1951年、大学在学中に、「新東宝スターレット」の第1期生として芸能界デビューされると、瞬く間に人気を博し、東宝のスター俳優となられた、高島忠夫(たかしま ただお)さん。その後、ミュージカル俳優としても活躍されるのですが、1966年頃から司会業に進出。「ごちそうさま」「ゴールデン洋画劇場」など、長きに渡る司会でお茶の間の人気者になられました。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

高島さんは、1930年7月27日生まれ、
兵庫県武庫郡(現・神戸市)のご出身、

身長181センチ、

血液型はO型、

学歴は、
神戸一中(現・兵庫県立神戸高等学校)
⇒関西学院高等部に水泳推薦で編入
⇒関西学院大学中退

ちなみに、本名は、
「高嶋忠夫」と漢字違いで、読み方は同じです。

新東宝スターレット第1期生として芸能界入り

高島さんは、大学在学中の1951年、
映画会社「新東宝」のニューフェイス、
「新東宝スターレット」の第1期生として芸能界入り。

その後「俳優座」で演技の勉強と、
ボイストレーニングをされると、

この時、歌の才能が認められ、
本格的に歌の練習をやるように勧められます。

そして、翌年の1952年に、
「恋の応援団長」で映画デビューし、

同年、3作目の映画「チョイト姐さん思い出柳」で、
早くも主演に抜擢されると、

1956年からスタートした、同じく主演の、
映画「坊っちゃんシリーズ」は大ヒットを記録。

高島さんは、一躍、
スターの仲間入りを果たされたのでした。


「坊ちゃん野球王」より。三ツ矢歌子さんと高島さん。

ミュージカル映画でも活躍

以降、高島さんは、
数多くの映画で主演を務められるのですが、

「君はミュージカルスターになれる」

と、菊田一夫さんに誘われて、
東宝に移籍されると、

1963年、日本初のブロードウェイミュージカル、
「マイ・フェア・レディ」に出演。

高島さんは、このミュージカルで高い評価を受け、
以降、ミュージカル映画でも活躍されています。


東京宝塚劇場前より(1963年)

「ごちそうさま」「クイズ・ドレミファドン!」で人気司会者に

そして、1966年、テレビ番組「土曜ショー」
の司会者をしたことをきっかけに、テレビでの仕事が増え始めると、
1970年代には、本格的に司会業に進出。

1971年~1998年「ごちそうさま」


「ごちそうさま」より。寿美花代さんと高島さん。

1976年~1988年「クイズ・ドレミファドン!」


「クイズ・ドレミファドン!」より。(左から)江藤博利さん、
高島さん、坂上とし恵(現・野々村俊恵)さん。

1977年~1998年「アメリカ横断ウルトラクイズ」


「アメリカ横断ウルトラクイズ」より。
高島さんと石川牧子さん。

などで司会を務められたほか、

1973年~1998年、1999年~2001年と、
「ゴールデン洋画劇場」では、長年に渡って、
映画の解説を務められています。


「ゴールデン洋画劇場」より。

うつ病の原因

そんな順調満帆な高島さんでしたが、
1998年、重度の「うつ病」を発症。

レギュラー番組だった、
「ゴールデン洋画劇場」「暴れん坊将軍」など、
すべての番組を降板し、闘病生活をされています。

というのも、高島さんは、
1964年、生後5ヶ月だった長男の道夫くんが、
17歳のメイドに殺害されるという悲劇に遭われ、

1995年の阪神淡路大震災では、
実家が全壊、

1998年には、26年間(1997年~1998年)続けてきた、
愛着のある仕事「ごちそうさま」の司会の降板、

また、お母さんの入院と、

様々な出来事から、
心労が重なったのかもしれません。

(降板された当時は、「糖尿病」と発表されています。)

そして、一旦は、翌年の1999年、
症状が改善したことから仕事復帰され、

復帰後初仕事のトーク番組徹子の部屋」に出演された際には、
「うつ病」だったことを告白されたのですが、

その後、無理がたたったのか、「うつ病」が再発。
症状が悪化したため、再び闘病されています。

ちなみに、高島さんは、療養中、
雨戸を閉めた真っ暗な部屋で一日中ベッドに横たわり、
天井をずっと見続けるだけの生活を送られていたそうで、

食事も、持ってきてくれたら食べるけれど、
放っておかれたら、そのままでずっと平気だった。

と、明かされており、
相当異常な状態だったことがうかがえます。

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パーキンソン病、不整脈も

しかし、そんな高島さんも、奥さんの寿美花代さん、
息子の高嶋政伸さん、高嶋政宏さんら、家族の支えで回復し、

2003年頃からは、徐々に芸能活動を再開。
2007年春から完全復帰され、

その闘病の様子が、
「うつへの復讐~絶望からの復活~」
でテレビドラマ化されたのですが・・・


「うつへの復讐~絶望からの復活~」より。(左から)
松方弘樹さん、別所哲也さん、高橋惠子さん、袴田吉彦さん。

その後、高島さんは、さらに、
「パーキンソン病」「不整脈」と次々と病魔に襲われ、

ようやく、5年ぶりの2013年6月、
バラエティ番組「カスペ!」「独占密着!真実の高島ファミリー
『忠夫さん、死ぬまで一緒やで』~寿美花代・献身愛で闘う夫の病~」

でテレビ出演され、復活を果たされたのでした。


(後列左から)高嶋政宏さん、高嶋政伸さん、
(前列左から)寿美花代さん、高島さん。

さて、いかがででしたでしょうか?

おじいさんが大地主という家に生まれ育ち、
芸能界に入られた後も、映画スター、司会者と、
一見、順風満帆だった高島さんですが、

そんな華やかなキャリアの裏では、
様々な不幸を抱えておられたのですね。

完全復活されたとはいえ、
もう御年90間近。

無理なさらず、ゆっくりのペースで、
また元気なお姿を見せてほしいですね。

応援しています!!

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