1975年、大学2年生の秋には、異常な登板過多で右肩を疲労骨折してしまった、江川卓(えがわ すぐる)さんですが、1976年、大学3年生の春には復帰すると、再び、大車輪の活躍を見せます。
「江川卓は法政大2年の秋は登板過多で右肩疲労骨折も筋肉痛と発表されていた!」からの続き
大学3年生の春のリーグ戦では東大1回戦で完封し通算20勝を達成
1975年秋には、登板過多で疲労骨折をしてしまった江川さんですが、1976年、大学3年生となると、春のリーグ戦1回戦の東大戦では(自身1年ぶりとなる)先発完封勝利(7対0で法政が勝利)し、六大学リーグ通算20勝を達成しています。
(法政は、東大2回戦も中林千年選手の好投で5対2と連勝し、順調なスタートを切ります)
慶応戦では4連戦全てに登板
そして、江川さんは、慶応戦の1回戦でも先発完投すると、
(慶応の林投手との投げ合いとなり、0対0の引き分け)
2回戦でも先発登板して、5イニングを投げ、
(9対0で法政が圧勝)
3回戦でも、9回から延長13回までリリーフ登板、
(江川さんは、2対2の9回からリリーフするも、延長13回表、慶応に2点を奪われ、4対2で敗戦投手となっています)
さらには、1勝1敗1分で迎えた4回戦にも先発完投します。
(この試合は法政が3対1で勝利し、勝ち点を得ているのですが、慶応との4連戦に全て登板した江川さんが大きく貢献しています)
立教1回戦で完投、早稲田戦では1回戦完封に続き2回戦と3回戦にも登板
そして、江川さんは、続く、立教との1回戦でも先発完投すると、
(法政はこの試合で7対2で勝利すると、2回戦も中林投手の好投で立教に連勝し、立教からも勝ち点を得ています)
佐藤清選手、松本匡史選手、山倉和博選手、吉沢俊幸選手ら強打者を誇る早稲田との1回戦でも先発完封、
(6対0で法政が勝利)
さらには、2回戦(2対2)も、3回戦(1対1)も登板して力投。
すると、法政は、4回戦は中林投手の好投で勝利して、早稲田から勝ち点を奪い、優勝を賭けて、最終カードの明治戦に臨むこととなったのでした。
(ちなみに、明治も、高橋三千丈、鹿取義隆という二人の2年生投手が中心となってチームを引っ張り、立教、早稲田、慶応、東大をいずれもストレートで破って開幕8連勝という破竹の快進撃中で、東京六大学野球史上初の、勝ち点4同士の対戦となっています)
「江川卓は法政大3年で春秋連覇に大きく貢献していた!」に続く