Jリーグ史上最高齢の54歳でプレーし、2024年、57歳現在も、現役を続行しているキングカズこと三浦知良(みうら かずよし)さん。

そんな三浦知良さんは、父・納谷宣雄(なや のぶお)さんに、サッカーをやるきっかけを作ってもらい、15歳でサッカー王国・ブラジルに留学させてもらうなど全面的にサポートされ、導いてこられたのですが、

三浦知良さんは、長きに渡り、公の場で納谷宣雄さんに言及することはありませんでした。一体、親子の間に何があったのでしょうか。

今回は、三浦知良さんの父・納谷宣雄さんについて簡単にご紹介するとともに、三浦知良さんが納谷宣雄さんに言及しなかった理由、近年の三浦知良さんと納谷宣雄さんの関係をご紹介します。

三浦知良と父親の納谷宣雄

「三浦知良の息子は?長男は俳優の三浦獠太!次男は格闘家の三浦孝太!」からの続き

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三浦知良の父親・納谷宣雄は日本サッカーの黎明期からブラジルと日本の架け橋となっていた

まずは、三浦知良さんのお父さんの納谷宣雄さんについて、簡単にご紹介します。

納谷宣雄さんは、1970年代、静岡市内で日本初のサッカー専門スポーツ店を経営し、1983年には、日伯(ブラジル)フットボール協会を設立すると、1980~1990年代にかけて、日本からブラジルにサッカー留学生を多数送り込んでいるのですが、

最盛期の1990年代初めには、サンパウロ州、パラナ州、サンタカタリーナ州の23クラブで、プロサッカー選手を目指す170人の日本人を武者修行させるほか、ビスマルク選手など数多くのブラジル人選手をJリーグに送リ込むなど、日本サッカーの黎明(れいめい)期からブラジルと日本の架け橋となる活動をしていました。

また、1980年代には、サンパウロ州サッカー連盟の国際関係理事にも就任するほか、2000代になってからも、ブラジル進出に関心のある日本の中小企業経営者を連れて、度々、現地案内を行うなど、日本とブラジルの交流に尽力しました。

三浦知良が父親・納谷宣雄について公の場で言及することがなかった理由とは?

そんな父親を持つ三浦知良さんですが、長きに渡り、父親である納谷宣雄さんについては、公の場で言及したことはありませんでした。

また、三浦知良さんがブラジルで成功して日本に帰国するまで、すべての過程において、納谷宣雄さんのサポートがあったのですが、

三浦知良さんは、15歳の時に、サッカー留学のため、単身でブラジルに渡ったかのようなエピソードが伝えられるなど、まるで、納谷宣雄さんの存在はなかったかのように語られています。

そして、納谷宣雄さん自身も、

カズの歴史から納谷宣雄という名前は消えてるよ

と、寂しそうに言っていたといいます。

一体、親子の間に、どんな事情があったのでしょうか。

(しかも、サッカーマスコミの誰もが三浦知良さんにお父さんの質問をすることはタブーとされてきたそうです)

父親・納谷宣雄と母親が離婚したのは2回の逮捕が原因だった

実は、三浦知良さんのお父さんの納谷宣雄さんとお母さんは、三浦知良さんが小学生の時に離婚しているのですが、離婚の原因は、納谷宣雄さんの素行の悪さをお母さんの親族が嫌悪したためだと言われています。

その中でも、最大の理由というのが、離婚が成立するまで繰り返された2回の逮捕歴で、

1回目は、1976年4月6日(三浦知良さんが9歳の時)、納谷宣雄さんが覚せい剤を買っていた盛岡市内の元暴力団員の自供から、納谷宣雄さんが韓国で覚せい剤を大量に買い込んで国内の暴力団員などに売りさばいていた事実が判明し、覚せい剤取締法違反の疑いで逮捕。

2回目は、1978年7月8日、再び、麻薬取締法違反で逮捕され、翌年の1979年2月には、懲役1年10月の実刑判決を言い渡されているのです。

三浦知良には異母弟がいた

また、納谷宣雄さんには、複数の女性と付き合いがあり、その中の一人との間に男の子が誕生しているそうです。(三浦知良さんの異母弟)

そして、納谷宣雄さんは、その子供を連れて堂々と散歩をしていたそうで、

(離婚する前か後かは不明)

納谷宣雄さんの兄・聖司さんは、その様子を見て、まだ幼い三浦知良さんたちはどんな気持ちで見ているのだろうと暗い気持ちになったといいます。

ただ、意外なことに、三浦知良さんは、小学校の頃、週に3回ぐらい、この異母弟に会って一緒に遊んでいたそうで、この異母弟自身が1993年、写真週刊誌「フライデー」の直撃取材で明かしています。

