1981年には、慕っていた根本睦夫監督が退任し、後任に広岡達朗監督が就任すると、田淵幸一(たぶち こういち)さんは、広岡監督から「給料泥棒」などと、全選手の前で批判されていたといいます。

「田淵幸一は広岡達朗が西武監督就任当初はついていけないと思っていた!」からの続き

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広岡達朗監督に全選手の前で批判されていた

根本陸夫監督が退任し広岡達朗新監督となると、最初に、グラウンドに全選手が集められ、広岡監督が、監督就任の挨拶(あいさつ)を行ったそうですが、

なんと、その際、

この球団には最高の給料とりが2人います。だが、その選手は守れない、走れない。もう一人は、いいピッチングをしてても最後には打たれて負ける

DHの選手がチーム最高の給料を取っているのはおかしい。打って守って走ってこそ一人前の選手なんです

と、言われたそうで、

田淵さんは、自分に向けられたみんなの視線を感じつつ、明らかに自分のことを言われていると思ったそうです。

共に批判された東尾修は怒り狂っていた

ちなみに、広岡監督の言う、「もう一人」は、投手の東尾修さんのことで、田淵さんが、東尾さんと視線が合い、

オレたちのことか?

と、目で合図すると、

東尾さんはうなずいたそうですが、その顔は、眉がつり上がり、真っ赤になっていたそうで、

監督就任の挨拶が終わり、ロッカールームに戻ると、

東尾さんは、

許せん!オレは広岡を絶対に許さん。誰があいつの言うことなんか聞くか!

と、荒れ狂ったのだそうです。

優勝して広岡監督の鼻を明かし胴上げのとき最後に落とそうと選手たちに提案していた

そんな東尾さんを、田淵さんは、

まぁ待て。反抗するより、言うとおりにして優勝してやろうじゃないか

と、なだめたそうですが、

東尾さんは、

おっさん、気でも狂ったんか

と、言ったそうで、

(田淵さんは、東尾さんから、親しみを込めて「おっさん」と呼ばれていたそうです)

田淵さんは、

そうじゃない。優勝して、胴上げして最後に落としてやるんだよ

と、抑え、

その後、西武の選手たちを集め、

(広岡監督の目が節穴だったことを証明するために優勝し)広岡監督を胴上げして、最後に落とそう

と、提案すると、他の選手たちはこの提案を魅力的と感じて乗ってくれたそうですが・・・

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東尾修だけは断固として広岡監督の管理野球に反抗していた

東尾さんだけは断固として抵抗したそうで、例えば、広岡監督は、キャンプ中の飲酒を「練習休みの前日の食事時を除いて原則禁止」としていたそうですが、東尾さんは、缶ビールを大量に買い込んで、昼食時にやかんに入れ、まるでお茶を飲んでいるかのように、湯飲み茶椀でビールを飲むなど、広岡監督の「管理野球」に反抗していたそうで、

田淵さんは、そんな東尾さんを、

あいつはストレートな男だから、オレのようにすぐに気持ちを変えられない。でもそこが、いいところなんだよ

と、語っています。

(ちなみに、やかんの中のビールは生ぬるくて気が抜けており、おいしくなかったそうですが、東尾さんには「飲み続けることに意義があるんだ。おっさんも飲んでくれよ」と言われ、やかんビールを飲まされたのだそうです(笑))
「田淵幸一は広岡達朗の「管理野球」を受け入れダイエットに成功するも・・・」に続く

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