1952年、「恋の応援団長」で映画デビューすると、1956年には、映画「坊ちゃんシリーズ」でブレイクを果たし、その後も、特撮映画「キングコング対ゴジラ」やミュージカル「マイ・フェア・レディ」などで活躍した、高島忠夫(たかしま ただお)さん。

そんな高島忠夫さんは、プライベートでは、女優の寿美花代さんと結婚しています。

今回は、高島忠夫さんの妻・寿美花代さんとの馴れ初め、結婚後の関係(夫婦仲)についてご紹介します。

高島忠夫と妻・寿美花代

「【画像】高島忠夫の若い頃からの活躍や経歴を時系列でまとめ!」からの続き

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高島忠夫と寿美花代の馴れ初めは?

高島忠夫さんは、1963年、女優の寿美花代さんと結婚しています。

高島忠夫さんと寿美花代さんは、1961年、寿美花代さんが司会を務めていたテレビ番組「季節のミュージカル」に、高島忠夫さんがゲスト出演したのがきっかけで知り合ったそうですが、

高島忠夫さんは、この頃、ちょうど話題になっていた寿美花代さんが主演の宝塚歌劇団の舞台「華麗なる千拍子」を観に行き、寿美花代さんが舞台で歌った「ラストダンスは私に」という歌を聴いて、「これはたいしたもんだ」と心を撃ち抜かれていたといいます。

また、寿美花代さんも、高島忠夫さんに一目惚れしていたそうで、

高島忠夫さんは、寿美花代さんから猛烈なアタックを受けると、最初のデートの帰り道では、

お給料いくらもらってるんですか?

住んでる所は持ち家ですか?

隠し女(ガールフレンド)はいますか?

ご両親に仕送りをしていますか?

借金はありませんか?

などと、質問攻めにされたそうで、

少しびっくりしたそうですが、寿美花代さんが大真面目だったため、高島忠夫さんも真剣に答えたのだそうです。

高島忠夫と妻・寿美花代
高島忠夫さんと寿美花代さん。

高島忠夫は寿美花代からプロポーズされていた

そして、2年の交際の末、高島忠夫さんは、寿美花代さんから、

私と結婚してくれませんか。してくれないなら、他の人と結婚しますけど、いいですか

と、プロポーズされたそうで、

高島忠夫さんは、あまりにも唐突だったため、大変驚いて固まってしまったそうですが、

(寿美花代さんによると、目があっちに行ったり、こっちに行ったりしていたそうです)

心の中ではちゃんと、「この人と生きていこう」と思ったのだそうです。

高島忠夫は寿美花代と交際中毎日のようにラブレターを書いていたが読まずに捨てられていた

また、高島忠夫さんは、寿美花代さんと交際中、毎日のようにラブレターを書いていたそうですが、寿美花代さんは、全然読んでくれず、しかも、結婚する時に、読まないまま、1通残らず、全部捨てられたといいます。

寿美花代さんによると、原稿用紙の束が連日のようにドカドカと届き、しかも、内容は、「今日は雨です」「○○を食べました」など雑談ばかりだったそうで、最初のうちは少し読んでいたそうですが、そのうち、舞台の忙しさに追われ、(読まなくても内容が想像できたため)封さえ切らなくなってしまったそうですが・・・

高島忠夫さんは、寿美花代さんとの対談で、

でも全部とってある、って言ってたよね。それなのに、あるテレビ番組でラブレターの山を撮影することになり、「ちょっとアレ出して」と言ったら、「アレって何?」「ラブレターだよ」「お嫁にくるとき、読まずに捨てちゃった」だって。

ひどいよね。せめて1通ぐらい残しておいてくれてもいいのに。(笑)

と、語っています。

高島忠夫は寿美花代のむやみに物を欲しがらないところがえらいと思っていた

とはいえ、結婚後、高島忠夫さんは、寿美花代さんが、服や靴など、物をむやみに欲しがらないところが、えらいと思っていたそうで、

高島忠夫さんは、

僕は誕生日や結婚記念日などの記念日に、プレゼントを贈るとか食事に行くとか、そういうことはやらないけど、それであなたが怒ったことはないね。

世間では「夫が記念日を忘れて、妻が怒って実家に帰った」なんて話を聞くこともあるのに。

と、語っています。

(寿美花代さんによると、ほとんど昔から体型が変わらないため、大昔の服を着ることができ、新しく服を買う必要がないことと、普段から、高島忠夫さんが態度で気持ちを示してくれるため、とりたてて、記念日などは必要ないとのことでした)

高島忠夫は妻・寿美花代と料理番組「ごちそうさま」の司会を26年間も務めていた

そんな高島忠夫さん寿美花代さんは、1971年1月11日から1998年3月31日まで、26年にわたって料理番組「ごちそうさま」の司会を夫婦で務めるなど、「おしどり夫婦」として周知されました。

高島忠夫と寿美花代
「ごちそうさま」出演時の高島忠夫さんと寿美花代さん。

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高島忠夫は妻・寿美花代が闘病生活を献身的にサポートしてくれたことに感謝していた

また、高島忠夫さんは、1984年頃から不眠とアルコール依存に悩み、睡眠薬が手放せない状態で仕事を続けていたそうで、

1998年にはうつ病を発症すると、一時は回復するも、その後、パーキンソン病、不整脈と次々と病魔に襲われ、20年近く闘病生活を送った末、2019年に他界されているのですが、闘病中、妻の寿美花代さんが献身的にサポートしていたそうで、

生前、高島忠夫さんは、寿美花代さんとの対談で、

本当に感謝しているんだ。うつになったとき、僕に代わってお金の管理を全部やってくれたんだよね。それまでは銀行の通帳を見たこともなかったのに。

この人、(料理番組「ごちそうさま」では)横で頷(うなず)いてるだけでしたよ。それがいまや、僕の代わりに仕事して、税金のことも家のことも全部やって。ホントに感心します

こんなに強い人だとは思っていなかった。うつとの闘いを通して決定的に変わったのは、“高島商店”の主が僕からあなたになったことだな。

などと、感謝&感心の言葉を何度も繰り返しています。

高島忠夫
イエーイのポーズをする寿美花代さんと高島忠夫さん。

「高島忠夫の子供は息子が3人!長男は殺害死!次男は高嶋政宏!三男は高嶋政伸!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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