投手でシーズン20勝、打者でシーズン40本塁打以上の両方の記録を持つNPB唯一の選手で、「初代ミスター・ドラゴンズ」と称された、西沢道夫(にしざわ みちお)さん。今回はそんな西沢さんの、凄すぎる現役時代の成績をご紹介します。

「西沢道夫の現役引退は自身で決意?それともクビだった?」からの続き

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プロ野球選手(現役)時代の投手成績

それでは、まず、西沢さんの現役時代の投手成績をご紹介しましょう。

  • 1937年秋(名古屋)
    0勝0敗 2奪三振 防御率1.64(登板4 完投0 完封0 無四球0 投球回10.2)
  • 1938年春(名古屋)
    3勝4敗 11奪三振 防御率2.05(登板12 完投3 完封0 無四球0 投球回57.0)
  • 1938年秋(名古屋)
    3勝4敗 24奪三振 防御率3.77(登板15 完投3 完封0 無四球0 投球回73.2)
  • 1939年(名古屋)
    6勝10敗 67奪三振 防御率2.14(登板31 完投9 完封1 無四球0 投球回184.2)
  • 1940年(名古屋)
    20勝9敗 107奪三振 防御率1.92(登板44 完投20 完封6 無四球0 投球回276.1)
  • 1941年(名古屋)
    7勝13敗 63奪三振 防御率1.58(登板41 完投7 完封2 無四球0 投球回198.1)
  • 1942年(名古屋)
    7勝11敗 52奪三振 防御率1.75(登板35 完投9 完封1 無四球0 投球回211.0)
  • 1943年(名古屋)
    9勝6敗 55奪三振 防御率1.87(登板24 完投12 完封1 無四球0 投球回159.0)
  • 1946年(中部日本)
    5勝8敗 21奪三振 防御率4.65(登板23 完投3 完封0 無四球0 投球回117.1)
  • 1946年(ゴールドスター)
    0勝0敗 1奪三振 防御率0.00(登板1 完投0 完封0 無四球0 投球回4.0)
  • 1947年(金星スターズ)
    0勝0敗 1奪三振 防御率3.60(登板1 完投0 完封0 無四球0 投球回5.0)

と、投手活動9年(名古屋軍(中部日本)、ゴールドスター(金星スターズ))で、通算231登板 60勝65敗 404奪三振 防御率2.23(完投66 完封11 無四球0)の成績を残しています。

プロ野球選手(現役)時代の打撃成績

次に、打撃成績ですが、

投手時代の打撃成績は、

  • 1937年秋(名古屋)
    2安打 打率4割 0本塁打 2打点 0盗塁(0二塁打 0三塁打 0得点 四球0 敬遠0 出塁率4割 長打率4割)
  • 1938年春(名古屋)
    4安打 打率2割1分1厘 0本塁打 0打点 0盗塁(1二塁打 0三塁打 2得点 四球1 敬遠0 出塁率2割5分 長打率2割6分3厘)
  • 1938年秋(名古屋)
    6安打 打率2割1分4厘 0本塁打 4打点 0盗塁(0二塁打 0三塁打 1得点 四球3 敬遠0 出塁率2割9分 長打率2割1分4厘)
  • 1939年(名古屋)
    14安打 打率1割8分7厘 0本塁打 1打点 1盗塁(1二塁打 0三塁打 2得点 四球3 敬遠0 出塁率2割1分8厘 長打率2割)
  • 1940年(名古屋)
    19安打 打率1割8分4厘 0本塁打 11打点 0盗塁(3二塁打 0三塁打 4得点 四球3 敬遠0 出塁率2割1分5厘 長打率2割1分4厘)
  • 1941年(名古屋)
    14安打 打率1割9分7厘 0本塁打 3打点 0盗塁(0二塁打 0三塁打 2得点 四球6 敬遠0 出塁率2割6分 長打率1割9分7厘)
  • 1942年(名古屋)
    16安打 打率1割7分8厘 1本塁打 9打点 0盗塁(2二塁打 0三塁打 5得点 四球7 敬遠0 出塁率2割3分7厘 長打率2割3分3厘)
  • 1943年(名古屋)
    23安打 打率2割2分3厘 0本塁打 10打点 1盗塁(2二塁打 0三塁打 4得点 四球5 敬遠0 出塁率2割5分9厘 長打率2割4分3厘)
  • 1946年(中部日本)
    18安打 打率2割7分3厘 0本塁打 9打点 0盗塁(5二塁打 0三塁打 5得点 四球10 敬遠0 出塁率3割6分8厘 長打率3割4分8厘)

