中日ドラゴンズのエース投手として活躍すると、プロ野球引退後は野球解説者・タレント業で活躍し、その明るく陽気なキャラクターで、司会者や解答者として引っ張りだことなった、板東英二(ばんどう えいじ)さん。

今回は、そんな板東英二さんの奥さんと子供たちを紹介します。

「板東英二のゆで卵好きが凄い!その理由とは?」からの続き

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妻・洋子は名家出身で平成天皇の妃候補だったことも

板東英二さんは、1962年、21歳の時、5歳年上の一般女性・洋子さんと結婚しています。

洋子さんは、お父さんが、三奈木黒田家の16代当主・黒田稔男爵、お母さんが安川財閥の一族という、由緒ある家柄の出身で、

学習院女子短期大学では、常陸宮正仁親王妃・華子様と同級生であり、上皇・明仁様(平成天皇)の妃候補と報道されたこともある、正真正銘のお嬢様なのだそうです。

馴れ初めは?

そんな二人の出会いを作ったのは、板東英二さん一家が満洲で日本料理店を営んでいた時に、近所で洋服店を営んでいた人だったそうで、この人は、終戦後は、東京都台東区柳橋で料亭を開業していたそうですが、

その後、高校野球での板東英二さんの活躍を知り、板東英二さんが中日ドラゴンズ入団後に、料亭の顧客だった松本健次郎さん(洋子さんの祖父)を板東英二さんに引き合わせたそうで、

その際、板東英二さんは、長嶋茂雄さんのファンだった松本さんから、長嶋さんのかかりつけの高名な整体師を紹介してもらい、以来、チームの遠征中、その整体師から施術を受けるようになったそうですが、その度に、洋子さんが同行したそうで、このことが縁となって、結婚に至ったそうです。

(板東英二さんが、洋子さんに一目惚れし、猛アプローチして口説いたそうです)

妻・洋子は英語が堪能だった

ちなみに、洋子さんは英語が堪能だったそうで、板東英二さんは、プロ野球を引退し、野球解説者となった際、メジャーリーグベースボール(MLB)の公式戦中継における解説者の話術を、洋子さんの翻訳を通じて学んだそうで、

板東英二さんは、

夏場に放送されていたロサンゼルス・ドジャースとサンフランシスコ・ジャイアンツ戦のテレビ中継で、自宅のクーラーが故障した視聴者が、放送中に『クーラーをすぐに修理できる電気店を教えて欲しい』と電話した。

実況アナウンサーと解説者が試合そっちのけで電気店に関する情報の提供を呼び掛けたところ、視聴者から大量の情報を集めた末に、『アメリカにおけるMLB中継の歴代最高』とされる視聴率を記録した。

その話を洋子から聞かされたことが、リスナーが楽しめそうな解説を心がけるきっかけになった

と、語っています。

(板東英二さんは、2018年夏に洋子さんが他界したことを明かしているのですが、その死因については触れていません)

球界の麻薬王?

ところで、板東英二さんは、中日ドラゴンズでプロ野球の現役選手時代、新聞の取材で、洋子さんの祖父・松本健次郎氏の自宅の庭で、娘を抱いて庭の花を指差す写真が新聞に掲載されているのですが、

ある日、突然、警察官が数人踏み込んで来て、仰天したことがあったそうです。

というのも、その写真で、板東英二さんが指差していた花というのが、自生していたケシの花(モルヒネとアヘンの原料で栽培が禁止されているそうです)だったそうで、この写真を見た警察官が踏み込んで来たのだそうですが、

(もちろん、板東英二さんたちは、その花がケシの花とは知らなかったそうです)

特に罰金などはなく、警察官はケシの花を抜いて帰ったそうですが、それ以来、板東英二さんは、”球界の麻薬王”とイジられるようになったとのことでした(笑)

娘(長女)は?

さておき、板東英二さんと洋子さんの間には、2人の女の子が誕生しているそうですが、

1964年に誕生した長女は、元国際線の客室乗務員で、ご主人は、ラグビー日本代表のコーチを歴任した、元ラグビー選手の永田隆憲さんだそうです。

娘(次女)は?

