浪人生活中はなかなか勉強に身が入らず、2浪の末ようやく早稲田大学に入学されたタモリさんですが、学生生活は、友人の家を転々としながら、楽しく過ごしたそうで、かねてより憧れだった「モダンジャズ研究会」にも入部。すると、思いもよらない方向に運命が動き出します。
「モダンジャズ研究会」に入部
2浪して早稲田大学に入学したタモリさんは、ようやく念願の「モダンジャズ研究会(通称ダンモ)」に入部するのですが、
新入生は、通過儀礼として、岡崎(本名:近衛)正通さん(後の「タモリのオールナイトニッポン」初代ディレクター兼ジャズ評論家)の号令のもと、全裸にされることになったそうです。
ただ、タモリさんはというと、自らストリップを始めたそうで、それを見た先輩たちからは、「腹がすわっている」と賞賛されたそうです。(ここで、現在の「タモリ」と呼ばれるようになったそうです)
(ちなみに、同期には、前述の岡崎さんのほか、後の世界的ギタリスト・増尾好秋さん、1年先輩にはベーシストの鈴木良雄さんがいらっしゃいます。)
トランペット奏者から司会者へ転向させられる
そんなタモリさんは、「モダン・ジャズ研究会」では、当初はトランペットを演奏していたのですが・・・
サックス兼クラブのマネージャーだった先輩から、
マイルス(デイビス)のトランペットは泣いているが、お前のトランペットは笑っている。
と酷評されてしまい、
しゃべりのほうが面白いから、という理由で、
お前、司会やれ
と、バンドのマネージャー兼司会へ転向させられることになってしまったそうです。
(その後、マイルス・デイビスが、本当に、「マイルス・スマイル」というレコードを発売したそうで、先輩と「やっぱりマイルスも笑ってるじゃないか」と大笑いしたそうです♪)
また、この、
マイルス(デイビス)のトランペットは泣いているが、お前のトランペットは笑っている。
と、言った先輩については、鈴木良雄さん、菅原正二さんなど、諸説あったそうですが、タモリさんが、「SWITCH」(2015年)のインタビューで、当時・サックスでクラブのマネージャーをやっていた瓜坂正臣さんだと明かされています。
学生バンドで司会者として人気を博す
ところで、当時は、学生バンドでも、コンサートをするとお客さんがたくさん入ったことから、地方の「稲門会(とうもんかい)」(早稲田大学の卒業生の団体)が学生バンドを呼び、タモリさんら早稲田大「モダン・ジャズ研究会」は、春は一ヶ月、夏は二ヶ月ほど、全国を回ったそうで、その際には、タモリさんが司会を務めていたのですが、
(この演奏旅行では、毎晩飲み歩いても余るほどのギャラが出たそうで、大学の初任給よりも遥かに高給だったそうです)
次第にタモリさんの話が長くなり、人気を博すようになったそうで、
ついには、先輩から、
俺達はお前のしゃべりの間に、演奏してるんじゃないから、勘違いしないでくれ。
と、言われるまでになり、
ラジオ「大学対抗バンド合戦」に出演した際には、総合司会の大橋巨泉さんからその才能を認められたのでした。
(ちなみに、司会のタモリさんだけではなく、「モダン・ジャズ研究会」自体も、プロをうならせる腕前を見せ、以降、3年連続優勝を果たしています。)
「タモリは早稲田大学時代おとなしく真面目で静かで地味だった!」に続く