打者転向後の打撃成績は、

  • 1946年(ゴールドスター)
    35安打 打率2割5分9厘 1本塁打 16打点 1盗塁(6二塁打 1三塁打 14得点 四球2 敬遠0 出塁率2割8分1厘 長打率3割4分1厘)
  • 1947年(金星スターズ)
    121安打 打率2割6分5厘 8本塁打 57打点 3盗塁(18二塁打 3三塁打 45得点 四球28 敬遠0 出塁率3割1分1厘 長打率3割7分)
  • 1948年(中日)
    132安打 打率2割6分 16本塁打 60打点 7盗塁(22二塁打 3三塁打 52得点 四球46 敬遠0 出塁率3割2分1厘 長打率4割9厘)
  • 1949年(中日)
    171安打 打率3割9厘 37本塁打 114打点 7盗塁(26二塁打 3塁打 91得点 四球49 敬遠0 出塁率3割6分6厘 長打率5割6分7厘)
  • 1950年(中日)
    175安打 打率3割1分1厘 46本塁打 135打点 4盗塁(22二塁打 3三塁打 104得点 四球56 敬遠0 出塁率3割7分4厘 長打率6割7厘)
  • 1951年(名古屋)
    96安打 打率2割7分 14本塁打 61打点 7盗塁(15二塁打 2三塁打 47得点 四球49 敬遠0 出塁率3割6分 長打率4割4分1厘)
  • 1952年(名古屋)
    153安打 打率3割5分3厘 20本塁打 98打点 8盗塁(27二塁打 1三塁打 79得点 四球54 敬遠0 出塁率4割2分6厘 長打率5割5分9厘)で、首位打者・打点王(最高出塁率)
  • 1953年(名古屋)
    145安打 打率3割2分5厘 22本塁打 81打点 8盗塁(24二塁打 4三塁打 76得点 四球38 敬遠0 出塁率3割8分1厘 長打率5割4分5厘)で、(最高長打率)
  • 1954年(中日)
    170安打 打率3割4分1厘 16本塁打 80打点 5盗塁(32二塁打 2三塁打 68得点 四球40 敬遠0 出塁率3割9分 長打率5割1分)
  • 1955年(中日)
    124安打 打率2割6分1厘 14本塁打 53打点 4盗塁(25二塁打 2三塁打 55点 四球46 敬遠10 出塁率3割3分 長打率4割1分)
  • 1956年(中日)
    90安打 打率2割7分1厘 8本塁打 43打点 0盗塁(16二塁打 0三塁打 32得点 四球12 敬遠2 出塁率2割9分9厘 長打率3割9分2厘)
  • 1957年(中日)
    86安打 打率2割8分 7本塁打 49打点 0盗塁(12二塁打 0三塁打 29得点 四球20 敬遠1 出塁率3割2分6厘 長打率3割8分8厘)
  • 1958年(中日)
    103安打 打率2割7分5厘 2本塁打 44打点 0盗塁(12二塁打 0三塁打 33得点 四球23 敬遠2 出塁率3割1分8厘 長打率3割2分3厘)

と、現役生活20年1704試合(中日(名古屋軍、中部日本)、ゴールドスター(金星スターズ))で、通算1717安打 打率2割8分6厘 212本塁打 940打点 56盗塁(271二塁打 24三塁打 750得点 501四球 敬遠15 出塁率3割4分3厘 長打率4割4分5厘)と、途中で打者に転向したにもかかわらず、素晴らしい成績を残しています。

タイトルは首位打者1回、打点王1回、最多出塁数1回

そんな西沢さんは、

  • 首位打者1回(1952年)
  • 打点王1回(1952年)
  • 最多出塁数1回(1952年)

のタイトルを獲得しています。

ノーヒットノーラン1回、シーズン最多満塁本塁打ほか記録多数

また、西沢さんは、ほかにも、

  • ノーヒットノーラン1回(1942年7月18日、対阪急軍戦、後楽園球場 ※史上9人目)
  • シーズン最多満塁本塁打5本(1950年)※NPB記録
  • 25試合連続安打(1949年4月3日-5月3日)
  • 11試合連続打点(1949年5月8日-5月29日)
  • オールスターゲーム出場5回(1951-1955年)
  • 満16歳と4日での公式戦出場(1937年9月5日)※NPB公式戦出場最年少記録

などを記録しています。

野球殿堂競技者表彰、ベストナイン、オールスターMVPなど受賞

そんな西沢さんは、

  • ベストナイン3回(一塁手部門 1950年、1952年、1954年)
  • 野球殿堂競技者表彰(1977年)
  • 日本シリーズ首位打点賞1回(1954年)
  • オールスターゲームMVP1回 (1955年 第2戦)

などの賞も受賞しています。

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背番号15は中日ドラゴンズの永久欠番

西沢さんは、1936年12月、15歳で名古屋軍の入団テストを受けて入団しているのですが、当初は年齢不足で養成選手(練習生)だったそうで、その時の背番号は、「0」と「14」だったようです。

その後、西沢さんは、1937年9月1日で満16歳となり、正式登録されると、背番号は「5」になり、その後は、下記のように変遷しています。

  • 0(名古屋軍 1937年春)
  • 14(名古屋軍 1937年春)
  • 5(名古屋軍 1937年春-1937年秋)
  • 17(名古屋軍、中部日本 1938-1943年、1946年)
  • 23(ゴールドスター、金星スターズ 1946年途中-1947年)
  • 15(中日、名古屋 1948-1958年、1963-1966年)(永久欠番)
  • 63(中日 1967年)

ちなみに、1948~1958年、1963~1966年につけた背番号「15」は、1958年に中日ドラゴンズの永久欠番となっています。

「西沢道夫の監督時代の成績は?病気で突然辞任していた!」に続く

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