マスコミに追いかけ回されることに嫌気が差し、小学5年生の時、リトルリーグを辞めたという、長嶋一茂(ながしま かずしげ)さんですが、親友の杉浦夏樹さんら友人たちは、そんな一茂さんの気持ちを察し、そっとしておいてくれたそうです。

「長嶋一茂は小5の時マスコミが嫌で野球を辞めていた!」からの続き

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親友たちは特別扱いせず接してくれた

世間の誰もが「長嶋茂雄の息子」として特別扱いすることに耐えきれず、リトルリーグを辞めた一茂さんは、

一般的な父親の子供に生まれていれば何でもない、「お父さん元気?」という、ただの挨拶のような質問にも、ストレスを感じるほど、神経過敏になっていたそうですが、

親友の杉浦夏樹さんをはじめ、何人かの友人たちは、そんな一茂さんの気持ちを敏感に組み、その話題を一茂さんの前で持ち出さず、そっとしておいてくれたそうで、

杉浦さんたちの間では、「ミスター・ジャイアンツ」の息子が一茂さんなのではなく、一茂さんの父親がたまたま長嶋茂雄という野球選手だっただけであり、長嶋茂雄はスーパーヒーローではなく、ただの、「一茂のお父さん」だったそうです。

親友たちとは野球の話をしなかった

そのため、杉浦さんのように仲のいい友達ほど、ほとんど野球の話をしたことがなく、特に、一茂さんがリトルリーグを辞めてからは、巨人や阪神の話は滅多に話題にのぼらなかったそうです。

ただ、杉浦さんたちは、いつかまた一茂さんが野球を再開するだろうと確信していたそうで、

(それが一茂さんの本当の夢であることをみんなよく知っていたそうです)

口にこそ出さなかったものの、みんな心の底ではその日が来るのを待ち望んでいたのだそうです。

少年時代には父にキャッチャー用具一式を買ってもらい嬉しくて仕方なかった

実際、一茂さんは、野球が大好きで、アメリカの大リーグに憧れ、特に強肩強打のジョニー・ベンチというキャッチャーが好きで、よくマネをしていたそうですが、

それを知ったお父さんが、キャッチャー用のミット、マスク、プロテクター、レガース一式を買ってくれると、買ってもらったその日の夜は嬉しくて、マスクだのレガースだのを全部身体につけたまま寝たそうです。

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野球の道具が豊富にある環境で育つも道具を粗末に扱ったことはなかった

こうして、一茂さんは、小学生にもかかわらず、レガースやプロテクターを買い与えられるほか、家には、スポーツ用具屋がいつも出入りし、普通の家の子供には想像できないほど、野球の道具がたくさんある、野球好きにはたまらない環境で育っているのですが、

どんなに道具が豊富でも、ボール一つとして粗末に扱ったことはなく、グラブもいつもピカピカに手入れをし、新品を下ろす時には、オイルをよく塗って、中にボールを入れ、紐で巻いて一週間くらい陰干しをしてから使うようにし、スパーンと捕球した時の音が最初から違っていたことに気づいたそうで、このように、自分で研究するほど野球が大好きだったのだそうです。

「長嶋一茂はリトルリーグ脱退後は親友たちと冒険に熱中していた!」に続く

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