堂本光一さんと堂本剛さんの「W堂本」として絶大な人気を誇る、「KinKi Kids」。1997年、「硝子の少年」でデビュー以降、「愛されるより 愛したい」「フラワー」などのヒットを飛ばし、現在もトップアイドルとして走り続けています。
ジャニーズ事務所入り
堂本光一さんと、堂本剛さんは、
1991年、それぞれ、ご家族が、
ジャニーズ事務所に履歴書を送られたことで、
当時、スーパーアイドルだった、
「光GENJI」のコンサートに招待され、
横浜アリーナで出会われます。
光一さんは、
芸能界に特に興味はなかったそうですが、
コンサートを観て感動され、
やってみたいと思い、即入所を決意。
一方、剛さんも光一さん同様、
芸能界に興味がなかったそうですが、
光一さんと意気投合されたのか、
同時に入所されています。
そして、翌年の1992年8月、13歳の時、
アイドル雑誌「Myojo」の取材を受け、
11月号で「関西からきた新入生」
として紹介されたのが、
お二人の初めてのお仕事となったのでした。
「KinKi Kids」
お二人は、当初は、主に、「光GENJI」や「SMAP」の、
バックダンサーとして活動されていたようで、
この頃は、まだ、
はっきりしたグループ名はなく、
「ジャニーズ関西組」
「堂本ブラザーズ」
「W堂本」
など、様々な名前で呼ばれていたようです。
そして、1992年、「第43回NHK紅白歌合戦」で、
「SMAP」のバックダンサーとして出演された際に、
「KANZAI BOYA(カンサイボーヤ)」として、
紹介されたのですが、
翌年の1993年に、
SMAPの番組「キスした?SMAP」で、
正式に「KinKi Kids」として、
発表されたのでした。
ちなみに、お二人は、この名前をもらった時、
俺ら終わったな。
と、落胆されたのだとか。
確かに、今でこそ、聞き慣れた名前ですが、
初めて名前をもらったときには、
ショックな名前ですよね~
デビュー前から活躍
しかし、1994年には、
デビュー前にもかかわらず、
日本武道館で、
ファーストコンサートを行ったり、
1996年10月には、
一気に5本のレギュラー番組が、
スタートするなどして、
「KinKi Kids」の知名度は、
一気にアップ。
さらに、同年の「第47回NHK紅白歌合戦」では、
事務所の先輩である近藤真彦さんのステージに、
応援ゲストとして登場すると、
「ミッドナイト・シャッフル」の冒頭のサビを、
「KinKi Kids」のお二人が歌うという、
サプライズ演出がなされるなど、
事務所側の期待度がうかがえる、
猛プッシュを受けたのでした。
デビュー会見
そして、1997年5月、
ジャニーズ事務所のレコード会社、
「ジャニーズ・エンタテイメント」設立に伴い、
「KinKi Kids」は、
その第一弾アーティストとして抜擢。
ついに、デビューが決定したのでした。
1997.5.29デビュー記者会見より。
ちなみに、デビュー報告会見は、
東京赤坂にある、豊川稲荷神社で行われたのですが、
会見映像が、新宿駅東口前のアルタビジョンや、
渋谷駅ハチ公前交差点のアストロビジョンなど、
5ヶ所で流されるという豪華なもので、
この一連のプロモーションには、
なんと、3000万円が投じられたのだそうです。
「硝子の少年」でデビュー
こうして「KinKi Kids」は、
1997年7月、満を持して、
ファーストシングル「硝子の少年」と、
ファーストアルバム「A album」の同時発売で、
CDデビューを果たすと、
ともに、オリコン初登場1位を獲得。
「硝子の少年」は、売上178万枚という、
大ヒットを記録したのでした。
「硝子の少年」
人気アイドルの地位を確立
そして、「KinKi Kids」は、
その後も、
1997年「愛されるより 愛したい」
1998年「全部だきしめて/青の時代」
1999年「フラワー」
と、立て続けに大ヒットを飛ばし、
人気アイドルとしての地位を確立。
近年は、「KinKi Kids」としての活動と並行し、
それぞれ単独でも活躍されているお二人ですが、
2016年11月には、「KinKi Kids」として、
37番目となる新曲「道は手ずから夢の花」を発表すると、
デビューシングルから、
37作連続で初登場1位を獲得されています。
「道は手ずから夢の花」
さて、いかがでしたでしょうか?
あふれる才能と容姿に恵まれた、
同い年で同じ苗字のお二人が出会い、
二人だけのユニットを組まれるなんて、
運命を感じずにはいられません。
これからも、他のアイドルにはない、
その独特な魅力で、
私達を魅了し続けてほしいですね。
応援しています!!
https://www.youtube.com/watch?v=Ym7bswavXAs