1975年、大学2年生の時、日米大学野球選手権の全日本メンバーに選ばれ、アメリカへ向かう日航機の中で、国際線の客室乗務員を務めていた正子さんに一目惚れすると、なんとか連絡先(自宅の電話番号)を聞き出したという、江川卓(えがわ すぐる)さんは、さっそく電話した際、電話口に出た正子さんのお母さんが大の野球通だったことから、自宅に招かれ、以来、しばしば遊びに行くようになり、出会って約半年後には、正子さんとの交際がスタートしたそうですが、交際中には、なんと、正子さんの実家で正子さんと大ゲンカして、正子さんに暴力を振るったこともあったといいます。
「江川卓は妻の母親が大の野球通で家に招かれるようになっていた!」からの続き
正子と交際中、正子の実家で正子を殴ったうえ、母親まで押し倒していた
江川さんと正子さんは、出会って半年ほどで交際に発展したそうですが、すべてが順調だったわけではなく、交際が深まるにつれ、特に江川さんが、試合のことなどでナーバスになり、正子さんへの甘えやワガママを抑えきれなくなったそうで、正子さんに当たり散らすようになっていったそうです。
そして、ある日、江川さんは、正子さんの実家で、正子さんと大ゲンカになったそうですが、なんと、江川さんは、正子さんを殴ったうえ、正子さんの髪をつかんで引きずり回すと、止めようと江川さんにしがみついてきたお母さんまで押し倒したのだそうです。
(お母さんは、ひっくり返り、襖(ふすま)に大きな穴が開いたそうです)
正子とのケンカで正子の実家を飛び出すも、しばらくして何事もなかったかのように戻っていた
そんな江川さんは、その直後、玄関から外に飛び出したそうですが・・・
暴れるだけ暴れて気持ちも収まり、辺りをウロウロしているうちに外気で頭も冷えると、
なんと、公衆電話から、正子さんの実家に電話して、
僕だ。じゃ、今から食事に戻るから
と、言い、平然と正子さんの実家に戻ったのだそうです。
正子の父親は江川卓と正子のケンカを意に介していなかった
ちなみに、江川さんが家を飛び出した後、正子さんのお母さんは、ぶつけた腰をさすりながら、本を読んでいたお父さんに、「なぜ何もおっしゃってくださらなかったんですか」とこぼすと、正子さんも「そうよ、娘があんな目にあっているのに」と詰め寄ったそうですが、お父さんは、本から目を離さず、「ワシはあの男のことを信じておる」と言ったといいます。
(江川さんと正子さんのこのケンカの際、お父さんも居合わせたのですが、お父さんは、普段から、家に集まった若者たちが酔って大騒ぎしようと議論が昂じて声を荒らげようと、怒ったことはなく、そのただ中でも平気で一人静かに本を読んでいるような人だったそうで、江川さんと正子さんがケンカしている際も、まるで意に介さず、読書を中断することすらしなかったのだそうです)
「江川卓は父親に妻との交際&結婚を猛反対されていた!」に続く
江川卓さんと妻の正子さん。