そして、次女は、あつこさんというそうですが(生年月日は不明)、長女同様、元国際線の客室乗務員で、

その後は、板東英二さんのマネージャーを担当するほか、板東英二さんの個人事務所「株式会社オフィスメイ・ワーク」の別事業として、化粧品会社「ヌセラコスメティクスNUCELLA」を立ちあげ、経営者としても活動していたそうですが、

板東英二さんの脱税問題が発覚したことで、2013年には、辞めているようです。

(スポーツ選手や芸能人のマネージャーとして、星野仙一さんや牛島和彦さん、歌手の加藤登紀子さんなどを担当していたこともあったそうです)

現在は?頭部を強打して入院していた

そんな板東英二さんは、2018年3月、自ら吉本興業との所属契約を解除したそうで、以降は、ラジオ番組のパーソナリティーとして活動していたそうですが、

2020年7月には、大阪市内の自宅近くで転倒して頭部を強打し入院していたそうで、7月22日のラジオ「板東英二のおばあちゃんと話そう」の収録を欠席していたといいます。

ただ、事務所関係者によると、

年齢も年齢ですし、念のために大事を取って検査もしようと1日検査入院の形を取りました。今は大丈夫です

とのことで、

その後、「週刊文春」の記者が、個人事務所のマネージャーに取材すると、

本人はいたって元気で、日常生活も普通に送っています。高齢ですし、コロナ禍もあって、医師の指導に従って仕事をセーブしています。仕事の依頼があれば、もちろん受けるつもりです。

引退というわけではなく、本人は『死ぬまで仕事がしたい!』と話しています

と、話していたとのことですが・・・

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死去

2026年7月28日、板東英二さんの公式ブログで、家族により、同月22日、慢性心不全のため、86歳で亡くなっていたことが発表されました。

また、葬儀は、故人の強い希望により、家族のみにて執り行ったとのことでした。

ちなみに、板東英二さんが歌った「燃えよドラゴンズ!」の歌詞にも出てくる井手峻さんが、板東英二さんの娘さんから電話で聞いた話によると、

お昼ご飯を食べた後、しばらくして、すうっと亡くなった

とのことです。

そして、板東英二さんの訃報に際し、

親交があったという和田アキ子さんは、

私は“バンちゃん”と呼ばせていただいていました。いっつも明るくて、いっつも優しくて、笑顔のバンちゃんしか思い出せません。

NHK連続テレビ小説『ええにょぼ』でも共演しました。私もバンちゃんも、お正月にオーストラリアに毎年旅行に行っていて、一緒にゴルフをしたり、ご飯を食べたり、飲み明かしたりと、楽しくて素敵な思い出しかありません。

本当に残念です。心よりご冥福をお祈りいたします

「世界・ふしぎ発見!」などに共に出演していた黒柳徹子さんは、

一番長くご一緒したのは『世界・ふしぎ発見!』です。板東英二さんはいつも私のことを『お母さん』と呼んでいました。私は『あなたを産んだ覚えはない』なんて言っていましたが、その『お母さん』という声が、今でも耳に残っています。

エジプトをはじめ、いろいろな国へロケにも行きました。いつも変わらずユーモアがあって、ラクダと本気で言い争いをしていた姿は、今思い出しても思わず笑ってしまいます。本当に楽しく、面白い方でした。

インドのロケではたくさん宝石を買っていらして、『そんなに買ってどうするの?』と聞いたら、『じゃあ、あげる』と言って、空港で私に宝石をくださいました。今でも、大切にしています。そんな気前の良さも、板東英二さんらしい思い出です

と、コメントしています。

さて、いかがでしたでしょうか。

板東英二さんの、

について、ご紹介しました。

既に2020年頃にはラジオの冠番組が相次いで終了して、めっきり露出が減っていた板東英二さんですが、2026年の死去の発表で、もう二度とあの明るい板東節が聞けなくなると思うと残念で仕方ありません。

板東英二 / 燃えよドラゴンズ!(1974)

お読みいただきありがとうございました

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