父親・納谷宣雄はブラジルで規格外の豪傑だった

そんな納谷宣雄さんは、2度目の逮捕の後、出所すると、1982年から生活の基盤をブラジルに移しているのですが、ここで、ブラジルでの納谷宣雄さんの規格外の豪傑さを物語るエピソードをご紹介します。

  • 日本にブラジルサッカーの試合映像を売る販売窓口や、日本からのサッカー留学生をブラジルのクラブに紹介するエージェントをビジネスにして成功させた
  • ビジネスで儲かりすぎた結果、外貨持ち出し禁止法違反でサンパウロ空港で逮捕。賄賂(わいろ)を要求されるも拒否したために起訴される(後に無罪判決)
  • 逮捕直後は弁護士を雇って釈放されるまでの2週間、ブラジルでの留置場生活を余儀なくされていた
  • 留置所では、偽金作りの名人、コカインの売人、爆弾の製造を得意とする左翼活動家、アルゼンチン人の殺し屋と親しくなり、中でも「殺し屋」とは留置所を出た後も交流を続けていた
  • 「殺し屋」を自分のアパートに泊め、日本食のレストランに連れて行くと男は感激して、「納谷、殺したいやつがいればいつでも連絡してくれ。お前ならば200ドルでやってやるから」と言われた
  • 「殺し屋」の金銭的な苦境を救った際、「殺し屋」はお金を受け取ると、「お前の頼みならばただで殺してやるから」と電話をかけてきた
  • 「俺を敵に回せば殺し屋がやってくるぞ」と自慢げに話して回るようになった
  • “ドーハの悲劇”の舞台裏の話として、賄賂を渡せば審判が公平な笛を吹いてくれると日本サッカー協会に交渉するも断られていた(アラブ諸国も審判に賄賂を渡しているため、日本も渡せばこれで公平なジャッジになると、サッカー界の大物フィクサー・エリアス・ザクーという人物に持ちかけられたことによる)

三浦知良は父親・納谷宣雄とは日本に活動の拠点を移して以来、距離を置くようになっていた

三浦知良さんは、お父さんの納谷宣雄さんのサポートのもと、10代の頃からブラジルでサッカーを始めているのですが、1990年代に活動の拠点を日本に移した後は、そんなことから、公の場では、納谷宣雄さんとは距離を置くようになったそうです。

(三浦知良さんの周囲が問題だらけの納谷宣雄さんを煙たがってのことだったそうです)

ただ、納谷宣雄さんのバイタリティは衰えず、肝硬変で生命の危機に立たされたこともあったそうですが、1997年には、臓器移植手術を受け、奇跡的な回復を遂げると、その後も、日本とブラジルを行き来しながら三浦知良さんを応援し続けていたといいます。

三浦知良は2005年頃には父親・納谷宣雄と行動を共にしている姿が頻繁にみられるようになっていた

そして、2005年頃には、三浦知良さんと納谷宣雄さんが行動を共にしている姿が頻繁に目撃されるようになったそうで、

Jリーグの関係者は、

納谷氏とカズらの実母がずいぶん前から静岡で同居しているのは有名なのですが、現在、カズが所属する横浜FCの試合後に、カズ、実母だけでなく、カズのマネジャーらも一緒になって引き揚げていくことすらある。

6月9日に国立競技場で行われた日本・イタリアOB戦にカズが出場したのも、大会に納谷氏が関わっていたからとの話で、ここへきて2人は蜜月関係になっているようです

と、語っています。

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三浦知良の父親・納谷宣雄が死去

ただ、そんな納谷宣雄さんも、2023年9月8日、81歳で他界されます。

そして、9月12日には葬儀・告別式がしめやかに営まれたのですが、三浦知良さんは、出棺前の挨拶で、

おやじは自分にとって大きな存在でした。おやじは小さいときから優しい人で怒られた記憶が1回もありません

と、思い出を語り、

時には人生相談もして、ブラジルへ一緒に遊びに行くときは兄のような存在だったことも明かしています。

また、

おやじの遺志を継いで、僕もヤスさん(兄の三浦泰年さん)もサッカー界で頑張っていきたと思います

と、決意を語り、亡きお父さんを偲んだのでした。

ちなみに、納谷宣雄さんは、亡くなる3ヶ月前、孫に、

俺の一番の自慢は泰年(長男)と知良の父親であることだ

と、目に涙を浮かべつつ、笑顔で話していたそうで、

たとえ、問題だらけのお父さんで、表面的には距離をおいた時期があったとしても、親子はいつも強い絆で結ばれており、間違いなく、納谷宣雄さんの支えなくして三浦知良さんがサッカーで活躍することはできなかったでしょう。

お読みいただきありがとうございました

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