プレイヤーとしては興味がなかったものの、マネージャーならばと、この話を引受けるのですが・・・

「愛川欽也が若い頃は本屋も経営していた!」からの続き

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バンドのマネージャーになって儲けるように

中学時代の同級生(鈴木さん)に、自身が経営する川口と大宮の2軒のキャバレーでバンドを組まないかと誘われた愛川さんは、もうドラムは辞めていたことから、自分でドラムを叩く気はなかったそうですが、バンドを作ってマネージャーになり、その手数料をもらえるのならと提案すると、了承されたことから、

その夜、早速、新橋から銀座へと、昔知り合ったバンドマンを訪ねて人集めをし、4人編成のバンド2組を作り、鈴木さんの2軒の店にバンドを入れたそうです。

そして、鈴木さんからもらったお金から2割を取ると、残りを8人のバンドマンに、力量に応じて給料を決めて払ったのだそうです。

(ちなみに、最初の頃は、なるべく店をのぞき、バンドマンに声をかけたり、店の支配人にも会って愛想を振りまいていたそうですが、そのうち、月2回の給料日だけしか顔を出さなくなったそうです)

ピンはねして儲けたお金で母親に小遣いを渡すも・・・

こうして、バンドマンからピンはねして儲けるようになった愛川さんは、以前から欲しかった、抜けるような空色のギャバジンの背広を新橋の洋服店で買い、

(この青い背広を着ると、まるで映画スターになったような気分になれたそうです)

さらには、お母さんにお小遣いを渡したそうですが、

お母さんには、

いいよ、お前が使いなよ。私はなんとかなるからさ。

と、言われたそうで、

愛川さんは、

心配すんなよ。今に俺だってきっと何かドカンとやってみせるからさ

と、お母さんに無理矢理お金を渡したそうですが、お母さんは寂しそうに笑ったそうです。

(お母さんは、愛川さんが俳優の道をあきらめかけていることに気付いていたそうで、そのせいか、陽気だったお母さんが、少し暗い顔を見せるようになっていたそうです)

キャバレーの社長に呼び出されると・・・

さておき、その後も、バンドマンからピンはねして儲けていた愛川さんですが、ある月、大宮と川口のキャバレーの給料日が来たことから、まず、大宮に行って、いつものように、「おはよう」と言いながら、バンドの控室に入ると、なぜか、バンドマンたちはいつもより元気がなかったそうです。

すると、ボーイさんから、事務所で社長が待っていると聞いたため、給料をもらいに事務所に行き、ドアを開けると、

椅子にどっかりと座った社長(鈴木さん)から、

まあ、座ってくれ

と、にっこり笑いながら言われたそうで、

愛川さんは、言われるがままに、ビニール張りのソファに腰を下ろしたそうですが・・・

(いつもならすぐに、2店舗分の給料である札束を机の上にポンと置いて、数えるように言ってくれるのに、この日はちょっと様子が違っていたそうです)

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バンドのマネージャーをクビになる

社長からは、

あのな、近頃、景気が悪くて経費を削らないと店もやっていけなくてな。どうしようかと思っていたところ、お前のバンドのリーダーが、マネージャー抜きで私達を直に雇えば店も助かるんじゃないですかって言うんだよ。

お前の仕事を奪うようで悪いんだけど、今まで通りのやり方は今回で終わりってことにしてもらえないかね。もちろん、お前がそんなことを言い出したバンドマンが気に入らないなら全部首を切ったって構わないんだよ。ただ、正直言って、そうされちゃ店も困るけどな。

と、言われたのだそうです。

しかし、愛川さんは、

みんなをクビになんかしませんよ。今までありがとうございました。それでは僕は今日までということでいいですよ

と、言ったそうで、

バンドの1回目の休憩まで待ってから、控室で給料を分け、メンバー一人一人にお金を渡すと、

今までありがとう。僕は実は新劇の学校で勉強している俳優の卵なんだ。だからこうやって君たちのギャラからピンはねしていることは、僕の勉強している新劇俳優としての姿勢と相反することで、自分の思想にも合わない。今まで悪かったな

と、詫び、この日を限りに、バンドのマネージャーを辞めたのだそうです。

(ただ、バンドメンバーたちは、愛川さんの言っていることが理解できず、みんな、ぽかんとした顔をしていたそうです)

「愛川欽也は若い頃チンピラに背中を刺されていた!」に続く

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