1982年、ロックバンド「横浜銀蝿」の弟分「紅麗威甦(グリース)」で、一躍人気を博すと、翌年1983年には、映画「白蛇抄」で俳優としても高い評価を得、以降、渋い役からコミカルな役まで、幅広い演技で活躍している、杉本哲太(すぎもと てった)さん。今回はそんな杉本さんの生い立ちと芸能界入りのいきさつについてご紹介します。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

杉本さんは、1965年7月21日生まれ、
神奈川県茅ヶ崎市の出身、

身長180センチ、

血液型はO型、

本名は、
杉坂哲太(すぎさか てった)

学歴は、
茅ヶ崎市立第一中学校
⇒神奈川県立藤沢工業高校(現・神奈川県立藤沢工科高等学校)中退

ちなみに、趣味はジムで、2015年、フランス人女優との全裸の濡れ場がある映画のオファーを受けた際、体を鍛えようとジムに通うと、それ以来ハマってしまったそうで、多い時は、週6日も通っているそうです。

(肝心のその映画の企画は頓挫したそうですが(笑))

中学時代は地元一の不良少年だった

杉本さんは、2人兄弟の次男として誕生すると、幼い頃は、裕福な家庭で何不自由なく育ったそうですが、小学5年生の時に両親が離婚したそうで、このことが影響したのか、中学校に入るとグレ、その後は、リーゼントにして、お酒とケンカに明け暮れる毎日を送るようになり、そのうち、暴走族「藤沢道化師」のメンバーとしても活動するようになったそうです。

(地元一、有名な不良だったそうです)

また、太いズボンをはいて試着室に入り、ズボンの下にそのまま重ね着して万引するなどの悪事も働いていたそうで、警察にもしょっちゅう、お世話になっていたそうです。

(2つ年上のお兄さんも相当なワルだったそうです)

16歳の時に兄に諭され更生

そんな杉本さんは、1981年、中学卒業後は、神奈川県立藤沢工業高校に進学するのですが、ナンパなどをして遊び回っていて、ほとんど学校には通わず、高校1年の一学期で退学したそうです。

ただ、その後、16歳の時、一足早く目が醒めたお兄さんにお説教されたそうで、暴走族を脱退し、更生したのだそうです。

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ロックバンド「横浜銀蝿」の嵐ヨシユキとの運命の出会い

ちなみに、そんなある日のこと、杉本さんが、横浜駅西口のダイヤモンド地下街で、不良5人に絡まれてケンカをしていると、

(相手は5人だったため、まったく歯が立たず、ボコボコにされていたそうです)

そこに、ロックバンド「横浜銀蝿」の嵐ヨシユキさんが偶然通りかかり、

やめろ!おまえら、何やってんだ

と、ケンカを止めに入ってくれたそうで、

嵐さんのファンだった杉本さんは、ケンカも忘れて、

嵐さんですよね?

嵐さん、僕を仲間にしてください

と、突然、申し出たそうですが、

嵐さんは、

じゃあ、明日、事務所来いよ

と、言ってくれたそうで、

杉本さんは、この時のことを、

銀蠅が好きで好きで、好きな人に出会ってこうなった。僕の運命の人は嵐さんです

と、語っています。

(実は、この少し前に発売された「横浜銀蝿」のレコードの裏面に、仲間を募集する告知が出ていたそうで、杉本さんは、とっさにそのことを思い出して、嵐さんに声をかけたのだそうです)

「杉本哲太が若い頃は嶋大輔と共に「横浜銀蝿」の人気を牽引していた!」に続く

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