立教大学在学中、同期の杉浦忠投手、本屋敷錦吾内野手と共に「立教三羽烏」と呼ばれ、東京六大学野球で活躍すると、読売ジャイアンツに入団後は、長きにわたり4番として活躍し、400本塁打、セ・リーグ最多記録となる首位打者6回を記録するなど、輝かしい成功を収めた、長嶋茂雄(ながしま しげお)さん。今回は、そんな長嶋さんの苗字が、「長嶋」なのか「長島」なのかを調べてみました。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

長嶋さんは、1936年2月20日生まれ(深夜1時頃)、
千葉県印旛郡臼井町(現・佐倉市)の出身、

(長嶋さんの生家は、農家だったそうですが、土地は貸し出していたそうです)

身長178センチ、
体重76キロ、

血液型はB型、

学歴は、
町立臼井国民学校
⇒佐倉・臼井二町組合立中学校(現・佐倉市立佐倉中学校)
⇒千葉県立佐倉第一高等学校(現・千葉県立佐倉高等学校)
⇒立教大学経済学部卒業

趣味は、
映画・絵画鑑賞、読書、将棋、

ちなみに、「長嶋茂雄」は本名で、両親があれこれ悩んで考えた結果、最終的に残った名前が「茂雄」と「正雄」の二つだったそうですが、結果、お父さんが「これにしよう」と決断したのが「茂雄」の方だったそうです。

また、愛称は、「ミスタージャイアンツ」「ミスター」「チョーさん」「燃える男」です。

「長嶋」?「長島」?どっち?

そんな長嶋さんは、入団当初の1963年までは、当時の本籍「長嶋」を使っていたそうですが、新聞社サイドから、旧漢字(嶋)を標準漢字(島)に変えたいと申し入れがあり、長嶋さんが「別にかまわない」と言ったことから、1964年と1965年は「長島」となったそうですが、1966年以降は、長嶋さんの意向で、「長嶋」に戻ったそうです。

(プロ入り前は、「長嶋」と表記するメディアと「長島」と表記するメディアが混在していたそうです)

ただ、サインに関しては、「長嶋」を使っていたのは入団当初だけで、現役中は一貫して「長島」で統一していたそうです。

ちなみに、1947年から球界のメンバー表を作成してきた「ファン手帖社」の表記では、1963年までは「長嶋」、1964年と1965年は「長島」、1966年以降は「長嶋」と表記されています。

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現在は「長島」

ただ、1999年には、ゲン担ぎのため、現役時代に広く知られていた「長島」に改名したそうで、読売新聞社によると、その時点で、戸籍上の本名も「長島」になっていたとのことでした。

そのため、2021年に文化勲章を受章した際には、文部科学省大臣官房人事課の発表(文部科学省のサイト)で本名「長島茂雄」と表記され、カッコ書きで「長嶋茂雄」と併記されています。

「長嶋茂雄の少年時代は小柄で足が速かった!」に続く

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