高島忠夫さんとの結婚を契機に、宝塚歌劇団を寿退団。男の子を出産し、幸せいっぱいの日々を送っていた、寿美花代(すみ はなよ)さんですが、同年、赤ちゃんが殺害されるという大きな不幸に見舞われています。
寿美花代は長男を殺害されていた
1964年8月24日、午前2時40分頃、寿美花代さん高島忠夫さん夫婦は仕事だったのか、家を留守にしていたようですが、
(この日の夕食を家で摂っていたともいわれているため、実際はどこにいたのかは不明)
当時、住み込みで働いていた、17歳の家政婦から、
道夫くんがどこにもいない
と連絡があり、
寿美花代さん高島忠夫さん夫婦は、この家政婦と、家の周辺をあちこち探し回ったそうです。
しかし、見つからず、寿美さんはひょっとしたらと思い、家に戻り、お風呂のふたを開けると、浴槽の中に沈められている、生後5ヶ月の道夫くんを発見したといいます。
在りし日の道夫くん。
寿美花代さんは、後に、
あの、殺されて、それで…お風呂に沈められて。
初めて言いますけどもね、こういう事。
それでその夜中に、もうあちこち、
もう家の周りを私は、道夫くん、道夫くん、
もう主人も道夫、道夫って、探したんですね。
それこそドブの板も剥がして全部。
それで、ひょっとしたらと思って、
家に入ってお風呂のふたを開けたら、
開けた途端にタオルがかけてあって。
パッと私が取った途端に鼻血がバーっと出たんです。
それで、そのお風呂の中に泡がいっぱいあったんです。
それで、急いで取って、
どうしてねこんなことになったのか。
それが私にはもうわからない。
もう悲しみは、生きたまま、
はらわたをえぐられるような思いはずっとしました。
と、振り返っています。
また、夫の高島忠夫さんは、
もうほんとに、のた打ちましたね…
で、泣いてるそばで、刑事が家内に話してるのを聞くと、
刑事は家内が犯人だと、尋問してるんですよ。
もう、どう大声出そうかと思ったくらい、
腹立ちましたけどもね。
あの時は悲しいやら辛いやら、
もう、こう何て言ったらいいのか、ほんとに、
もうほんとに、たまらなかったですね。
と、語っています。
道夫くんの葬儀で沈痛の表情の高島忠夫さん。
犯人は家政婦の少女だった
ただ、警察の捜査が進んでいくと、
道夫くんがいなくなっていることに、最初に気づいた家政婦の少女の、
当日夜に窓の外を不審な男が歩いてるのを見た
道夫くんが激しく泣いてるのを聞いた
という、証言が疑わしくなり、
- 少女以外に不審者を見た者がいないこと
- 少女以外に道夫くんの泣き声を聞いた者がいないこと
- 高島家では犬を飼っており、この犬は普段、不審者が近づくと、激しく吠えるのですが、事件当日の夜は吠えていないこと
- 普段、全員がお風呂に入り終わった後、この少女が、浴槽の残り湯を抜くことになっていたのですが、この日に限り、浴槽のお湯を捨てていなかったこと
- 犯人がもし、物取り目的で押し入ったとすれば、生後わずか5ヶ月の赤ちゃんに姿を見られても、赤ちゃんが証人となるわけがなく、殺すというのは不自然であること
- 道夫くんを浴槽に入れて、きちんとお風呂のふたを閉めて、立ち去るというのも不自然であること
から、少女を問いただしたところ、
同日午後1時半頃、少女は、自分の犯行であることを認めたのでした。
犯人(家政婦の少女)の素性
ちなみに、少女は、新潟県の出身で、高校受験に失敗すると、1963年、中学校卒業後に上京。
墨田区にある、とある会社の工場に就職したそうです。
その後、高島家で家政婦を探していると、偶然知り合いから聞かされ、もともと、寿美花代さん高島忠夫さん夫婦のファンだったことから、応募するため、すぐに工場を退職。
1963年7月(暮れという説もあり)、憧れの寿美花代さん高島忠夫さん夫婦の元で働くこととなったのでした。
ちなみに、寿美花代さん高島忠夫さん夫婦は、少女がまだ10代ということもあって、かわいがっており、少女もまた、寿美さん夫婦によく尽くしていたそうですが・・・
犯行の動機は看護師への嫉妬?
いつの頃からか、少女は、寿美さんの豪華なアクセサリーなどを盗むようになっていったそうで、それにとどまらず、1964年4月には、来客のバッグから1万円を盗むまでに。
高島忠夫さんは、このことから、少女を解雇しようとしたそうですが、少女が反省している様子だったので、許すことに。
ただ、1964年3月頃には、道夫くんが誕生したことにより、道夫くん専属の看護師(当時29歳)が雇われると、その看護師は大学病院に勤務していた経験などから、少女よりも3倍もの給料を取っていたそうで、少女は自然と、この看護師を意識するようになっていったのだそうです。
新しい家政婦の存在も
また、少女は、高島忠夫さんの付き人を任されるようになり、一緒に舞台の仕事に出かけるようになったそうですが、その間、少女に代わり、新たな家政婦が雇われており、高島忠夫さんの舞台が終わり、少女が家政婦に戻った頃には、この家政婦が家のことを取り仕切るようになっていたのだそうです。
犯行数日前
そして、犯行に及ぶ数日前、少女は、風邪を引いていたため、
寿美花代さんから、
道夫には近づかないように
と、言われたそうですが、
少女は、これを、看護師からの忠告だと思い込みます。
また、寿美花代さん高島忠夫さん夫婦は、8月28日から、仕事で海外に一ヶ月滞在予定となっていたそうですが、
看護師には、寿美花代さんから、
お土産買ってくるからね
と、声をかけられていたそうですが、
自分には言ってくれなかったと、看護師への嫉妬と不満をつのらせていったのだそうです。
「寿美花代の長男を殺害した家政婦の現在は?服役後は結婚もしていた!」に続く
1964年、高島忠夫さんと結婚すると、男の子を出産するも、なんと、その赤ちゃんを信頼していた家政婦に殺害されるという悲劇に遭った、寿美花代(すみ はなよ)さん。 今回は、その家政婦(犯人)の当日の様子とその後(現在)をご …