幼少期から身体が大きく、食欲旺盛で運動神経も抜群だったという、長嶋一茂(ながしま かずしげ)さんは、子供たちには自由に何でもやらせるという、両親の教育方針のもと、すくすく育っていたといいます。
「長嶋一茂は幼少期から身体が大きく運動神経も抜群だった!」からの続き
両親の教育方針で何でも自由にやらせてもらっていた
一茂さんの幼馴染(おさななじみ)の杉浦さんによると、一茂さんは、同じ小学生の目から見ても、すくすく育っている子供だったそうで、
ある時、杉浦さんが一茂さんの家に遊びに行くと、一茂さんは自分の部屋の前のベランダを水浸しにし、
ベランダに水を貯めて水槽にし、そこで熱帯魚を飼うんだ。そうすれば、部屋の窓が水族館みたいになるだろう
と、言ったそうで、
杉浦さんはそれを聞いた時、一瞬、凄いアイディアだと感心するも、子供心にも、実際にそんなことをしたら、親にこっぴどく怒られるだろうと思ったそうですが、
一茂さんの両親はそのようなことをしても怒らず、本人が無理だと気づくまで、何でも自由にやらせておく、という教育方針だったそうです。
長嶋家では何をしても怒られることがなかった
また、杉浦さんによると、ほかにも、秘密基地を作ろうと、ドレッサーの後ろの壁にのこぎりで穴を開けるなど、様々ないたずらをしたそうですが、どんなことをしても、一茂さんの家で怒られることはなかったそうです。
(ただ、二人で屋根の上に登って走り回っていた時には、「危ない!」と、一茂さんのお母さんに厳しく叱らたそうです)
両親には一つのことを除き強制されたことはなかった
そんな両親の自由な教育方針のもと、一茂さんは、(田園調布という都会にもかかわらず)まるで自然児のようにすくすくと育ったそうで、
身体を動かすことが大好きで、とにかくいつも身体を動かし、スポーツと名のつくものは、何でも手当たり次第に挑戦する子供だったそうですが、
何をするにしても(しないにしても)一茂さんの意思が尊重され、一つのことを除き、強制的に何かをやらされたことはなかったそうです。
スイミングスクールだけは例外で強制的に通わされていた
その一つ(例外)というのは、水泳だったそうで、水泳だけは無理やり行かされていたそうで、幼稚園児の頃から、一人で都バスに乗って東京都世田谷区駒沢にあるスイミングスクールに通っていたそうですが、
(送り迎えなどはなかったそうで、これも長嶋家の教育方針の一つで、年齢にかかわらず、自分でできることは何でも自分でやらされたそうです)
スイミングスクールでは、ターンが遅いと、ターンの度に殴られるなど、スパルタ教育だったことから、嫌で嫌でたまらず、何度かズル休みをしたこともあったそうです。
(田園調布から駒沢へは、都バスの「渋11系統」で行っていたそうですが、いまだに「渋11」のバスを見ると、当時の嫌な気分が蘇るそうです)
水泳は背筋を鍛えるためだった?
また、ほかのスポーツ教室や学習塾は休んでも怒られたことはなかったそうですが、スイミングスクールだけはサボるとすごく怒られたそうで、
(直接怒るのはお母さんだったそうですが、いつもお父さんを引き合いに出し「ズル休みなんかしたら、お父さんに怒られますよ」と言われたそうです)
一茂さんは、著書「三流」で、
まあ、おかげで背筋が強くなった。幼稚園から小学校を卒業するまで、そういう調子のスパルタ指導を受けながら週に3日も泳げば背筋だって強くなるというものだ。
背筋はあらゆるスポーツの基本になる筋肉だ。大打者と言われる人々も、例外なく背筋が強い。
だから親父は、スイミングスクールだけは無理にでも行かせたのだろうか。小手先の技術などよりも、まず土台となる身体を育てるために。本当のところはよくわからない。
と、語っています。
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